https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201707/0010398980.shtml
![障害者や支援者ら約160人が「やまゆり園の事件を忘れないで」と商店街をデモ行進した=神戸市中央区](https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201707/img/b_10398981.jpg)
![障害者や支援者ら約160人が「やまゆり園の事件を忘れないで」と商店街をデモ行進した=神戸市中央区](https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201707/img/b_10398982.jpg)
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件から1年になるのを前に、兵庫県内外の障害者や支援者ら約160人が23日、神戸市内で追悼のデモ行進を行った。「地域で暮らしたい」「障害者は不幸じゃない」と声を上げ、障害者が地域で自由に生きられるような社会を求めた。
やまゆり園のような入所施設は現在、全国に約2600カ所あり、約13万人が暮らす。兵庫県内には昨年度時点で知的、身体障害者の入所施設が109施設あり、定員は約5600人となっている。
障害者を隔離せずに社会参加を目指す国際的な流れを受け、厚生労働省は昨年11月、本年度からの4年間で約1万1千人が地域生活に移るという数値目標を立てた。だが高齢化や障害の重度化が進み、実現は容易ではない。
デモ行進は「リメンバー7・26 神戸アクション」が主催。呼び掛け人の一人で双極性障害の吉田明彦さん(55)=神戸市兵庫区=が「事件の前も後も、障害者は差別され、排除され、殺され続けている。当たり前の権利を勝ち取るまで戦う」と主張。元町から三宮までの商店街を約1時間かけて歩いた。
車いすやつえを使う人や呼吸器を付けた人、健常者らが腕に喪章を着け「障害があっても生まれたい」「(事件で犠牲になった)19人の名前を出せ」などのプラカードを掲げた。
デモの最後、知的障害のある芝田鈴さん(49)=同市中央区=は「私と同じハンディのある人たちが理由もなく殺されてしまった悲しい事件。私たちは一人の人間。私たちの声を聞いてほしい」と訴えた。次回は神戸・三宮で8月20日午後4時から。(金 慶順)
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https://mainichi.jp/articles/20170722/ddm/041/040/137000cより転載
相模原殺傷事件1年 娘の死、向き合えぬ 62歳父、がん延命拒否 「会って抱っこしたい」
毎日新聞2017年7月22日 東京朝刊
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件で、35歳だった長女を奪われた神奈川県内の父親(62)が毎日新聞の取材に応じた。「娘がこんなに可愛かったことを知ってほしい」。父親は時折、笑顔を見せながら思い出を語った。【国本愛】
長女は身長約140センチ、体重約35キロと小さかった。父親のことを「ちち」と呼んだ。父親がやまゆり園の長女の部屋を訪ねると、長女は父親の手を引っ張った。2人で散歩やドライブに行った。
歩いたり話したりできず、成長が遅いことに気付いた母親が病院に連れて行き、3歳のころに脳性まひと診断された。その後、養護学校に通い、両親と5歳年上の長男、2歳年下の次女が日常を支えた。
8年ほど前、母親にがんが見つかった。母親の入院と治療のため、長女は2012年7月にやまゆり園に入所した。翌月、母親は他界した。
長女の障害を周囲に隠したことはない。だが、長女のことが大切だからこそ「家族だけで静かに悼みたい」と、事件に巻き込まれたことは知らせていない。
事件からまもなく1年になるが、殺人罪などで起訴された植松聖(さとし)被告(27)への感情は湧いてこない。「娘が亡くなったことを、まだ現実として受け止められない。娘がいなくなったことと事件が、まだ結びつかない」。考え込むようにそう言った。
自らは今春、がんと診断された。「もうすぐいくよ」。仏壇の前で毎朝、語り掛ける。
長女の朝は、甘めのコーヒーを飲むことから始まった。大きなマグカップに母親が氷を一つ落とす。眠そうな顔で一気に飲む。足りないとテーブルをカップでコンコンとたたいた。父親のまぶたには、そんな日常が焼き付いている。
仕事人間だった父親は49歳で早期退職してから、長女と一日中、一緒に過ごした。長女はソファに腰掛ける父親の足や肩をトントンとたたき、抱っこをせがんだ。本を読もうとすれば「かまって」とばかりにはたき落とした。夜中になると布団に潜り込んできた。
長女が食事を粗末にした時、怒ったことがある。すねて口を利いてくれなくなり、最後には折れて「ごめんね、お父さんが悪かった」と謝った。「気まぐれでわがままで、甘えん坊だった」
あの日の朝、テレビで事件を知った。駆け付けた園で職員から「亡くなりました」と知らされた。長女と対面できたのは午後8時ごろ。傷痕は見えなかった。「すごくきれいで、今にも起きそうだった」。家族だけの葬儀を済ませ、ひつぎには長女が大好きだった「となりのトトロ」の絵本を入れた。
そばにいたくて、四十九日まで骨つぼを枕元に置いた。毎朝、仏壇にコーヒーを供えて「元気か?」と声を掛け、「元気ってことはねえか」とつぶやくのが日課になった。
思い出が詰まった自宅での1人暮らしは、つらい。洗面所で歯磨きをすると、後ろから抱きついてきた長女を思い出す。トイレにも、リビングにも……。施設に預けた自分を責めた。少しずつ現実を受け止めようと生きてきたが、ふとした瞬間に「もういないんだ」という現実が去来し、おえつしてしまう。
今年3月、がんと診断されたが、延命治療は選択していない。最後に会ったのは、事件の3週間前。肩の具合が悪く、いつもする抱っこができなかった。「次はしてあげるね」。すねた長女に言って別れた。父親は「最後に抱っこしてあげられなかった。早く会って、抱っこしてあげたいなあ」と、ぽつりと漏らした。
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