日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

タレントの手綱!

2007年03月29日 13時00分10秒 | 残日録
イエローキャブのタレント「根本はるみ」さんが、ブログで失恋を告白した。根本はるみの波乗り日記(3月25日の日記)

先に、同じイエローキャブ所属タレントの「佐藤江梨子」さんが、ブログで失恋を告白したが、同じようなことを次々記入するなんて、タレントも低いところまで降りてきたものです。と同時に、先の「加護亜衣」さんといい、所属プロダクションの管理の甘さは、どうしようもなく地に落ちた感じです。
昔は、タレントは、「おならもしない」というくらいプライベートは隠されたものです。
テレビが発達し、タレントの粗製濫造が起こり、毎年毎年数千人からのタレントが誕生する。そして、タレントに対する管理やプライベートの指導がなおざとなり、メディアの多様化で、勝手に発表する場を得たから、こうなるのは自然の流れです。
「根本はるみ」さんは、「1万円生活」でも料理の腕前は、なかなかのものでしたし、なによりも明るい性格に好感がもてました。ただ、恋する相手を間違えただけです。また、喜んで発表する場があることを願っています。

歌謡曲の時代がまた消えた!

2007年03月28日 12時55分53秒 | 残日録
植木等(うえきひとし)さんが逝った。享年80歳。
歌謡曲の時代(昭和)を生きた巨星が逝った。「クレージーキャッツ(ハナ肇、植木等、谷啓、安田伸、犬塚弘、桜井センリ、石橋エータロー)」は、平成5年にリーダーの「ハナ肇」さんが逝って(享年63)解散したが、冗談音楽の時代の旗手を「ドリフターズ」に譲ってからは、平成64年に「安田伸(享年64)」、平成6年に「石橋エータロー(享年66)」を失い、忘れられようとした。植木さんは、平成2年に23年振りに紅白歌合戦に出場したが、最後の輝きであった。
※ 開催中の高校野球選抜大会は、3年生まで全てが「平成生まれ」の大会となった。

そして、歌謡曲の時代(昭和)は終わり、物語や日本語の通用しない、英語や造語の氾濫するデジタルホップス(CD)の時代へと急速に変化した。

江利チエミが逝き、石原裕次郎が逝き、美空ひばりが逝き、次々とその他の円盤レコード(ドーナツ盤やSP、LP盤)の巨星が逝って、老人には、解らない時代の波が襲ってきた。

ヤンキースの心配!

2007年03月25日 19時53分46秒 | ヤンキース
ヤンキースの開幕投手に「井川慶」投手が指名されそうです。

「王建民」投手が準備運動中に太ももの裏を痛めて、登板は4月一杯くらい回避されそうです。しかし、ヤンキースは、すでに「アンディ・ペティット」投手、「マイク・ムシーナ」投手の両ベテランが登板日に合わせて調整を始めているため、4月2日のタンパベイ・デビルレイズとの開幕戦には登板させづらい状況です。
そのため、「井川慶」投手と「カール・パバーノ」投手、「ジェフ・カーステンス」投手の3投手のいずれかが開幕投手を務めることになりそうです。
その中で最有力なのは、相次ぐ故障で1年半を棒に振ったものの、最もメジャー経験の豊富な31歳のパバーノなんですが。井川はメジャー挑戦1年目で、24歳のカーステンスも昨季に8試合を投げたのみだからだ。ただしパバーノも開幕投手の経験はなく、ジョー・トーリ監督はヤンキー・スタジアムでの開幕戦は独特の雰囲気があると懸念している。
パバーノはここまでオープン戦4試合に登板(うち3試合に先発)し、防御率5・84。12回1/3で18安打、7四球、5奪三振と結果を残せずにいる。
対して、井川は、オープン戦4試合通算、防御率3.00 12回0/3 10安打、12三振、10四死球です。当初四球が多かったですが、最近しり上がりに好調のようですから、開幕投手に指名されそうです。
王建民の足の故障は、ヤンキースにとって予想外の痛手です。彼の復帰するまでの1ヶ月を乗り切る投手のやり繰りは、苦しい予感が・・・。そして、去年から心配があるペティットの背中の痛みも心配です。やはり、去年から考えていた投手力の補強はもう1枚足らない不安がず~と付き纏っている。 

ああ!著作権!

2007年03月24日 20時17分38秒 | 気まま日記
漫画家松本零士さん(68)を、シンガー・ソングライター槙原敬之さん(37)が、盗作の証拠を示せと、損害賠償2200万円の訴訟を起こした。

先に、松本さんが無断使用と指摘したのは、歌詞の「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」というサビの部分。これは、「約束の場所」のテーマでもある。ワンフレーズではなく、3度も繰り返されている。
「銀河鉄道999」に使った「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」と合致すると主張していた。

「銀河鉄道999」は77年に連載が始まり、78年にアニメ化。79年に映画化もされ、このセリフは単行本(21巻)に収録され、映画でも使用されて、ファンの間では名セリフとして定着している。

槙原さんの弁護士は、巧妙な訴訟をしかけたものです。被害者であると言っている松本さんに「盗作たる証拠を示せ」とは、困難な試験問題です。
反対に、槙原さんが、「こんなシチエーションで、テーマを考えている時に、歌詞が浮かんだ」と証拠を示すことも困難でしょう。
一般的に、この問題で裁判所が的確に白黒をつけることさえ困難なことでしょう。しかし、途中でうやむやな形で、示談で決着することなく、判決で決着して欲しいものです。「著作権」を明確にするために!

