日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

「Bing」を使ってみた

2009年07月30日 10時02分51秒 | 気まま日記
マイクロソフトとヤフーの提携によって、「ヤフージャパン」も「Bing」を採用しそうだ。

早速、使ってみた。

おばけたる「Google」との使い勝手や評価するまでに至らなかった。
(ただ、地図は詳細でダメだった。)


姫路城に行った

2009年07月28日 15時47分47秒 | 残日録
姫路城に行った。

疲れた。

動物園側の駐車場に車を停めて、搦め手門たる「喜斎門」より入場した。こちら側からは、姫山の急斜面を利用して、九十九折の急な道である。
途中、石垣に残された「刻印」など写しながら登った。天守閣へは登閣せずに備前丸(すでに消失)跡地へ出た。目の前の天主の石垣を眺めて一息つく。ここでも「刻印」を写して、三の丸広場(千姫の夢の跡、三の丸(武蔵野御殿)も消失)で、「暴れん坊将軍」撮影場所でカレンダー用の写真を撮る。例年には7月の20日も過ぎれば梅雨も明けているのに、今年はまだで、小雨のぱらつく生憎の天気であった。(加工して明るくした・・・しかし、不自然になったが仕方がない)

素屋根をかぶる前の姫路城を、もう何回見れるだろうか。
帰って、遅くなったが8月のカレンダーにしてホームページに貼り付けた。
姫路城の秘密Ⅱ



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あっそう首相暴言!

2009年07月25日 19時38分26秒 | 残日録
あっそう首相(首相の名前さえ言えない、思い出せない)言いたい放題。

今日(2009/07/25)、日本青年会議所の会合での「言いたい放題」だ。

「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くことに絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」


おいおい!人種が違う「働きアリ」と・・・・80歳まで働け・・と。
老い先短い人生ですが・・・あんまりです・・・涙・・・涙・・・!

墓地清掃・・・!

2009年07月25日 12時16分48秒 | 気まま日記
地区の墓地清掃を実施。

200区画程度の中規模の墓地である。
古くからの慣習で、地区の什器や祭壇など(全部無料)の管理などの役目を順番に担っている。多くの新住民がなだれ込んで来た住宅地は、400軒近くに膨れ上がっているが・・。
お盆を前に「草刈り機」4台で、少ない役員(8人だが一人欠席)で、こなした。なんと、雨が降り始める生憎の天気となったが、延期することは、若い役員には仕事の関係もあり申し訳ないことなので、強行した。

これで、一番大きな仕事が終わったので、少ない仕事が残っているが、年末の引継ぎまでこなさなければならない。体の変調が始まって久しいが、人生の残りを無難に過ごしたいものだが・・・?

解らん。先行きは・・。

病院へ

2009年07月23日 21時17分00秒 | 残日録
兵庫県立循環器病センターへ行った。

予約の検査の為に。
検査の種類や待ち時間のことなど・・興味がないでしょうから省きます。

さて、その結果は・・・・?

また、検体検査の予定が組まれた。そして、効能1項目と副作用6項目の薬と効能1項目で35項目の副作用が列記された2種類の薬を処方された。
すべての副作用について、症状が現れたら「すぐに医師にお知らせください」とのことだ。

現状は、快適ではない、いくらか不調な・・・思いの日常だが。
かくして、面白くもない人生の続きを演じることとなったのだ。(完治がない。薬の必要な人生?)

随分雨が降った

2009年07月20日 14時27分50秒 | 気まま日記
昨夜の雷雨はひどかった。

昨日、夕刻に降り始めた雷雨は、轟音と共に風雨を伴って明け方まで続いた。

小さな畑もこの風雨に荒らされた。庭先のコスモスも傾いてしまった。

畑の収穫前の「なんきん」や「なすび」が痛んだ。「とうもろこし」は、雄花が咲いたところで、雌花(実になる)は、脹らみかけたところで、被害には至らなかった。無花果の実は大きくなって水が入りこむとダメになるから、数十個を破棄した。

草の背丈がおおきくなっている「大豆(枝豆)」は、草取りなどの手入れをしてなかったので、存在が見えにくくなってしまった。

あ~あ!

備中への旅

2009年07月19日 21時00分07秒 | 気まま日記
岡山への旅も何回目となっただろうか。

今までに随分と行っている。
涼みに「満奇洞」(鍾乳洞)へも。ベンガラの「吹屋(国の伝統的建造物群保存地区)」や暖簾のまち「勝山」(国の伝統的建造物群保存地区)」や山上の巨岩がご神体の「岩神神社」や桃の町の桃源郷「鴨前」や日生大多府島の「八十八ヶ所」などはホームページに更新できたが・・・、紅葉の「宝福寺」、「神庭の滝」他にも多く行った。和気の藤公園の・・。桜の「津山城」、「新庄」、「後楽園」・・・。ラベンダー「まきばの里」、備前の「閑谷学校」や「牛窓」や・・・・他にも随分行ったものだ。

そして、昨日、「倉敷」(大観光地だが行っていなかった)に行った。美観地区(国の伝統的建造物群保存地区)は随分と観光客でにぎわっていた。
残念であったのが、掘割の鯉にえさを販売しているのだが、堀の水流がないのか、澱みには腐敗臭がただよっていて・・・。街が汚れて見えた。・・・津和野の掘割の鯉たちの方が随分幸せそうだったのを・・・。

次回どこに行こうかとの・・意欲が削がれた。

ああ!高校野球!

