日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

日活の良心・・・

2008年06月30日 20時36分29秒 | 残日録
1965年制作の映画「明日は咲こう花咲こう」(吉永小百合、三田明・・・)を見た(NHK・BS)。

43年も前の映画だ。当時日活は、アクション路線と純愛路線との両輪で全盛であった。石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・高橋英樹・和田浩二・・・二谷英明・宍戸錠・川地民夫・・浅丘ルリ子・吉永小百合・和泉雅子・笹森礼子・金子信雄・岡田真澄・・・切りがない程「スター」がいた。
この頃にはあった「日活の良心」が、青春映画にも物語を与え、多くのエキストラに支えられ、感動を与えるものに仕上がっていた。

映画が斜陽と言われ始めると、日活は「ポルノ」路線へと走り初めてしまった。

余計に観客は離れていった。松竹は、「寅さん・・」に続く「釣りバカ・・」や「魚河岸・・」シリーズ路線で、生きる道を進んでいる。
一部、大型路線で・・・の向きもあるが、大儲けはむずかしいでしょう。

全盛を誇っているテレビだって、その視聴には高齢化が進んでいる(アメリカの調査では50歳を越えている)。日本でも音楽配信やネットの高速化で、テレビも安心できる環境ではなくなってきているのでしょう。若者はテレビの前を離れつつある。
テレビは、おそらく映画を習って、低俗化へとは進まないとは思ういますが・・。デジタルと大画面を生かす道はあるんでしょうか?

ムラサキカタバミ咲く

2008年06月27日 11時08分49秒 | 気まま日記
プランターのユリの足元に「ムラサキカタバミ」が咲いた。

「カタバミ」は、黄色の花が鮮やかですが、一転この「ムラサキカタバミ」は、透き通るような薄い紫色が清楚な上品さを見せている。

カタバミ類は、ハート型の三つ葉であるが、野の花として目立たない小さな花ですし、どこにでもある雑草です。それでも多くの人に愛されたのでしょう。日本の「五大紋」の一つで「酢漿草紋または片喰紋と書くが両方(かたばみもん)と読む」で、外周に○を配した「丸に酢漿草紋・片喰紋」もある。不思議にも源氏を源にする氏と平氏を源とする氏両方にこの紋はある。
kunio_nikkiは、源氏をもとにする「片喰(かたばみ)紋」だと思われます。

鳥が運んできた南天

2008年06月26日 18時19分58秒 | 気まま日記
庭先に「南天」の花が咲いた。

白い小さな花で、少しも美しいと思わない花だ。しかし、このタワーのような花が実ると赤い小粒の丸い実が鈴なりとなって、ヒヨドリなどの好物となる。そして、落とした糞から発芽したものだ。実生のものだ。

南天は、正月の縁起物となっている。松竹梅の盆栽などの横に植えられる。あるいは、門松にだって添えられる。「南天」が「難転」と同じ発音なので旧年の「難」(難儀や災難)を新年には「幸運」へと転じてくれるという訳です。このように言葉遊びのようにだじゃれ的に言葉を選んでいたのは、江戸の庶民からが多い。
昆布は「喜ぶ」。数の子は、「子沢山」。串柿だって「外は二個二個、中睦まじく」と配列されている。そして、南天の木(太くなるまでかなりの年月がかかる)を箸にしたものは、かなり高価だ。のどあめだってある・・・・・。

伊の世界遺産に落書き!

2008年06月25日 19時33分39秒 | 残日録
岐阜市立女子短期大学の学生が「落書き」をした。
なんと、世界遺産の・・・・海外研修中の出来事であった。学長のお詫び
「落書き」は、自分の部屋やノートにするなら誰でもすることである。しかし、日本国内でも度々問題になるが、文化遺産に落書きをするバカ者が後を絶たない。残念なことです。

しかし、落書きも歴史を経ると「文化」と化するから不思議です。「四条川原の落書き」や江戸時代の武士の残した「アンコールワットの落書き」は有名だ。
姫路城の石垣に残された「刻印」だって落書きだ。姫路城の刻印建築途中に残された梁や柱の落書きや仏像の体内に残された正式な仏師のものではないメモだって文化遺産となる。
「ラブラブ落書き」を残す女子学生の神経が解らない。この件では「謝罪してもらえれば、修復の費用負担は不要」との寛大な処置だったが・・・。姫路城の白壁に落書きしたり、柱に傷をつけたりしたら・・・いや回復不可能な傷をつけたら・・・修復費用の請求があったなら、どうなるのでしょうか?「人生を棒にふる」ことだって起こりうるよ!
京都産業大学の学生の落書き「伊・世界遺産」も酷いものだ。書いていることが幼稚すぎて、「今時の大学生は?」と嘆かわしい。退学処分にせよ!(因みに「人を守る、社会を築く」大学の「お詫び」はまだない「ホームページ上に」6/26 11:10)

画像のあるブログ落書きがあります。(リンク)

出征の写真!

