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【7/30 横浜市長選】”カジノか学校給食か”〔田中隆作ジャーナル〕/ 菅官房長官肝いりのカジノ構想が“争点”に 〔週刊朝日  2017年7月28日号〕

2017-07-20 18:59:31 | 都知事選 県知事選 市長選

 AERAdot.   https://dot.asahi.com/wa/2017072000058.html

横浜市長選で菅官房長官肝いりのカジノ構想が“争点”に

by 横田一更新 2017/7/20 15:33
 横浜市長選前の心境は穏やかではない!? (c)朝日新聞社

 

 菅義偉官房長官(神奈川2区)の地元である横浜市長選(7月30日投開票)。都議選に続き、もう1枚のレッドカードが安倍政権に突きつけられるのか、注目される。

 3期目を目指す自公推薦の林文子市長(71)は“菅直系”として有名で、カジノを含むIR(統合型リゾート)推進で足並みをそろえてきた。カジノ法案審議が山場を迎えた昨年12月には、推進派国会議員主催の緊急集会に林市長の代理の副市長が出席。「IR整備は観光立国実現に重要」と絶賛し、誘致自治体として法案成立を後押しした。

 林氏の3選を阻止すべく立候補した新人候補は前民進党横浜市議の伊藤大貴氏(39)、無所属で元衆院議員の長島一由氏(50)。共にカジノ反対を明言していることから、カジノ誘致の是非が最大の争点になっているのだ。

 都議選と同様、加計問題への怒りが自民党推薦の林氏への逆風となる可能性も出てきた。伊藤氏擁立に動いた江田憲司・民進党代表代行(神奈川8区)は7月8日のタウンミーティングで、加計問題とカジノを次のように重ね合わせた。

「『岩盤(規制)にドリルで穴を開ける』と言って加計に落ちるように開けた。カジノ法案の強行採決でも、安倍官邸と維新が連携してドリルの穴を横浜と大阪にだけ開けようとしているのではないか」

 ただし林氏は現職の強みに加え、自公と連合神奈川の推薦を受け、盤石の体制のように見える。しかし「全国カジノ賭博場設置反対連絡協議会」代表の新里宏二弁護士は、番狂わせの可能性を示唆する。

「2015年4月の小樽市長選では『カジノはいらない』と訴えた森井秀明・元市議が、自民・公明・民主(当時)・連合小樽・小樽商工会議所が支援したカジノ推進派の中松義治市長を破ったのです。それほどカジノ誘致反対の民意は、根強いものがある」

 原発再稼働に慎重な米山隆一知事が逆転勝利した昨年10月の新潟県知事選と同様、番狂わせは起きるのか……。

 カジノ反対の民意を感じ取ったためか、林氏は今年に入ると、「全くの白紙」と“変節”した。共産党は伊藤氏を自主的に支援。実質的な野党統一候補を市民団体が支援、自公と連合支援の候補を追いかけるパターンも新潟県知事選とうり二つだ。横浜市長選の結果が注目される。(ジャーナリスト・横田一)

週刊朝日  2017年7月28日号

 

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「給食実現で横浜を現役世代に選ばれる自治体にしよう」と訴える伊藤候補に、市民は熱い期待を寄せる。=16日、桜木町駅前広場 撮影:筆者=

