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 「やはり入っているな」

 「ヒゲの隊長」こと自民党佐藤正久はニヤリとした。外務官僚らの仕掛けに気づいたからだ。集団的自衛権の行使容認をめぐる自民党公明党の与党協議が始まって約2週間。6月5日のことだった。

 与党協議では、集団的自衛権を使わなければ対応できないケースを盛り込んだ事例集が政府から示された。外務省の精鋭が数多く送り込まれている国家安全保障局が作ったものだ。

 「『武力行使』に当たり得る活動」という項目の事例として「国際的な機雷掃海活動への参加」があった。中東ペルシャ湾のホルムズ海峡を想定し、海中にまかれた機雷を自衛隊が除去するという内容だ。

 佐藤が気づいたのは、そのイラストに、米国旗とともに国連旗が並んでいたことだ。二つの旗から、自衛艦に矢印がのび「機雷掃海活動への参加要請」と記されていた。

 中東での紛争に関わる米国を守るための機雷除去は「集団的自衛権」だが、国連から要請されると「集団安全保障」になる。しかし、集団安保は、国連決議に基づいて侵略国に制裁を加える措置だ。身を守るために武力行使する自衛権とは根本的に異なる。集団的自衛権の議論に集団安保をこっそりもぐり込ませようと、外務官僚らが画策していた。

 事例集を中心になって作ったのは外務省出身で国家安全保障局次長の兼原信克だ。外務省には、1991年の湾岸戦争で国際社会から「カネだけ出した」と批判されて以来、自衛隊の活動範囲を広げて「外交カード」を増やしたい考えがあった。

 一方の佐藤は96年にゴラン高原PKOで初代隊長を、2004年には陸上自衛隊のイラク派遣で先遣隊長を務めるなど、自衛隊の国際貢献の重要性を身に染みて感じている。

 外務省きっての戦略家の兼原と佐藤の思いが一致した。佐藤はたびたび、議員会館の自室に兼原を呼び寄せ議論を重ねた。そして、自民党の会議で、佐藤が問題提起して流れを作る。いつしか、そんな連係プレーが出来上がった。

 

 ■執念の巻き返し、首相も修正

 国家安全保障担当の首相補佐官を務める礒崎陽輔は、外務官僚らの野心に警戒感を持っていた。

 昨秋ごろからひそかに行われてきた政府内部の検討会で、湾岸戦争のような集団安保の容認を求めてくる外務省幹部らを「憲法の論理として無理」と押し返した。首相の安倍晋三にも「集団安保まで認めるのは相当難しい」と訴えた。

 安倍は4月、「礒崎さんの考えでいい」と裁定。5月15日の記者会見で「湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加することは、これからも決してない」と宣言した。礒崎は胸をなで下ろした。

 ところが、外務官僚らはあきらめない。「集団安保ができる理論を考えなければ」と巻き返しを図る。

 6月9日の参院決算委員会共産党議員の質問に対し、安倍は「機雷の除去は基本的に『受動的かつ限定的』な行為で、会見で申し上げた戦闘行為とは性格を異にする」と答弁した。5月の記者会見から明らかに軌道修正し、集団安保への参加に含みをもたせた。佐藤は「あれがなければまずかった。共産党の質問のおかげだ」とつぶやいた。

 次の手も打たれた。

 6月13日の与党協議で配られた「高村試案」は、従来の「自衛権発動の3要件」が、「武力行使の3要件」という位置づけに変わっていた。礒崎は外務官僚らの執念を感じた。

 そして、6月16日。自民側と政府側の会議は集団安保をめぐる決戦の場となった。

 佐藤が口を開く。

 「『武力行使』の3要件となっているのは集団安保も読めるようにするためですか。そうでなければ、機雷除去はできませんよね」

 礒崎は即座に反論した。

 「首相にも公明側にも『自衛権』の3要件と説明した。いまさら変えられない」

 自民党副総裁の高村正彦は両氏の言い分にじっと耳を傾けていた。最終的には、佐藤に軍配を上げた。

 反発する公明党に配慮し、閣議決定文に「集団安全保障」の文字は書き込まれなかった。しかし、国家安全保障局が作った想定問答には、武力行使の3要件を満たせば、「憲法上許容される」と記された。

 密室で繰り広げられた集団安保をめぐる暗闘。外務省の悲願であった武力行使への道が開けた。(敬称略)

 (二階堂友紀、園田耕司)