※尚、「銀河鉄道999」は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」から題名を捩ったようですが、関係者の了承を得ているとのことで、盗作にはあたりません。槙原さんも、こんな歌詞が浮かんだんですがと了承をとっていれば問題なかったんですが・・・。しかし、「銀河鉄道999」を知らなかったなら、それもできませんから・・・。


市職員の採用に!

2007年03月23日 18時10分34秒 | 残日録
【加西市の2006年度の職員採用試験に絡み、中川暢三市長(51)が採用方法の変更を指示した問題で、事務職と消防職の合格者13人のうち、当初は不合格とされた7人が同市長の指示で採用されていたことが22日、分かった。同日開かれた加西市議会の百条委員会で、当時の担当職員らが証言した。幹部職員ら五人でつくる「市職員採用試験委員会」の当初の答申通りなら、事務職は上位10人が合格となるが、実際には10位以内の5人と11位以下の5人を採用。消防職も合格者3人のうち2人が4位以下だった。】

江戸時代の学問の基本、四書五経。四書は大学、中庸、論語、孟子で、五経は、易経、誌経、書経、春秋、礼記(らいき)。学問は昌平坂学問所を頂点に成り立っているんですが、進級は「素読」「復習」「初学」と進み、学内試験の「大試業」を経てのちに「諸会業」に進み、経史、刑政、天文地理、習字、算術、物産、有職故実(ゆうそくこじつ)を学び、3年に1度の幕府直轄の試験「学問吟味」に合格すれば、輝かしい出世の道があった。各藩は、それぞれ藩校を持っていて、人材を育て採用した。「大学」は、その呼称を現在に残し、小学校、中学校の制度へとなった。

江戸時代にすでに、試験による登用はできていましたが、それはそれは狭き門でした。家による職の継続と俸禄の継続が普通(家格の継続)ですから、余程の失敗がなければ、失職や切腹(お家断絶)なんてありません。なあなあの上に減俸(100石が80石と20%くらい。中には半減のときもある)で済ましました。しかし、戦国時代も終わり、世の中の仕組みが落ち着いてきましたから、目覚しい出世は、殿様のお気に入りになることや側近のお気に入りになることでした。なんと賄賂横行の世の中です。しかし、新規お召かかえは、「学問吟味」に合格すれば、輝かしい道も・・・。
加西市の市長は、封建時代の殿様なんでしょうか?「うい奴じゃ~!」と採用を決めるなんて!【賄賂などや選挙応援などの情実採用でないことを祈ります】
試験制度をとっている以上、情実採用はいただけません。特殊な現業や特別な資格のいる職については、試験なしの採用もあるでしょうが・・・。なによりも、試験で良い成績での不採用者は、一生の先行きを左右された訳ですから、選考のやり直しを求めるために、情報の開示を求めて下さい。




若い人!

2007年03月22日 19時05分54秒 | 残日録
統一地方選挙がいよいよ始まる。4年なんて早いものです。

今日、若い人(32歳)の訪問があった。
上り詰めた議員のように、安心感に満ち溢れた「傲慢さ」や「見下ろすような態度」がない。中都市の市会議員1期だけで、県会議員選挙に打って出ようとするんですが、「これから登ろう(チャンスがあれば国会議員までも見据えて)とする」勢いと、若さに裏打ちされた謙虚さには、感動さえ覚えるような新鮮さがある。応援せずにはいられない。


大学の卒業以来会っていない友から電話があった。4月12日(金)に、4人で京都で会うというので、「楽しみです」と返事した。(京都の友が目を悪くしているので、京都でということになった)
「土地のおみやげ」を朝早く買いに行かねば・・・。今から、電車などのスケジュールを調べて、うきうきしている。食事は、「木乃婦」を予約したとのことだった。しかし、老いた身の上なので、服装には頓着せず(友人に失礼かもとの考えはあるが)いつもの運動靴でラフな服装で出かけるつもりです。但し、40年を相当越える年月会っていないので、顔が解るかどうか・・・、携帯番号を知らせあって、着いたら電話をすると伝えた。

高校の同窓会は、4月7日(土)に、ハイキング班や散歩班、準備班(バイキングの)で、桜舞い散る公園で決まっているが、4時間のコースに挑戦します。天気が良ければいいんですがね~!コースの地図や見所などを3枚の用紙にプリントしたので、コピーしてハイキングの参加者に渡すつもりです。