「給食実現で横浜を現役世代に選ばれる自治体にしよう」と訴える伊藤候補に、市民は熱い期待を寄せる。=16日、桜木町駅前広場 撮影:筆者=


 庶民の生活を守るのか、それとも外資に むしり取られるのか ― 任期満了に伴う横浜市長選挙がきょう、告示された。

 カジノ誘致に反対し中学校の給食実現を掲げる前市議会議員の伊藤ひろたか(市民連合・共産推薦=39歳)は、桜木町駅前で第一声をあげた。

 広場を埋めた聴衆の最前線で、祈るように伊藤を見つめる母親たちの表情は、山本太郎を参議院に送り出した2013年の参院選挙を思い起こさせた。

 「放射能から守りたい」「満足に食べさせたい」。子供の健やかな成長を願う母親の思いは、いつの世になっても変わらない。

 現職で3期目を目指す林文子(71歳)はカジノ推進で「家庭弁当」を基本とする。自民・公明・連合という大政翼賛会が推す。

 林は横浜駅西口で街頭演説をしたが、カジノには一言も触れなかった。応援弁士には三原じゅん子(自民)、佐々木さやか(公明)に加えて牧山ひろえ(民進)の姿があった。

 政治家になる前トップセールスマンだった林は、企業誘致の実績を誇らしげに語った。住民の生活に密着した話は一言もなかった。

 応援弁士たちは「林市長が待機児童ゼロを成し遂げた」と称賛したが、粉飾であることが広く指摘されている。

左から三原じゅん子、牧山ひろえ、林文子、佐々木さやか の各氏。=16日、横浜駅西口 撮影:筆者=

左から三原じゅん子、牧山ひろえ、林文子、佐々木さやか の各氏。=16日、横浜駅西口 撮影:筆者=

 
 中学校に学校給食がない大都市は、大阪市と横浜市とされてきた。だが、その大阪市もとうとう学校給食に着手した。

 文科省が平成27年度5月現在で明らかにした「都道府県別学校給食実施状況」で神奈川県は全国ワーストワンの25.7%だ。横浜市が数字を押し下げている。

 千葉県は100%、東京都も98%。給食を実施できない理由が見つからない。

 カジノで業者や自治体が潤っても、街は殺伐となり、庶民は財産をバクチで巻き上げられる。

 一方、給食は家庭の負担を軽減し、貧困家庭の子供が ひもじい 思いをせずに済む。貧困化が進むのは、横浜市とて例外ではない。

 政治は誰のためにあるのか。日本最大市の市長選挙は根源的な問いを突き付けているようだ。(敬称略)

ある母親は「自分が中学生だった頃、弁当を持って来れない同級生がいた」「弁当を作る時間を家族の団らんに充てたい」と語った。=16日、桜町駅前広場 撮影:筆者=

ある母親は「自分が中学生だった頃、弁当を持って来れない同級生がいた」「弁当を作る時間を家族の団らんに充てたい」と語った。=16日、桜町駅前広場 撮影:筆者=

   ~終わり~

   ◇
『田中龍作ジャーナル』は読者が支えるメディアです。国家を私物化した安倍首相の権力犯罪を追及させて下さい… http://tanakaryusaku.jp/donation

 

 

 

 


集団的自衛権のカギは、憲法9条の例外を規定している13条(木村草太)2017.7.19 〔日経ビジネス 憲法改正論〕

2017-07-20 16:31:11 | 平和 戦争 自衛隊

 日経ビジネスオンラインhttp://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/071800004/?P=2

私の憲法改正論 もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか?

森 永輔森 永輔

集団的自衛権のカギは憲法9条ではなく13条

2017年7月19日(水)

 とはいえ、安倍政権の憲法解釈も、従来の解釈とそれほど大きくずれているわけではありません。9条は「その文言からすると、国際関係における『武力の行使』を一切禁じているように見える」と認めています。これは憲法学界の通説と完全に一致しています。

13条が、9条の例外を規定している

 自衛隊が認められる根拠は、9条の例外を13条が規定しているからです。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 外国から侵略を受けた時にそれを放置して国民の生命が奪われるに任せることは、この13条に違反することになります。そこで政府は、13条の要請を実現するために必要な自衛のための必要最小限度の実力は、9条がいう「戦力」には含まれないと解釈しているのです。

自衛隊が持つ装備は、外国の軍隊と遜色ないといわれます。これを戦力ではなく「自衛のための実力」とする解釈は詭弁の観があります。これを解消するための改憲は必要ありませんか。

木村:それは歯科医が虫歯治療のため歯を削る行為をどう解釈するのかと同じではないでしょうか。刑法204条は「傷害」について定めています

第二百四条 人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 歯科医が虫歯治療のために歯を削る行為はこの条文に照らせば傷害に当たります。一方、刑法35条は204条の例外を認めています。

第三十五条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

 この規定により歯科医の行為が罰せられることはありません。

 この時、2通りの解釈が可能です。1つは、歯科医が歯を削る行為も「傷害」の一種だ。しかし35条により例外として罰しない(A)。もう1つは、歯科医が歯を削る行為は正当業務なので、「傷害」という概念はそれを含まないものと解釈すべきだ(B)。どちらでも「罰せられない」という結論は同じです。

 (A)の解釈のほうが森さんの好みに合うということでしょう。

そうですね、すっきりします。

木村:政府は自衛隊について(B)のような解釈を採用しているわけです。ただ、2014年7月の閣議決定*では、「憲法第9条の下で例外的に許容される『武力の行使』」という表現も使っています。歯科医のケースと同様、どちらでも結論は同じです。どちらを選ぶかは趣味の問題。

