岡部伊都子さん(1923~2008、85歳)逝く。
【岡部さんは戦争中、婚約者を沖縄戦で亡くしている。婚約した日に彼、木村邦夫さんは「自分はこの戦争は間違っていると思う。自分は天皇陛下のためには死にたくない。君や愛するもののためなら死んでもいいが」と告白した。その時、軍国少女だった岡部さんは「私なら喜んで死ぬ」と言った。そうして大阪駅で見習い士官として出征していく婚約者を日の丸の旗を振って見送った。婚約者は1945年5月、沖縄本島南風原で艦砲射撃に遭って両足を失い、ピストルで自決したという。】
「私なら喜んで死ぬ」この一言を発した自分を「後悔、懺悔」する自分を引きずって生きた随筆家(思想家)です。
我々いやkunio_nikkiは、とても信じられない。「移り気そのままの残日録」ですから、「ニワトリのごとく三歩あるいたら、もう忘れている」程度です。人生において、傷口の多すぎるkunio_nikkiは、一々覚えていたり、反省していたら大変です。それでも時々夢を見たりしますが、朝になったら忘れるようにしています。日々の忙しさ(貧乏暇なし)が救ってくれているとも言えます。覚えていたら「ノイローゼ」や「うつ病」や「ジストニア」に確実になります。
その点においても、人に道理を説くたちばの岡部伊都子さんは稀有な存在です。説得力のあるお説には感動を覚えながら読んでいました。「嫁ぎ行く娘達へ」(書名不確か)だったかなあ。青春の一こまです。
【岡部さんは戦争中、婚約者を沖縄戦で亡くしている。婚約した日に彼、木村邦夫さんは「自分はこの戦争は間違っていると思う。自分は天皇陛下のためには死にたくない。君や愛するもののためなら死んでもいいが」と告白した。その時、軍国少女だった岡部さんは「私なら喜んで死ぬ」と言った。そうして大阪駅で見習い士官として出征していく婚約者を日の丸の旗を振って見送った。婚約者は1945年5月、沖縄本島南風原で艦砲射撃に遭って両足を失い、ピストルで自決したという。】
「私なら喜んで死ぬ」この一言を発した自分を「後悔、懺悔」する自分を引きずって生きた随筆家(思想家)です。
我々いやkunio_nikkiは、とても信じられない。「移り気そのままの残日録」ですから、「ニワトリのごとく三歩あるいたら、もう忘れている」程度です。人生において、傷口の多すぎるkunio_nikkiは、一々覚えていたり、反省していたら大変です。それでも時々夢を見たりしますが、朝になったら忘れるようにしています。日々の忙しさ(貧乏暇なし)が救ってくれているとも言えます。覚えていたら「ノイローゼ」や「うつ病」や「ジストニア」に確実になります。
その点においても、人に道理を説くたちばの岡部伊都子さんは稀有な存在です。説得力のあるお説には感動を覚えながら読んでいました。「嫁ぎ行く娘達へ」(書名不確か)だったかなあ。青春の一こまです。