大学一年の時、塾のアルバイトをしながら、一年間、英会話学校に通っていた。
初めて、ローンをくんで、アルバイト代から毎月、支払いをしていた。
週に二回は通うようにしていた。
一年間で、三人の外国人先生に教わった。
僕たちの世代は、ALTなど存在しない時代で、外国人と接することはほとんどなかった。
この三人が僕が接する初めての外国人であった。
三人の出身は、アメリカ、オーストラリア、イギリスで、発音が異なっていたが、それよりも、教え方が全く違うのに驚かされた。
今になると、笑えるのだが、当時は、その三人がその国の人達の象徴で、「アメリカ人は気が短く、歴史が好き」
「オーストラリア人はいい加減で、発音が変」
「イギリス人は教えるのに一生懸命で、妥協しないし、優しくもある」
と、一人の人間から、国の人柄まで決めてしまっていた。
イギリス人先生はロバートという名前で、ケンブリッジ大学を卒業していて、日本語で、夏目漱石なども読んでいた。僕よりも、漢字を知っていて、発音に妥協しない先生だった。
とにかく、教えるのに一生懸命で、他の二人と比べものにならなかった。
彼がイギリスに戻る時は涙が止まらなかった。
そんな経験から、国際交流に興味が湧き、二年の時、サークルを作った。幹事になり、アルバイトも続けたので、異常に忙しかった。
どんなに忙しくとも、アルバイトを休んだことはなく、徹夜でテスト勉強し、サークルへ行って、アルバイトへ行き、飲みに出かけるというハチャメチャな日も、多々あった。
すべてがよき思い出で、ロバートの英会話の授業をたまに思い出す。
もう二度と会うことはないが、かなり英語が話せるようになった今、できるようになった自分を見て欲しいという思いはある。
今、人に教える仕事についていても、自分が教わった先生の前に立てば、いつまでも、生徒の心境だ。
最近は年を重ね、道をしめしてくれる人が年々、少なくなってきた。
さみしいが仕方のないことだ。それでも、道に迷った時、ロバートのように、間違いをしっかり指摘して、矯正してくれるような尊敬できる人に出会いたいものだ。
初めて、ローンをくんで、アルバイト代から毎月、支払いをしていた。
週に二回は通うようにしていた。
一年間で、三人の外国人先生に教わった。
僕たちの世代は、ALTなど存在しない時代で、外国人と接することはほとんどなかった。
この三人が僕が接する初めての外国人であった。
三人の出身は、アメリカ、オーストラリア、イギリスで、発音が異なっていたが、それよりも、教え方が全く違うのに驚かされた。
今になると、笑えるのだが、当時は、その三人がその国の人達の象徴で、「アメリカ人は気が短く、歴史が好き」
「オーストラリア人はいい加減で、発音が変」
「イギリス人は教えるのに一生懸命で、妥協しないし、優しくもある」
と、一人の人間から、国の人柄まで決めてしまっていた。
イギリス人先生はロバートという名前で、ケンブリッジ大学を卒業していて、日本語で、夏目漱石なども読んでいた。僕よりも、漢字を知っていて、発音に妥協しない先生だった。
とにかく、教えるのに一生懸命で、他の二人と比べものにならなかった。
彼がイギリスに戻る時は涙が止まらなかった。
そんな経験から、国際交流に興味が湧き、二年の時、サークルを作った。幹事になり、アルバイトも続けたので、異常に忙しかった。
どんなに忙しくとも、アルバイトを休んだことはなく、徹夜でテスト勉強し、サークルへ行って、アルバイトへ行き、飲みに出かけるというハチャメチャな日も、多々あった。
すべてがよき思い出で、ロバートの英会話の授業をたまに思い出す。
もう二度と会うことはないが、かなり英語が話せるようになった今、できるようになった自分を見て欲しいという思いはある。
今、人に教える仕事についていても、自分が教わった先生の前に立てば、いつまでも、生徒の心境だ。
最近は年を重ね、道をしめしてくれる人が年々、少なくなってきた。
さみしいが仕方のないことだ。それでも、道に迷った時、ロバートのように、間違いをしっかり指摘して、矯正してくれるような尊敬できる人に出会いたいものだ。