*:安倍政権が集団的自衛権の限定行使容認を明らかにした閣議決定

 

 

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2. 芦田修正が無視されるのはなぜか
3. 芦田修正が無視されるのはなぜか
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【社説】内閣支持率続落 信頼が揺らぐ深刻さ 〔東京新聞 2017.7.19〕

2017-07-20 16:02:00 | 政治 選挙 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017071902000134.html

東京新聞 TOKYO Web【社説】

内閣支持率続落 信頼が揺らぐ深刻さ

 安倍内閣の支持率が続落し、第二次内閣発足後、最低となった。支持と不支持が逆転し、首相への不信感も高まっている。政権にとってより深刻な状況にあることを、自覚すべきであろう。

 内閣支持率が50%台から40%台に急落した前回六月の調査から、さらに落ち込んだ。

 共同通信社が十五、十六両日に実施した全国電話世論調査によると、内閣支持率は六月より9・1ポイント減の35・8%と、二〇一二年の第二次安倍内閣発足後、最低となった。不支持率は10・0ポイント増え、最も高い53・1%。支持と不支持も逆転した。

 七月二日の東京都議選で、自民党は過去最低の二十三議席にとどまる歴史的大敗を喫した。この選挙で示された民意の動向は、東京だけにとどまらないことを、今回の世論調査は示している。

 「森友」「加計」両学校法人をめぐる問題や「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法成立をめぐる強引な国会運営で、内閣支持率はすでに下落傾向にあった。

 これに、稲田朋美防衛相の東京都議選での問題発言や、豊田真由子衆院議員(自民党に離党届)の秘書に対する暴言・暴行が追い打ちをかけたのだろうが、首相が学校法人をめぐる問題で「真摯(しんし)に説明責任を果たす」と話しながら、国会での説明を当初拒んだことも影響しているのは否定しがたい。

 それは不支持理由で最も多い答えが「首相が信頼できない」で、前回より10ポイント近く増え、第二次内閣以降最高の51・6%に達していることからもうかがえる。

 内閣不支持が政策ではなく、首相への信頼感の欠如が要因であることは、政権にはより深刻だ。

 首相としては二十四日にも開く国会での集中審議で、学校法人をめぐる問題について説明するとともに、八月三日にも予定される内閣改造で人心を一新し、信頼回復の緒に就きたい考えなのだろう。

 しかし、自己保身のための通り一辺倒の説明や、首相に近い人たちを優遇する組閣では、国民の理解は得られまい。

 内閣支持理由で最も多いのは「他に適当な人がいない」で40%に迫る。これは都議選のように受け皿さえあれば、政権や自民党への批判票が集約できることを意味する。

 民意を問う国政選挙は、補選以外に近く予定されていないとしても、理念や政策を軸とした、安倍政権に代わる政権の選択肢を準備しておく必要はあろう。与野党双方に対し、奮起を促したい。 

 

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「私には敵はいない ー私の最後の陳述ー」 劉暁波 全文掲載(日本語訳)〔NHK NEWSWEB特集〕

2017-07-20 15:19:41 | 自由 思想 信仰

劉暁波氏が獄中で記した「私には敵はいない」。
非暴力の精神を貫いた劉氏がつづった、祖国の未来に宛てた願いです。

NHK NEWSWEB特集

https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/luixiaobo_fulltext.html

ニュース画像

「私には敵はいない」 全文掲載(日本語訳)

「私には敵はいない ー私の最後の陳述ー」 劉暁波

2009年12月23日

50歳を過ぎた私の人生において、(天安門事件の起きた)1989年6月は、重大な転機となった。それに先立って、文化大革命のあとに大学入試が再開され、その1年目に私は大学生となった。学士から修士、そして博士まで、学生生活は順風満帆だった。卒業後、北京師範大学に残り、教鞭をとることになった。私は学生たちからすこぶる人気があった。また同時に、私は社会的な活動をする知識分子でもあった。1980年代に大きな反響を呼んだ文章や著作も書いた。各地に招かれて講演し、欧米からも声がかかり、学者として赴いた。
私はみずからに課していることがある。それは、人としても、文字を執筆するうえでも、誠実に、責任感を持ち、そして、尊厳を保って生きることだ。私は、アメリカから中国に戻り、1989年の学生たちの運動に参加したあと、“反革命宣伝扇動罪”という罪で、監獄に入れられた。愛してやまない教壇から去らねばならなかった。そして、二度と国内で文章を発表したり、講演したりできなくなった。体制側と異なる政治的な意見を発表し、平和的な民主運動に参加しただけで、1人の教師が教壇を去り、1人の作家が世に作品を出す権利を失い、公に講演する機会も失った。これは、私個人だけではなく、改革開放から30年がたった中国にとっても悲しいことである。

