私的海潮音 英米詩訳選

数年ぶりにブログを再開いたします。主に英詩翻訳、ときどき雑感など。

再開 不死なる幼きころに 十一連目〔最終連〕

2014-08-30 13:38:51 | 英詩・訳の途中経過
Ode:
Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood

William Wordsworth

XI[l.188-204]

And O, ye Fountains, Meadows, Hills, and Groves,
Forebode not any severing of our loves!
Yet in my heart of hearts I feel your might;
I only have relinquished one delight
To live beneath your more habitual sway.
I love the Brooks which down their channels fret,
Even more than when I tripped lightly as they;
The innocent brightness of a nea-born Day
Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye
That hath kept watch o'er man's mortality;
Another race hath been, and other palm are won.
Thanks to the human heart by which we live,
Thanks to its tenderness, its joys and fears,
To me the meanest flower that blows can give
Thoughts that do often lie too deep fore tears.



頌歌 ―不死なる幼きころに

ウィリアム・ワーズワース

XI[188-204行目]

ああ汝よ 湧きだすものよ芦原よ 丘よ木立よ
うたがうな 吾らの愛は断ちきれぬ
今も心の奥底で あなたの力を享けとめて
吾はひとつのよろこびを 永らうために手放した
さらに久しい吾ならぬながれのもとに生るために
みずからの水脈をさわがせ流れくる小川はどれも愛おしい
己自身が同じほど重さを知らぬころよりも
あたらしく兆すその日の穢れない光はいまも
心惹き
落ちる日にまつろう雲は
とりはらう 醒めたうわべの装いを 
死すべき人の定めだけ 眺めつくしたひとみから
つぎの歩みを踏まずには つぎの報いは勝ちとれぬ
生きて永らうよすがたる人のこころがあればこそ
震えやすさと歓びと畏れごころがあればこそ
ありふれた花もしばしば泪より
深いあわれをもたらそう



 ※コザカナです。半年ぶりに訳を再開いたします。ワーズワース「不死なる幼きころに」、これでようやく終了しました。188行目「ああ汝よ」は「ああナレよ」、192行目「生る」は「アる」、193行目「水脈」は「ミオ」とお読みください。
 
 以下、私事の繰り言になります。かなり長いです……

 半年の停滞のきっかけは、この十一連目が全く訳せなかったためでした。語学力の問題もさることながら、190~193行目および198~200行目の意味がどうにも取れなかったのです。
 ついでに、プロフィール「半無職」ですが、今現在、私には一応仕事があります。しかしあまり安定した職ではない。そのため年度末は落ち込み気味でした。自分がこの上もなく無能で無価値な人間に思えてならず、現実逃避のように「何かを書こう!」と思っても、ここ二年ばかりしつこい便秘のように書けない状態がつづいており、そのためさらに惨めさがつのるという……鬱のスパイラル状態でした。そんなときの唯一の逃げ場だったはずの詩の訳さえ上手くいかず、いっそ書くことそのものを止めてしまいたくなったのです。

 半年前と比べて、現状は何も変わっていません。職は相変わらず不安定ですし、書けないので調べものばかりしている状態も依然として続いています。しかし十一連目が訳せました。「吾はひとつのよろこびを 永らうために手放した/さらに久しい吾ならぬながれのもとに生るために」。
 この二行の意味があんなにも解らなかったのは、結局のところ私の精神状態にも問題があったのかもしれません。ワーズワースを訳すのは、私にはちょうどいい習練かもしれません。今回の作品など、ところどころかなり説教くさいと思わないでもないのですが……ここは謹んで拝聴いたします。
 この詩人は、私にとっては「わが師よ」って感じです。お友達にはなれないが大いに尊敬する。「わが友よ」はコールリッジかな? べつだん尊敬も共感もしないが妙に好き。マーヴェルおよびエリオットは……おこがましいながら、「自分と同種の生き物」という気がします。彼らの詩を上手く訳せるときの感覚は憑依のようです。しかし、ワーズワースに関してそれはない。彼は他者です。私はようやくこのごろ他者を興味深く思えるようになったようです。

 ……長々と自分語りを失礼いたしました。ともあれ、詩の訳は今後も細々と続けていこうと思います。当面は無論ワーズワース。よろしければお付き合いください。

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