2009年07月17日 10時34分05秒 | 残日録
夏の高校野球が始まった。そして、我が母校は1回戦を突破できた。

遠く離れた予選会場へは足を運ぶことは困難であったが、ネット配信で活躍を楽しめた。

ほとんどの高校球児にとっての晴れ舞台は、その予選にある。

1回戦突破が悲願の高校球児のなんと多いことか。だって半分になってしまうんですから・・・。
我々の時代の高校野球と言えば「栄冠は君に輝く」(1946年~作詞:加賀大介 作曲:古関裕而)であるが・・・・。

【雲は湧(わ)き 光あふれて
 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
 若人よ いざ
 まなじりは 歓呼に答え
 いさぎよし 微笑(ほほえ)む希望
 ああ 栄冠は 君に輝く】


もうとっくに卒業した1977年に発表された「君よ八月に熱くなれ」(作詞:阿久悠 作曲;中田喜直)もうれしいものでした。おおよそ応援歌らしくないスローバラードな曲調は、敗者をも青春の思い出に引き寄せるものであった。

【まためぐり来る夏の日に 心ふるわす人がいる
 あれが確かに青春と 胸に瞼に刻み込む
 時よ止まれよ ただ一度 奇跡起した若者に
 雲が湧き立つ甲子園
 君よ八月に熱くなれ】

君たちの悔いない青春におめでとう!素晴らしい青春の日々よ!思い出の彼方の青春にありがとう!


石川遼君のこと

2009年07月16日 22時41分21秒 | スポーツ
「THE OPEN」(オフィシャルサイト)をネットで注視した。

MLBの一球速報の形式ではないが、全選手のリーディングボードを掲載しているから・・・。午後のスタートでなかったので、午後10時前にはホールアウトしていた。一喜一憂しながらであったが、結果的に「-2」で、午後からのスタート組を除いて12位タイであった。タイガーが不調なのが気になったが、石川選手が満足気であったので、明日以降の活躍にも期待できるでしょう。
ただ、リンクスにしては最高の天気だったので、明日からは要注意でしょう。だって1日に「四季がある」なんて信じられないことだった。スコアもアンダーが多すぎるから異常だ。優勝スコアだってパープレイだったら上出来と予想されていたのですから・・・。明日は午後スタートで、テレビと変わらない22時20分(日本時間)だから、テレビ観戦となる。

がんばれ~!石川遼君!

松井秀喜選手のこと

2009年07月15日 16時57分41秒 | 松井秀喜
松井秀喜選手の懐刀「広岡勲さん(42)」(ヤンキース広報部が)、14日の阪神対中日戦を観戦した。

大スクープだ。(サンケイスポーツ西部版)

なぜ、個人的な観戦が、スクープされたのだろうか?

【広岡勲:早稲田中学校・高等学校を経て、1991年アメリカ合衆国ハワイ州のハワイ・パシフィック大学社会学部卒業。 報知新聞社に入社して、長嶋茂雄、松井秀喜と巨人担当記者として7年間勤務後再渡米。 ニューヨーク市立大学大学院修士課程(ジャーナリズム論、思想・哲学)修了。報知新聞社を退社。 2003年ヤンキース広報担当に就任。 2006年から環太平洋担当を兼務する。松井秀喜選手に請われて「報知新聞記者」から球団広報に転身し、渡米からひたすら陰で支え続けている。】

松井秀喜選手と広岡広報の関係は、報知新聞を退社してヤンキース広報に移ったことは、松井選手とヤンキースの契約に明記されている程強固な関係で、もう8年にも及ぶ。MLBオールスター・ゲームの合間を縫って日本にいる意味は大きい。
なぜスクープされたのかは、松井も了解している節がある。広岡広報が、弟のサンケイスポーツ記者「広岡浩二」に話さないと、42,378人の中からアルプススタンドにいる写真を撮れないだろう。
甲子園の改装されたスタンドや愛する土のグラウンドや設備が報告されるでしょう。

巨人は、「55番を松井に返す」と言ったが本質ではない。屋根を取っ払って、天然芝には出来ないでしょうから。出来るなら保障されるが・・・。
その前提も、ヤンキースとの交渉が不調で、他のMLBとの交渉も成立しなかった場合だけだが。

大好きな球団に帰った星野仙一は英雄だが、清原選手は・・・追われた。偉大な王選手は、もう帰ることはない(生涯ソフトバンク)。

松井の55番は、新人大型スラッガー「大田泰示」が付けている。

松井は、卒業の前年、阪神のドラフト1位で入団した大阪桐蔭の「萩原誠」が、あこがれだった「掛布」の31番を着けることを非常に悔しがった。来年「ぼくがつけるつもりだった31番を・・・」
また、ドラフト指名挨拶に自宅を訪れた「佐野仙好」スカウトに、「佐野さんが来た、佐野さんが来た」と大喜びし、優勝決定(対ヤクルト)の佐野の犠牲フライを、細かに語った。

そして、運命のドラフトは、長島監督が当たりくじを引き当てて、運命が決まった。前途洋々たる出発だった。王を追うという意味の55番を背に付けた。

あの日に帰れない・・・・!