story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

高架下、夏の夜

2023年10月26日 19時24分00秒 | 小説

高架下、夏の夜

蒸し暑い街中の夜道
粗末な街灯の下を歩くと
頬に蛾がぶつかっていく
と思う間もなく黒い昆虫が目の前を飛ぶ
あれはクワガタかゴキブリか
この街はすぐ近くに大きな山があり
街と山の昆虫が入り混じって夏の夜を飛ぶ

すぐ横の複々線高架を
車内灯の灯りをまき散らしながら
旧型電車がモーターを唸らせ、派手な音をガードで立てていく

教えてもらったアパートはこの高架下らしい
メモを握りしめ
僕はどう見ても上品とは思えない
古臭い建物ばかりのその街で
自分が何故にこのようなところへ向かっているのか
自問しながら歩く

酒の席での先輩からの質問が発端だった
「お前は女を知っているのか」
気張って「知ってますよ、そんなもの」
と強がったものの先輩からの執拗な質問にはやがて降参するしかなかった
そう、僕はあの頃、まだ女性を知らなかった
だが、化粧っ気の濃い
歓楽街で見るような女性たちにはとても興味がわかなかった

目的地らしい辺りへ近づくと
高架下のアパート群の方へ道を渡る
甲高い警笛は電気機関車のものか
ダダダダダダ、タ~ンタ~ンタ~ンタタンタタンタ~ン
長く単調ではないレールジョンとの音が貨物列車であることを
線路の真下ゆえ見えない位置なのに確信させる

教えてくれたのは別の先輩だ
その人もその道のプロにしか見えないような女性は好きではないそうで
だからと、お前だけに教えると連絡先を教えてくれた
「ほかのやつに、教えたらあかんで」と忠告を付けて

高架下、橋脚の間に二階建てのアパートがいくつも建っていた
裸電球の灯りを頼りにメモに記された部屋を探す
「白鳥荘14号室」
その部屋のある場所はすぐに分った

砂が撒かれているかのような木の階段を上る
14号室の部屋の扉には桜を模した造花がオシピンで貼り付けられている
ノックは三回と決められている
トントントン
「はーい」明るい声がした

「野上です」
「お待ちしてましたよ」
扉を開けてくれたその女は
こういった職業の女によくある崩れた雰囲気を醸し出さず
清楚な黒髪でブラウスにスカートといういで立ちだった

「いらっしゃい、ビールでも飲みますか?よく冷えてますよ」
「あ・・はい」
僕は女の明るい声に戸惑う

だが部屋の照明はサークラインが一つぶら下がっているだけ
そして部屋にはテレビと粗末な箪笥と冷蔵庫
その上には古臭いラジオが居座っている

入れてもらったビールを一気に飲み干す
暑くて汗がしたたり落ちる
「暑いですね、助かります」
僕がそう言うと女は少し微笑む
かなり美人の方だろう
「ほんと、いまが暑さの盛り」
折り畳みテーブルの向かいに座った女は僕をじっと見つめている
「ね、先にくれますか?」
「あ、はい、いくらだったでしょう」
「うん、一万五千円って言ってなかったかな?」
「はい、ほんとにその通りでよいのですか?」
「もちろん、でも少しチップくれると嬉しいな」
「はい」
僕は女に二万円を渡した
「すごぉい、こんなにチップくれるの?お釣りはナシよ」
「はい」
じゃ、こっちに来てと言われ、奥にある別の部屋に案内された
ダダダダダダ、タタ~タタタタン、タタタタン、タタタタン、タタタタン
規則正しいレールジョイントは機関車の牽く夜行列車だろうか

奥の部屋はせいぜい三畳ほどか
布団が敷かれ、小さな鏡台に小物入れと枕もとのスタンドだけのある部屋だ
天井の灯りは消されている
目の前で、するすると着ているものを脱ぐ女
「ご紹介の人が真っ当な感じでよかったです」
「真っ当ですか・・」
「真面目そうだもんね、もしかして初めて?」
「あ・・正直に言うとそうです」
「そう、わたしで良かったのかしら」
「なにが?」
「筆下ろし・・」そう言って女はクスッと笑った
「あなたも脱いでくださいね」
下着だけになった女は先に布団にもぐりこんだ
夏場ゆえ、掛布団はなく薄いタオルケットだけだ
僕は着ているものをすべて脱いで
女の待つ布団へ無様な格好で入り込む
「好きにしていいですよ」
「はい・・」
「暑いわね」
女が手を伸ばして扇風機のスイッチを入れる
モーターの回る音、生暖かい風がかき回されていく

柔らかい乳房、重ねた唇の中へ入りこんでくる女の舌
「うふん、サービス、あなた、可愛いもの」
そう言いながら女は自分から僕の上に乗りかかってきた

ダダ、ダダンダダン、ダダンダダン、ダダンダダン
電車が通過しているのだろう
車輪の音ごとに部屋が少し揺れる
女の口が僕の身体を這う
汗と唾液が混ざり合った香りが漂う

「ね、朝まで居てくれますか?」
「あ・・いいんですか、二時間ってお伺いしましたけど」
「あなたはホント、特別、可愛いから」
女の黒髪が僕の頬に罹る
僕は「ありがとう」と言いながら女の身体をくるりと返し
女の躰に乗る
「うふ、頑張ってやってみてね」
女を抱きしめる
互いの汗が肌の間を流れる気がする
圧された乳房が僕を急かせる
「急がなくていいわ、女はこういう時、ゆっくりと攻めてもらえるのが嬉しいの」

ダダダダ、ダダダダ、タン~タン~タン~タタンタタンタン~タン~
あの音は二両で一つになった黒い電気機関車だろうか
女が僕の手を優しく誘ってくれている

汗と体液と唾液の匂い、そして時折流れる女の喘ぎ
なまめかしく動く細く綺麗な女の腕
レールジョイント、揺れる部屋、扇風機の音
生暖かい風、どこからか入り込んできた虫の舞う音

遠い昔の微かな夢
遠い昔の一夜だけの恋
遠い昔の誰にも話さない内緒の夜

 

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