思い起こせば、天安門事件以降、私の最も劇的な経験は、いずれも法廷と関わるものだ。私は2度、大衆に向かって話す機会を得たが、それはいずれも、北京市中級法院の法廷が与えてくれたものだ。1度目は1991年1月。2度目は今である。問われている罪名はそれぞれ違うが、実質的には同じで、どちらも言論によって罪を得たということだ。

あれから20年が過ぎた。天安門事件で、無実の罪で死んだ人の亡霊は、今なお、安らかに眠れないでいる。この事件をきっかけに、私は、体制側とは立場の異なる者としての道を歩み始めた。1991年に監獄を出たあと、みずからの祖国で、公に発言する権利を失い、中国本土以外のメディアを通してしか発言できなくなった。ただ、そのために長年にわたり、当局の監視を受けた。1995年5月から1996年1月まで、自宅にいながら監視を受け続けた。そして、1996年10月から1999年10月まで、労働矯正教育を受けた。そして、今再び、私は、政権による敵対意識によって、被告席に立つことになった。 しかし、私の自由を奪った政権に伝えたいことがある。私は、20年前に天安門広場でハンガーストライキをした時に宣言した信念を守り続けている。つまり、私には敵はいないし、うらみもない。私を監視する人も、拘束し取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、みな、私の敵ではない。もちろん私は、彼らの監視も、逮捕も、起訴も、判決も受け入れることはできないが、彼らの仕事と人格を尊重する。そこには、私を起訴した2人の検察官も含まれている。私が2人から調べを受けた時、彼らは私を敬い、誠意を示してくれた。

うらみは、個人の知恵や良識をむしばみ、敵対意識は民族の精神を堕落させ、生きるか死ぬかの残酷な争いを煽りたて、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻むものだ。だからこそ、私は、個人的な境遇を超越し、国家の発展や社会の変化に目を向けたい。そして、最大の善意をもって、政権の敵意と向き合い、愛をもって憎しみをやわらげたいと願っている。

みなが知っているように、改革開放は、国の発展や社会変化をもたらした。私の理解では、改革開放は、毛沢東時代の「階級闘争が要だ」という政策方針を捨て去ることから始まった。それが転じて、経済発展や社会の調和が進んでいった。「闘争哲学」を捨て去るプロセスは、敵対意識をやわらげ、うらみを取り除くプロセスでもあった。そして、人の中にしみこんでいる“オオカミのミルク(敵対意識を助長するもののたとえ)”をなくすプロセスでもある。このことが、ゆとりのある環境を生み、人と人との間の敬愛の気持ちを回復させた。そして、異なる利益や価値観が平和に共存するために、柔軟な人間性の土壌が育まれた。国民の創造力を刺激し、思いやる心を回復させた。こう言いかえてもいいだろう。対外的に“反帝国主義・反修正主義”を捨て、国内的に“階級闘争”を捨てたことは、中国の改革開放が今に至るまで継続してきた基本的な前提だ。経済が市場化に向かい、文化が多様化し、秩序が法治化していったのは、いずれも“敵対意識”が希薄になったからだ。進歩が最も遅い政治の分野でさえ、敵対意識の希薄化によって、政権の社会の多様化に対する寛容度が増している。政治的に意見の違う者に対する迫害も大幅に減った。1989年の民主化を求める運動の位置づけも「動乱・暴乱」から「政治的騒ぎ」に変わった。敵対意識の希薄化によって、政権は人権の普遍性を受け入れ始めている。1998年、中国政府は、世界に向かって、国連の2大国際人権規約に署名するという約束をした。これは、中国が普遍的な人権の基準を受け入れたことを示すものだ。2004年、全国人民代表大会は憲法を改正し、初めて「国家は人権を尊重し保障する」と書き込み、人権が中国の法治の根本原則の1つになったことを示した。同時に、現政権は「人をもって基本とする」、「調和した社会を作り上げる」と提案した。中国共産党の執政理念が進歩していることを示している。これらのマクロな進歩は、私が拘束されて以来、みずからの経験の中で感じたものだ。

