今週の土曜日は休み。
映画を見るには、気合いが足らない。
本を読むほど、心は病んでいない。
寝る前に何をするのか、迷う。
次の日が休みの日はいつまでも起きていたい。
20代の今頃は何をしていたのだろうと思い、日記をとりだす。
平成4年から、日記をつけていて、読み返すと、恥ずかしいのなんの。
その時の気持ちを率直に書いている。
到底、人に見せられる代物ではない。
しょぼいには間違いないが、若い時ほど、一生懸命生きている。
財布に16円しかない日も、しっかり生き延びている。ハチャメチャな生活の中に夢がある。
それでも、後悔するようなことはたくさんあって、タイムマシンがあれば、昔の自分にアドバイスしてあげたくなる。
27才の時の今日の日記は衝撃だった。
当時の男社員四人で、ジョイフルに昼御飯を食べに行った。
寒くなって来て、入試が近づいてきたという話をしていると、一番若い社員が突然、泣き始めた。
理由を聞くと、あと5ヶ月したら、もう卒業するから、教えられなくなる。出席の時の名前をもう二度と呼ぶことがなくなると思うとたまらないということだった。
1人が感傷的になると、伝染する。
昼間から四人で号泣してしまい、まるで宗教団体のようだった。
責任者だった僕を中心にまるで仕事のできない集団であったが、1日に12人入学があったりして、毎日が運動会のようだった。
時代が変わってしまったと言えばそれまでだが、最近は煩雑な仕事が増えたような気がしてしょうがない。
当時はパソコンもなく、ただ生徒と向き合うだけだった。
激しく怒って、壁を何回も壊したりしたこともあったが、一緒に泣いたり笑ったりすることも多かった。
データは管理せずとも全て頭の中に入っていた。
時代が変わって、それでは通用しないと言われるようになり、僕も少しずつ変わってきた。
パソコンをあれだけ嫌っていたのに、パソコンばかり触るようになった。
日記を読めば読むほど、やはり原点に戻らねばと思う。
理屈じゃない。テクニックでもない。
もう一度、目に光を取り戻すんだ。
最後に…
よく喧嘩して掴み合いになったり、一緒に泣き笑い、苦しみを共にした彼とのプリクラを掲載する。
名を迫田徹也という。
音信不通で、元気かどうかもわからないが、もし僕のブログに奇跡的にたどり着くことがあれば連絡が欲しい。