行ってみたい観音霊場を4つ上げてみました。
第四番 槙尾
富田林をすぎるころから、道は山へ入り、長野につくと、ここに金剛寺という寺がある。千早城、観心寺なども遠くない。密教の寺院らしく、山間の谷間に建ち・・・・有名な「日月山水図」も、金剛寺の所蔵で、幾重にも畳んだ山の姿が槙尾へかけての風景にそっくりだ。
第十二番 岩間寺
・・・切ってみると、千手観音の像が現われ、そのまま彫刻しておまつりしたのが、この寺のはじまりであるとかで、その切株は、今でも神木として、本堂の前に残っている。一種の胎内信仰といえようが、木の中から、観音が出現したというのは、どこにでもある話だが、おもしろい。逆にいえば、その野生のエネルギーが仏教を消化し発展させたといえるのではないだろうか。
第二十一番 穴太(あのう)寺
すべてそうしたことは、石の信仰と切放して考えるわけにはゆかないと私は思う。私たちの祖先は、実に長い間、石を拝んで来た。愛して来た。そういう長い付き合いの中から、石の言葉が生まれた。石庭とは、そういうものではなかったか。・・・・庭を通して神を拝むという本来の目的を忘れたら、石庭は成立たない。
第二十五番 清水寺
三十三ヶ所のうち、清水寺は二つあるが、この方は丹波と播磨の境、兵庫県社町平木というところにある。・・・・篠山と三田の中間を西に入った山奥と思えばいい。
サマリー、まとめ)人は古来より石、木、山、水、太陽、月などの中に神仏を見出してきた。霊場はそれと対峙する(向かい合う)場所。たしかに伊勢神宮には風日祈宮(かざひのみのみや)がある。風の中にも神がいる。
感じる→観ずるで共鳴、対話できるのではないか。
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