私はみずからが無罪だと思うし、私に対する罪の追及も憲法違反だという考えを堅持している。ただ、私が自由を失った1年余りの間に、2つの留置施設に入った。4人の警察官、3人の検察官、2人の裁判官と話をしたが、彼らが私を尊重しなかったことはなかった。規定の時間を過ぎて調べることもなかった。自白を迫ることもなかった。彼らの態度は、平和的、理性的であり、常に善意を示してくれた。6月23日、私は、住宅での監視状態から、北京市公安局第一看守所、通称“北看”に移された。ここでの半年間でも、管理や監督をするうえでの進歩をみることができた。

1996年、私は古い“北看”に入っていたことがある。今の“北看”は、その10数年前の“北看”と比べると、施設も、管理も、かなり改善した。とりわけ、“北看”で始められた人間味のある管理は、入所者の権利や人格を守るうえで、管理する側の発言や行動に柔軟な対応が定着していた。心温まる放送、雑誌、食事前や起床、それに睡眠の際の音楽など。これは、入所している人たちに尊厳やぬくもりを与え、彼らはそれにより秩序を守り、「ろう獄のボス」のような存在には反対するんだと自覚させた。入所している人に人間的な生活環境を提供するだけではなく、彼らの精神状態も大幅に改善された。私と私の管理担当者はその部屋で間近に接触していたが、彼の入所者に対する尊重や関心は、細部にいきわたっていた。すべての言動に浸透していて、温かみを感じさせた。誠意があり、正直で、責任感と善良な心を持ったこの担当者と知り合えたことは、“北看”にいた私の幸運だった。

こうした信念と経験から、私は中国の政治の進歩は止まることはない、と固く信じている。私は将来、自由な中国がやってくると楽観している。なぜなら、いかなる力も自由を求める人々の欲求を阻止することができないし、中国はゆくゆく人権を至上とする法治国家になるだろうから。私は、こうした進歩が今回の裁判の審理の中で示され、合議制の公正な裁判が行われ、歴史の検証に耐えられるものであることを期待する。

この20年で最も幸せなことを言うならば、それは、妻・劉霞の無私の愛を得られたことだろう。きょう、妻は法廷で傍聴することはできない。でも、君に言いたい。親愛なる君へ。私は固く信じている。君の僕に対する愛がずっと変わらないことを。これほど長い時間、自由のない生活の中で、私たちの愛は、外部の環境に押しつけられた苦渋に満ちていた。でも、振り返ってみれば、やはり私たちの愛に限りはない。私は形のある監獄の中で服役しているが、君は形のない心の監獄で私を待ってくれている。君の愛は、監獄の高い壁を越え、鉄の窓を通り抜ける太陽の光だ。私のあらゆる皮膚をなでまわし、私のあらゆる細胞を温める。私の心に、穏やかさ、清らかさ、輝きをもたらし、獄中の1分1分を意義のあるものにしてくれる。ただ、私の君への愛は、申し訳なさとおわびばかりで、時々気が沈み、足取りがふらつく。私は荒野に転がる石ころだ。雨にうたれ、風に吹かれるままだ。人はその冷たさに触れようとしない。しかし、私の愛は固く、するどく、どんな障害だって貫く。たとえ私が粉々になったとしても、灰となって君を抱擁するだろう。
親愛なる妻よ。君の愛さえあれば、私は平然と、まもなく言い渡される判決と向き合うことができる。みずからの選択に悔いはない。楽観的に明日を待っている。

私は望んでいる。私の国が表現の自由のある場所となり、ひとりひとり国民の発言が等しく扱われることを。そして、異なる価値観、思想、信仰、そして、政治的な考え方が共存できるようになることを。

私は望んでいる。多数意見と少数意見がともに等しく扱われることを。とりわけ、権力者と違う考え方であっても、十分に尊重され、守られることを。

私は望んでいる。この国で、あらゆる政治的な意見が公に語られ、国民が選択できるようになることを。すべての国民が全く恐れることなく、みずからの意見を表明することを。そして、当局側と異なる意見だったとしても、政治的迫害を受けないことを。

私は望んでいる。私が、中国で、文章を理由に、刑務所に入る最後の被害者となることを。そして、今後、言論を理由に罪とされる人がいなくなることを。

表現の自由は、人権の基礎であり、人間性の根源であり、真理の母である。言論の自由を封殺することは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することである。 憲法に与えらえれている言論の自由という権利を行使し、1人の中国国民として社会の責任をまっとうするにあたり、私のいっさいの行為は罪にあたらない。たとえこのために非難されようともうらみはない。

みな、ありがとう!