長崎県の対馬は、常に日本の中枢から特別な場所と見なされてきた歴史を持つ。
対馬が重視された最大の理由は、その地理的条件にある。
大陸と非常に近い為、国際交流や軍事面で大きな役割を担ってきたのだ。
古代には大陸への備えとして防人(さきもり)が置かれ、江戸時代には幕府から朝鮮半島との外交を任されていた。
また、日露戦争の際にはバルチック艦隊を迎え撃つ要塞になった。
日本にとって、対馬は対外政策の拠点だったと言える。
そんな対馬が今や国際問題に発展しかねない、やっかいな騒動に巻き込まれている。
2012(平成24)年に韓国人窃盗グループが、日本の神社仏閣から仏像などを盗み出す事件があった。
犯人は逮捕され盗品も韓国で押収されたのだが、ここで問題となったのが一体の観世音菩薩座像である。
この仏像は対馬市豊玉町の観音寺から盗まれたものだ。
寺では600年もご本尊として祀ってきたという。
しかし、これがすんなりと戻ってこなかった。
なぜなら、韓国の浮石寺が仏像はもともと自分たちのものだったと主張したからである。
仏像が浮石寺で作られた事は事実であるが、その後に倭寇によって略奪されたのだから、返さなくてもいいと言うのが、彼らの言い分である。
しかし、14世紀末から15世紀にかけて韓国では、激しい仏教弾圧が行われ、多数の仏像や経典が捨てられた。
その最中に対馬に渡ってきた可能性も否定できないのである。
どういう経緯で、日本に渡ってきたかを解明するのは不可能に近い様だ。
仏像の所有権をめぐる対立は、まだ解決の糸口が見えていない。