28日(日)姫路城の「千姫ぼたん園」に行った。
今を盛りに咲き誇るぼたんは、見事だった。それに合わせて行われた「千姫お興し入れ行列」は、千姫が大阪城落城後、江戸に帰る道中に松阪で見初めた本田忠刻に嫁つぐ様を表現している。
千姫(1597~1666)は7歳で大坂城の豊臣秀頼に嫁ぐ(まだ家康より秀吉の力が強く人質の政略結婚)後、大坂城落城炎上のとき、秀頼は自害。千姫は火中より逃れるときに「坂崎直盛」に助けられる。家康が「千姫を助けた者に妻として与える」と言ったと伝えられ、千姫が江戸より桑名の忠刻のもとに向かおうとしているときに、その輿を奪おうとした。これも家康は予想していたらしく、なんと直盛の家臣に襲わせて殺害。
落城大坂城より江戸に向かう道中桑名で本多忠政の長男忠刻を見て一目ぼれ、美男と評判の相手であった(千姫まだ18歳)。好きな相手と結婚できるなんて考えられない時代に忠刻と結婚できたのは家康も秀忠も溺愛していたからである。
そして、この結婚が父の本多忠政の出世をももたらした。国替えで姫路城に移ったときに5万石を加増されて、15万石となった。そして千姫(忠刻)には秀忠より持参金としてなんと10万石が与えられた。10万石がいかに破格のものであるか、以前の伊勢桑名が10万石だったのですから・・・・・。
そのぼたん園は、人出が多く「花の写真」を求めて入れ替わり立ち代り、前をふさぐので、バックが暗くスポットライトが当たったように写すために、望遠で距離をおいて瞬間(ひとのいない)を捉えた。
f8 1/640 ISO 320 300mm
今を盛りに咲き誇るぼたんは、見事だった。それに合わせて行われた「千姫お興し入れ行列」は、千姫が大阪城落城後、江戸に帰る道中に松阪で見初めた本田忠刻に嫁つぐ様を表現している。
千姫(1597~1666)は7歳で大坂城の豊臣秀頼に嫁ぐ(まだ家康より秀吉の力が強く人質の政略結婚)後、大坂城落城炎上のとき、秀頼は自害。千姫は火中より逃れるときに「坂崎直盛」に助けられる。家康が「千姫を助けた者に妻として与える」と言ったと伝えられ、千姫が江戸より桑名の忠刻のもとに向かおうとしているときに、その輿を奪おうとした。これも家康は予想していたらしく、なんと直盛の家臣に襲わせて殺害。
落城大坂城より江戸に向かう道中桑名で本多忠政の長男忠刻を見て一目ぼれ、美男と評判の相手であった(千姫まだ18歳)。好きな相手と結婚できるなんて考えられない時代に忠刻と結婚できたのは家康も秀忠も溺愛していたからである。
そして、この結婚が父の本多忠政の出世をももたらした。国替えで姫路城に移ったときに5万石を加増されて、15万石となった。そして千姫(忠刻)には秀忠より持参金としてなんと10万石が与えられた。10万石がいかに破格のものであるか、以前の伊勢桑名が10万石だったのですから・・・・・。
そのぼたん園は、人出が多く「花の写真」を求めて入れ替わり立ち代り、前をふさぐので、バックが暗くスポットライトが当たったように写すために、望遠で距離をおいて瞬間(ひとのいない)を捉えた。
f8 1/640 ISO 320 300mm