日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

姫路城の秘密と・・・・暑さ!

2010年07月24日 22時01分46秒 | 残日録
姫路城の平成の大修理も・・・。

姫路城が素屋根に覆われる日も近づいてきたようだ。
定点撮影も半ばというところかも。連日の暑さに閉口しながら、雲の少ない日を狙って更新していくことなんですが・・・。7月21日に更新できたのは幸いでした。

連日の暑さにフル回転していた「居間」のクーラーが、その動きを止めた。あれこれ愚痴を言っても、もう言うことを聞かない積りのようだ。(そんなに使っていないと思うのだが・・・5年?)連日の暑さでは修理も聞いてもらえそうにないので(大した故障ではないかも知れないが・・・ヒューズ1本とか・・あるいは数万円もの修理かも・・)、某家電量販店に見に行った。少しくらい高いものでも「この暑さ」には代えがたいものがある。工事予定が混んでいて3日程・・・云々で早々に退散した。
その近くの量販店で・・・「当日工事を引き受けます」の声で、進められた少し大型のものを決断した。「そっくり取り替え」を頼んだので、電気工事や台座などの付帯工事が必要ないので・・数十分(45分)程度で完了した。11時ころの購入で、夕刻の7時には工事が終わったのはうれしい出来事でした。お金に代えがたい「涼しさ」夕刻には戻ったのだが・・・懐もだいぶ涼しくなったのは間違いない。

片喰(酢漿草)

2010年07月05日 15時28分30秒 | 気まま日記
庭先に片喰(かたばみ)が咲いた。

この画像は、紫片喰であるが、黄色い花の片喰は、本当に根強いもので、一度根付くと絶えないことから、子孫繁栄のシンボルとして「家紋」(三葉だけのものや丸に片喰など)に採用されている。
この片喰(写真)は、「すいっぱ」ともいわれて、口に含むと独特の酸味がある。
可憐な花が少しの日陰などで咲いている様は美しいものだ。

病弱になってみると、死生観も随分と変わるものだが・・・・。

参議院選挙も近づいてきて、長く国会議員を勤めてもらっても、そう有り難いと思える人物はいないものだなあ!
いでよ!斬新なる政治家。国を導ける若者よ!

投票する気にならないよ!

「百年安心」の年金だって数年でダメとなったし・・・。消費税などの増税談義に花を咲かすよりも、せめて30年後の未来(子供たちの世代)に何を残すのか・・・。どんな国を目指すのか指針を示せよ!そのあとに、増税を言うなら、何に金を使うかが分かり安心して増税に応じましょう。
「お金が足らん」、「お金が足らん」では、安物の亭主だよ!奥さんに「何に使うのよ?」でバッサリカットされるよ!奥さんが、安心して金を出す方策がないのなら、議員に向いてないよ!

あの尊敬に値する「白楽天」の詩にも「致仕」(官職を退くこと、ひいては引退、隠居)についてのものがある。
古来(当時)、70歳(かぞえどし:生まれた時が1歳で迎える正月が2歳となる。12月31日生まれは翌日に2歳となる。で約68歳)で、致仕したものだが、白楽天は、若い時に、退かない人物を、ボロクソにけなしている。
年月が流れ、彼自身は・・・・達観した人生を送ったわけではない。閑職とはいえ、71歳で退くのだが・・・・。未練をもっていたのだろう。若い時分の考えを、忘れたわけではないが無視したようだ。(自分には甘い)国会議員も70歳程度が限度と思えるのですがねえ!

一方、武士の世界では、身分制度の確立された世の中とはいえ、40代で引退し、次の世代に引き継ぐ多くの人がいた。
豪商だって、若くして引退し、旅行(ほとんど徒歩旅行:自動車なら3時間かからない距離)をたのしんでいる。赤穂の商人だって、城崎温泉に湯治をかねて1ヶ月ほどの旅行を楽しんだのだ。若くないと当時は旅行なんて出来ないことだったのだ。

今日、半夏生!

2010年07月02日 13時11分37秒 | 残日録
今日は、半夏生(半化粧)だ。

半夏生の葉が、半分白くなる季節でもある。
「麦わらタコに祭りハモ」とは、半夏生のころには、生まれて10ヶ月ほど経過したタコが一番美味しくなる季節であり、同時に祭り(祇園祭)には、ハモが美味しいとの京言葉である。
もっとも、京都の公家や武家の味覚だったかも知れないが、麦秋が終わって、田植えの稲も盛んに株(根)が分化する(たこ足のように)季節なので、百姓にもこの文化は浸透した。
我が家(小さな百姓)の食卓にも、今日、「タコとキュウリの酢もみ」があった。

半夏生のころの食べ物は地方によって異なっていた。農繁期が終わって「早上り(さのぼり)」となり、百姓はつかの間の「休み」をあじわうのだ。讃岐では、うどん(もちろん、休みで余裕があるから出来るのだが、自分の家で粉から打つ)。福井などでは、「焼き鯖」を食べているでしょうか。

「姫路城の秘密」35項目の「利隆暗殺計画」を考えている。「吉備温故秘録」を読んでいるが・・・十数行にまとめる能力がない。事件(1615年2月5日)から75年以上も経って書かれているし、利隆直系の光政が治世だし、思惑が入り込んでいるだろうし、小説のようにするしかないだろう。余談だが、この2月5日はkunio_nikkiの誕生日なのだ。

※「吉備温故秘録」:備前藩士の大澤惟定(市太夫)が、寛政年間(1789~1801)に見聞きしたことを編纂したものである。彼は、御後園(のち後楽園)奉行で、藩の中枢にいるし、利隆(姫路藩主)暗殺計画は、輝政後添えの督姫(ごうひめ)がわが子忠継(岡山城主だが幼いので、後見役が利隆)可愛さに姫路城を継がしたくて・・・・。事件は1615年だし、75年以上ものちの見聞録だし、編纂時には利隆の子「光政(名君で閑谷学校などを残している。姫路藩主~鳥取藩主~岡山藩主)」治世で安泰だったので、藩主を無視する形では書けないだろうよ。