楽園の復活 ―マイ・コールド・プレイスー ④
さて、ここまでガチョウを解体して見えてきたことがある。どうやら私の「楽園」には単純にかつ巧みに描かれた視覚的要素が不可欠であるらしい。私が求める「楽園」の描写はだれが思い浮かべても八割がた共通する色彩と構図を備えていなければならないのだ。私は音楽より絵画を愛する人間である。不謹慎な例えだが、かりにどちらかを失うなら、視覚よりは聴覚のほうがまだ耐えられる気がする。作者に彼らの「楽園」が本当に見えているか、もしくは、見えないものをかたちづくるためにひとつずつ細部を積み上げているか。おそらくその点が重要なのだろう。不遜ながら断言すると、N・スプリンガーには見えていない。あるいは嗅いでいるのかもしれないが。
これで要件のひとつは分かった。視覚的要素である。だがおそらくこれは充分条件ではない。ただ見えればいいというものではないのだ。では私の「楽園」に必要な第二の条件はなにか?
ここでもうひとつのサンプルを引く。まったくファンタジーではないのに、読むたびに濃密に「楽園」の香気を感じるR・サトクリフの児童歴史小説『ともしびをかかげて』の一節である。
アクイラには、一瞬、ろうそくのあかりのなかのみなれた情景が、まるで琥珀のなかにでもとじこめられているように思われた。父とデミトリウスは、チェスの盤をなかにしてすわっていた――ふたりはよく夜にチェスをするのだった。象牙と黒檀の市松模様のます目の線はかすかに盛りあがっていた。フラビアはとろとろと燃える火のまえにしいたオオカミの毛皮の上にすわり、よくやるように、壁からとりおろした古い騎兵用の剣をみがいているところだった(サンプル④)。
間近に「蛮族」の侵攻が迫った属州ブリタニアで、ローマ軍人であるよりも土地の人間であることを選んで撤退するローマ軍の陣営から脱走した青年アクイラが、帰りついたわが家の内を戸口から眺めるシーンである。二日後の夜、彼の家は襲撃を受け、「みなれた情景」は二度と戻らなくなる。
作者の絵画の素養のためもあってか、目に見えるような細部の描写と色彩感覚のみごとさは言うまでもない。チェス盤の白と黒、燃える火の赤色、毛皮の褐色――それらがみな「琥珀のなか」で淡い金色に煙っている。この光景に息苦しいほどの香気を与えるのは、だがけっして色彩だけのなせる技ではない。全体が過去を思い出させるためである。「みなれた情景」、「ふたりはよく夜にチェスをする」、「よくやるように」、この三つのフレーズが、光景がアクイラにとってなつかしいものであることをありありと教えてくれる。
この点は、サンプル①と②も同じである。①の場合、「あわだち、わきかえっておどったまま、その瞬間にこおった形」が、過去にこの川が流れていたことをはっきりと感じさせる。そしてまた「こおり」はそのうち溶けるのだということも。
サンプル②の場合、作者の明確な意図も手伝ってか懐古はさらに濃い。「上古の春と変わらぬ青々とした緑の草地」、「葉はすでに落ちていました」。予備知識のおかげをもってとはいえ、緑なす神秘の森が遠い昔から緑であったことと、その緑が未来にはつづかないだろうこととが、感じられてやまない。「楽園」はつかのまの休息の場所である。そして、そこはたいてい「失われた過去」を感じさせる。
はじめにあげた「描かない」作家としてのA・ル=グウィン――ゲド戦記第二作『こわれた腕輪』の冒頭にみられる「夕闇の迫る谷間(=少女の故郷)」への甘く滲むようなななつかしみからして、この作家は意識して「描く」ことを避けている気がしてならないが――が、かりに「描く」作家であった場合、『影との戦い』のゴント島はおそらく「楽園」たりえただろう。疲れはてた若者が無意識に帰る場所、そしてまた旅立ってゆく場所なのだから。後半、傷つき、ハヤブサに姿をかえたゲドが帰りつくかつての師の小屋は次のように描写される。
外は雪が降っていた。ゴント山の山腹が迎えたこの冬はじめての雪だった。オジオンの小屋の窓にはぎっちりとよろい戸がおろされていたが、しんしんと屋根に降り積む雪の音や、小屋を包む深い静寂はよろい戸を通して手に取るように伝わってきていた。ふたりは長いこと、炉辺に座っていた。
このさまはどこかサンプル④と似ている。私はこの描写に作者の強い自己抑制を感じる。もしも――もしもこの作者が描写に感傷をまじえることを潔しとするなら、それはこんな風になったかもしれない。稚拙ながら三つほどフレーズを挿入してみる。
外は雪が降っていた。ゴント山の山腹が迎えたこの冬はじめての雪だった。以前と少しも変わらず、オジオンの小屋の窓にはきっちりとよろい戸がおろされていたが、しんしんと屋根に降り積む雪の音や、小屋を包む深い静寂はよろい戸を通して手に取るようにつたわってきた。なつかしい静寂だった。かつていくどもしたように、ふたりは長いこと、炉辺に座っていた。
いかがなものでしょう?