園田の三人

2007年03月22日 17時52分50秒 | 気まま日記
公営競馬の「園田・姫路競馬」から3人の騎手(小牧太、赤木高太郎、岩田康誠)が中央競馬へと旅立って久しい。彼らの活躍は、うれしいものがある。しかし、肩入れが増して、馬券という博打では、大敵になってしまった。
現在、栗東所属騎手のリーディングでは以下の結果です。
2位 岩田康誠 35勝、2位33回、3位34回、4位以下121回、連帯率0.305
7位 小牧太 13勝、2位12回、3位18回、4位以下136回、連帯率0.140
16位 赤木高太郎 9勝、2位8回、3位6回、4位以下119回、連帯率0.120
それだけでは納得できず、データーとして、人気に対する実際の着順を記録しているが(人気の馬に乗せてもらっていないのではないかと)、1番人気の馬で1着なら、指数は1となり、2着なら、0.5。ほとんど1番人気に乗る「武豊」騎手など、この指数では悪くなる。その結果は、岩田騎手の35勝も小牧騎手の13勝も、赤木騎手の9勝も納得のものでした。人気の高い馬に乗せてもらっている順番です。低人気の馬に乗る赤木騎手はそこそこ、いい指数ですが・・・(10番人気以下でも2~3着にくるから)。
これが、馬券を取れない(的中できない)結果です。武豊騎手など、ほとんど1番人気ですから、買わない(的中しても安い)ですから「きます」。たまに、お金が欲しくて、人気でもと少し多めに買うと「こない」から嫌になります。典型的な「買えばこない、買わないとくる」の悪循環に陥ってしまいます。そして、穴狙いということになり、赤木騎手に肩入れして、少ない小遣いの財布(縞の財布じゃ~ない。遊び所で縞の財布が軽くなるという歌がある)が、軽くなるばかりです。
そして、「おけら横丁」を、「もう博打はしないぞ!」と帰ります(実際は、インターネット投票)。ほとぼりが冷めると、「当たるかも」と、欲する心に負けてしまいます。
あ~あ!それが、人生です!反省のない人生なんてあり得ないよ~だ!

ああ!桜島!

2007年03月21日 20時53分21秒 | 残日録
20日午後3時半ごろ、桜島の南岳山頂火口が噴火し、高さ約2700メートルの噴煙を上げた。噴煙の高さは今年最高。
                  
しかし、「噴火」の基準に達しなかったようです。(振動などが、各観測地点で基準以下だった)
戦後も落ち着きを取り戻して、昭和40年代(1965~)にもなりますと、新婚旅行は、熱海、白浜というような温泉地から、宮崎、鹿児島というのが全盛の時代でした。
【海外に新婚旅行とは考えられない時代でした。円は、1ドル360円で固定され、外貨準備もままならず、外貨持ち出しは厳しく制限されていたからです。今、国債という赤字を垂れ流しながら、アメリカの国債を買って支える構造は想像もできませんでした。】
新婚旅行は(飛行機でしたが)、今から37~8年も前にもなりますが、噴煙を盛んに上げ、危険極まりない雰囲気でした。写真のような茸雲というほど高くはありませんでしたが、それでも風向きによっては、鹿児島市内にも灰が降って、霞んで見えていました。
桜島の荒涼たる風景は、田舎者には、異国のごとく感じたものです。汽車がようやく蒸気機関車から、電車へと変わろうとしていた時代でしたが、東京~大阪でも6時間も掛かっていましたから、九州へは夜行列車でした。そこで、人生初めて飛行機(40人乗り程度)に乗りました。
また時間が許せば、自動車でゆっくり廻りたいものです。

こんな鉄人見たことない!

2007年03月19日 19時36分56秒 | 応援します!この人生!
54年も前の、1953年のボストン・マラソンで優勝した大館市出身の山田敬蔵さん(79)が18日、台湾中部の雲林県で行われた第1回台湾国際マラソンで42・195キロを4時間半かけて完走した。
左ひざの痛みから足を引きずるようにゴール。「最後の4キロは遠かったが、何とかゴールを、と頑張った」と話し「来月のボストン・マラソンでも走る」と意欲満々だ。
今も毎日、多摩川沿いを30キロ走る山田さんの通算走行距離は今年1月に35万キロを達成。次の目標を「地球から月までの距離とされる約38万キロに定めた」。
なんという鉄人でしょうか。79歳にして毎日30Kmを走っているんですから、恐ろしいくらいの鉄人です。38万Kmといえば、フルマラソンで9000回を越えますから、毎日フルマラソンを走っても、なんと24年8ヶ月もかかります。比べるべき記録はないでしょう。競技を退くと、なにも運動をしないとか楽な競技に目を向け勝ちですから、若い時分の「意気」と「情熱」を持ち続けるなんて「奇跡の人」という他ありません。王監督(この人も偉大すぎて形容詞はいらない)も死ぬまで監督を公言していますから、山田敬蔵さんは死ぬまで「ランナー」でいて下さい。あなたは、あなたの足は偉大です。あなたは、日本の誇りです。kunio_nikkiより一世代上の世代ですから、例えようのない偉大さです。
【山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年11月30日 - )は、日本のマラソン選手。秋田県大館市出身。
1952年、戦後の日本が初参加となったヘルシンキオリンピックに、マラソン日本代表として出場。25位。 翌1953年4月20日ボストンマラソンにおいて優勝。記録は2時間18分51秒。当時世界最高記録とされた(のちに距離不足が判明している)。】