私的海潮音 英米詩訳選

数年ぶりにブログを再開いたします。主に英詩翻訳、ときどき雑感など。

内戦期の黙想Ⅶ

2011-09-09 10:06:39 | 英詩・訳の途中経過
Meditation in time of Civil War W. B. Yeats

I see Phantoms of Hatred and of the Heart's Fullness and of the Coming Emptiness


[ll.18-20]

Their legs long, delicate and slender, aquamarine their eyes,
Magical unicorns bear ladies on their backs.
The ladies close their musing eyes. No prophecies,


内戦期の黙想   W・B・イェイツ

憎みと心の充ちたりと来たる虚しさのまぼろしをみる


[18-20行目]

長くかぼそく脆い肢と うみのみどりのひとみの
あやかしめいた一角の獣の背に貴女がのる
物思うひとみをとざして


 ※No prophesies以下は次に。「貴女」は「きじょ」です。

 一角獣の背にのる沈思する貴女のイメージにふとエリオットのAsh Wednesdayを思い出しました。Ⅳの後半に、明るい白い光をまとってやってくる「彼女」と「弔いの車に引かれる一角獣」の幻影が出てくるのです。2009年9月27日に訳がありますのでよろしければご比較を。同じくash-WednesdayⅡに出てくる「しじまの貴女=Lady  of silences]のイメージともどことなく重なる気がします。
 
 ところで、私の好みの詩には作者を問わずちょくちょくこの「語らぬ貴女」のイメージが出てくる気がします。自己の奥底に潜む永久にして女性的なるなにか……と言ってしまえばそれまでなのでしょうが、このごろ、このアニマの「女性性」というのは、生まれついての性差というよりいわゆる社会的性差なのかなあという気がしてなりません。自我を確立した「私」の内に潜む自我を意識しない部分、能動に対する受動、主体に対する客体、自分の意志こそをすべての上位におく「私」に対して、自分を無にすることにこそ喜悦を感じる部分といったところか。……私が得々と語るまでもなく分析されつくしていそうなテーマですが、イェイツはこの「自己の内なる「女性」…この言い方はなんだか違うな。古来女性に期待されてきたことの多い受動性や無私の心地や感覚的で肉体的で非理性的な性質は、べつだん生来女性に付与されているわけではないはず。言い直すと、イェイツはこの「自己の内なる受動的な部分」にかなり敏感な詩人だった気がします。「私」と認識しない部分だから感覚的にとらえると「自己の内なる他者」になるのでしょう。昼間から長くなりました。あとでゆっくりまとめなおしてみよう。このごろ夕方~夜が塞がっていてさみしい。夜のほうが筆が進む気がする…というのは、まちがいなく気のせいなのでしょうが。

 



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