続
さて、ここまでガチョウを解体して見えてきたことがある。どうやら私の「楽園」には単純にかつ巧みに描かれた視覚的要素が不可欠であるらしい。私が求める「楽園」の描写はだれが思い浮かべても八割がた共通する色彩と構図を備えていなければならないのだ。私は音楽より絵画を愛する人間である。不謹慎な例えだが、かりにどちらかを失うなら、視覚よりは聴覚のほうがまだ耐えられる気がする。作者に彼らの「楽園」が本当に見えているか、もしくは、見えないものをかたちづくるためにひとつずつ細部を積み上げているか。おそらくその点が重要なのだろう。不遜ながら断言すると、N・スプリンガーには見えていない。あるいは嗅いでいるのかもしれないが。
これで要件のひとつは分かった。視覚的要素である。だがおそらくこれは充分条件ではない。ただ見えればいいというものではないのだ。では私の「楽園」に必要な第二の条件はなにか?
ここでもうひとつのサンプルを引く。まったくファンタジーではないのに、読むたびに濃密に「楽園」の香気を感じるR・サトクリフの児童歴史小説『ともしびをかかげて』の一節である。
アクイラには、一瞬、ろうそくのあかりのなかのみなれた情景が、まるで琥珀のなかにでもとじこめられているように思われた。父とデミトリウスは、チェスの盤をなかにしてすわっていた――ふたりはよく夜にチェスをするのだった。象牙と黒檀の市松模様のます目の線はかすかに盛りあがっていた。フラビアはとろとろと燃える火のまえにしいたオオカミの毛皮の上にすわり、よくやるように、壁からとりおろした古い騎兵用の剣をみがいているところだった(サンプル④)。
間近に「蛮族」の侵攻が迫った属州ブリタニアで、ローマ軍人であるよりも土地の人間であることを選んで撤退するローマ軍の陣営から脱走した青年アクイラが、帰りついたわが家の内を戸口から眺めるシーンである。二日後の夜、彼の家は襲撃を受け、「みなれた情景」は二度と戻らなくなる。
作者の絵画の素養のためもあってか、目に見えるような細部の描写と色彩感覚のみごとさは言うまでもない。チェス盤の白と黒、燃える火の赤色、毛皮の褐色――それらがみな「琥珀のなか」で淡い金色に煙っている。この光景に息苦しいほどの香気を与えるのは、だがけっして色彩だけのなせる技ではない。全体が過去を思い出させるためである。「みなれた情景」、「ふたりはよく夜にチェスをする」、「よくやるように」、この三つのフレーズが、光景がアクイラにとってなつかしいものであることをありありと教えてくれる。
この点は、サンプル①と②も同じである。①の場合、「あわだち、わきかえっておどったまま、その瞬間にこおった形」が、過去にこの川が流れていたことをはっきりと感じさせる。そしてまた「こおり」はそのうち溶けるのだということも。
サンプル②の場合、作者の明確な意図も手伝ってか懐古はさらに濃い。「上古の春と変わらぬ青々とした緑の草地」、「葉はすでに落ちていました」。予備知識のおかげをもってとはいえ、緑なす神秘の森が遠い昔から緑であったことと、その緑が未来にはつづかないだろうこととが、感じられてやまない。「楽園」はつかのまの休息の場所である。そして、そこはたいてい「失われた過去」を感じさせる。
はじめにあげた「描かない」作家としてのA・ル=グウィン――ゲド戦記第二作『こわれた腕輪』の冒頭にみられる「夕闇の迫る谷間(=少女の故郷)」への甘く滲むようなななつかしみからして、この作家は意識して「描く」ことを避けている気がしてならないが――が、かりに「描く」作家であった場合、『影との戦い』のゴント島はおそらく「楽園」たりえただろう。疲れはてた若者が無意識に帰る場所、そしてまた旅立ってゆく場所なのだから。後半、傷つき、ハヤブサに姿をかえたゲドが帰りつくかつての師の小屋は次のように描写される。
外は雪が降っていた。ゴント山の山腹が迎えたこの冬はじめての雪だった。オジオンの小屋の窓にはぎっちりとよろい戸がおろされていたが、しんしんと屋根に降り積む雪の音や、小屋を包む深い静寂はよろい戸を通して手に取るように伝わってきていた。ふたりは長いこと、炉辺に座っていた。
このさまはどこかサンプル④と似ている。私はこの描写に作者の強い自己抑制を感じる。もしも――もしもこの作者が描写に感傷をまじえることを潔しとするなら、それはこんな風になったかもしれない。稚拙ながら三つほどフレーズを挿入してみる。
外は雪が降っていた。ゴント山の山腹が迎えたこの冬はじめての雪だった。以前と少しも変わらず、オジオンの小屋の窓にはきっちりとよろい戸がおろされていたが、しんしんと屋根に降り積む雪の音や、小屋を包む深い静寂はよろい戸を通して手に取るようにつたわってきた。なつかしい静寂だった。かつていくどもしたように、ふたりは長いこと、炉辺に座っていた。
いかがなものでしょう?
続
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