日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

赤木圭一郎の時代

2007年03月09日 11時02分41秒 | 残日録
昨日、水原弘の時代を書きましたが、続きとして赤木圭一郎を・・。

赤木圭一郎:本名赤塚親弘(あかつか・ちかひろ、愛称トニー)1939/05/08~1961/02/21 22歳の紅顔のまま昭和の時代を逝った。

1939 東京麻布に生まれる。
1944 東京が空襲が激しくなり、湘南へ疎開。
1958 4月成城大学に入学、8月に日活ニューフェイスに応募、合格。9月には早くも「明日を賭ける男」に出演。
1959 1月「嵐を呼ぶ友情」、3月「群集の中の太陽」に出演。4月「拳銃0号」で、本格デビュー「赤木圭一郎」のクレジット付く。9月「素っ裸の年齢」で初主演。9月「清水の暴れん坊」で石原裕次郎と共演。
1960 2月「抜き射ちの竜」初のカラー作品。この年11本の主演映画を撮る。
1961 2月「紅の拳銃」最後の主演作。2月11日撮影所内でゴーカートを運転中、鉄扉に激突。2月21日22歳の若さで逝ってしまった。成城大学在学中の死でもあった。若くして自動車事故で逝った「ジェームス・ディーン」に準えて「和製ジェームス・ディーン」と言われた。実質1年半の俳優生活であったが、強烈な印象を残して駆け抜けた。
大好きだった赤木圭一郎は、46年経った今でもファンクラブが存在している。赤木圭一郎を偲ぶ会
彼が映画の挿入歌で歌った「霧笛が俺を呼んでいる」(シングルカットもある)は、決して上手でない歌唱力だったが、マイナー音階がなんとも言えぬ雰囲気を醸し出していた。音痴のkunio_nikkiにも歌える愛唱歌でもあった・・・・・・。


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