2008年06月22日 13時41分55秒 | 残日録
私が子供だったころ、戦争(第二次世界大戦)は、終わろうとしていた。

それでも、戦意高揚の意気は、国民の間に燃えていたようだ。30歳を悠に越えている父親にも「召集令状」が来た。もちろん、外国に出征する余裕がなく、内地召集(兵庫県の青野ヶ原)であった。写真は、召集を記念して、同時に召集された近所の人と記念写真の一枚である。昭和も19年5月のことである。両家とも赤ちゃんを抱いていることから、兵隊が足らなくなってきたのでしょう。
写真機は何処にもないから、プロの数少ない写真店(姫路郵便局本局北、横山写真館、電話663番とあるが、今では場所さえ不明)に写してもらったようだ。田舎では貴重なものであった。

広島や長崎に「原爆」が落とされ・・・・・国内が戦場となった。

翌年の8月には全面降伏の終戦となった。(玉音放送は知らない。ラジオはなかったし、聞いても理解できる年齢ではない。指をしゃぶっていたから。)

その写真が、父親の死亡(100歳)によって表に出てきた。虫食いや汚れによって相当痛んでいたので、デジタル画像で処理して、格子や着物は同じようなところのコピーを「つぎあて」する形で、5時間もかかったが、添付の写真まで回復できた。
その私も「老人会」の世話になっているから、「思えば遠くへ来たものだ」を実感している。

この家の前の「柿の木畑」に防空壕(地下壕)を掘って、姫路大空襲をも経験した。B29(当時のアメリカ最新鋭爆撃機)のエンジンやプロペラ音さえ恐ろしく震えながら聞いた。姫路の空が焼夷弾の爆撃で赤く燃え上がるのさえ見た。余裕のある「鬼畜アメリカ(当時の教育)」は、姫路城には爆弾を落としていない。周りの軍需工場が標的であった。昭和19年(写真)は、64年前の出来事であった。一番右の抱かれている男の子が「私」である。


松井秀喜、欠場!

2008年06月19日 18時25分37秒 | 松井秀喜
【ヤンキースの松井秀は左ひざ痛のため、パドレス戦を欠場した。チームは6連勝。】

今日の試合はヤンキースタジアムだった(DH制なら必ず出場?)ので・・・ネットで観戦しようと・・・・。天候の都合で試合開始が遅れ・・・待ったが・・・松井は欠場だった。数試合はダメかも・・・。手術した右膝をかばうことが左膝を酷使してしまったのでしょうか。

故障は応援が通じない部分なので残念です。

ユリが咲いた

2008年06月18日 09時52分28秒 | 残日録
プランターの「ユリ」が咲いた。

「テッポウユリ」や「ササユリ」や「オニユリ」や「オトメユリ」・・・のような日本古来のユリではない。
毎年のように品種改良されるゆえに名前さえ分からない。元は西洋で改良されて、日本に逆輸入されて、それをまた毎年改良されている。それでも、先祖の面影は少しのこしているのでしょう。鮮やかな色は梅雨の晴れ間に美しい。
花に関する「ことわざ」や「格言」や「歌(俳句、短歌)」が数多く残されているから、愛されている、いたのでしょう。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」(林芙美子)なんて、自分を何の花に準えていたのでしょうか。

六月のコスモス

2008年06月15日 10時53分10秒 | 気まま日記
庭の「靴脱ぎ石」の足元に一輪だけだが「コスモス」が咲いた。

ど根性コスモスとも言えるが、残念なことに石と石の間とかの隙間ではない。石にくっ付いているが土の部分である。一本だけだが数本に枝分かれして元気そのものだ。

コスモスは、「秋桜」と書くように秋の花だと認識していたので、辞書で調べると「早生(わせ)」のものは6月にも咲くようだ。
いずれにしても植えた(種を蒔いた)ものではないので、どこからか飛んできたものか不明だが、可憐とも言える赤紫の花を開いてくれたことはうれしい。

「岩手・宮城内陸地震」

2008年06月14日 20時09分15秒 | 残日録
「天災は忘れた頃にやってくる」

「地震なんて身近にない」と思っていても、地震列島たる日本では、地震のない地域なんてない。神戸震災を経験した身には、人事でない。揺れるというだけで恐ろしさが蘇ってくる。

被災者にはどんな言葉をかけたらいいのでしょうか。一言さえ思い浮かばない。