齢(よわい)を重ねますと、日記も「残日録」となってしまいました。夜中にも、胸の痛み(狭心症?)に耐えかねて、高価な薬の世話になる日々を送っていますと、ブログにも「嘘」を書かないで置こうと思うんですが、怖いの(狂信的な宗教団体や身近な暴力的な相手や権力者)を相手にしますと、ついつい嘘を書いているかも・・・。
大好きな「蒲生氏郷(がもううじさと)」も、思っていることを隠さず言っていたようです。その時代の老人(余命少なく怖いものが少ない)が言っているんですから・・。
加賀、前田利家の家臣、村井勘十郎の覚書「利家夜話」や、京都の医師の江村専斎が残した「老人夜話」にも、氏郷の豪快な考えが書きとめられています。
「もし、太閤の後に誰が天下をとるか。それは、大納言どの(前田利家)だろう。家康は、天下を取るべき人物ではない。あの男には、人に過分に与える器量がない。それにくらべ又衛門(利家)どのは、人に加増を分に過ぎて与えられる切れ者。天下を取るのは、この人だ」また、「利家が取らないなら、天下は俺が取る」とも・・。家康の小心者だったことが、徳川300年の礎を築いた。参勤交代や江戸での華美な生活や領地替え、江戸城の普請や日光の造営などで大名を疲弊させ、戦闘能力を失わせたんですから。
この放言の直後(1595)、秀吉の無謀なる「朝鮮出兵」のために、肥前の名護屋に結集していた主なる大名の中で、その器量に恐れをなした誰かに毒殺されたようです。
辞世の句が「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」で、散らされる無念から、犯人探しは当時から盛んに論じられたようです。秀行(氏郷の一子)が、3回忌の供養に絵師に画像を写させ、京に送り、玄圃霊三和尚に賛を求めたが、長い賛詞のなかに1行、「談笑中に毒を盛られた」と書いている。
さて、誰が毒を盛ったか?古くから、本当に疑り深い気質の「秀吉」説や、石田三成、家康、正宗などの説の他に、直江兼続説もあります。
大好きな「蒲生氏郷(がもううじさと)」も、思っていることを隠さず言っていたようです。その時代の老人(余命少なく怖いものが少ない)が言っているんですから・・。
加賀、前田利家の家臣、村井勘十郎の覚書「利家夜話」や、京都の医師の江村専斎が残した「老人夜話」にも、氏郷の豪快な考えが書きとめられています。
「もし、太閤の後に誰が天下をとるか。それは、大納言どの(前田利家)だろう。家康は、天下を取るべき人物ではない。あの男には、人に過分に与える器量がない。それにくらべ又衛門(利家)どのは、人に加増を分に過ぎて与えられる切れ者。天下を取るのは、この人だ」また、「利家が取らないなら、天下は俺が取る」とも・・。家康の小心者だったことが、徳川300年の礎を築いた。参勤交代や江戸での華美な生活や領地替え、江戸城の普請や日光の造営などで大名を疲弊させ、戦闘能力を失わせたんですから。
この放言の直後(1595)、秀吉の無謀なる「朝鮮出兵」のために、肥前の名護屋に結集していた主なる大名の中で、その器量に恐れをなした誰かに毒殺されたようです。
辞世の句が「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」で、散らされる無念から、犯人探しは当時から盛んに論じられたようです。秀行(氏郷の一子)が、3回忌の供養に絵師に画像を写させ、京に送り、玄圃霊三和尚に賛を求めたが、長い賛詞のなかに1行、「談笑中に毒を盛られた」と書いている。
さて、誰が毒を盛ったか?古くから、本当に疑り深い気質の「秀吉」説や、石田三成、家康、正宗などの説の他に、直江兼続説もあります。