日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

昭和の歌姫逝く

2006年05月09日 10時56分25秒 | 残日録
「お恵ちゃん」こと松山恵子(69)が逝った。69歳でした。正直こんなに若いとは思わなかった。物心ついた時にはすでに大スターで、実演(劇場や映画館でのライブ)でも大人気でしたから、もっと高齢かなとも。1938/04/10東京生まれ、本名「岡崎恒好(おかざきつねこ)」幼くして愛媛県松山に移住、「松山恵子」の芸名となった。昭和30年(1955)デビュー「マドロス娘」。当時は、天才美空ひばりを除いて、ある程度の年齢を重ねた上でデビューするのが通常でしたが・・・。翌年の「十九の浮草」が大ヒット、人気を不動のものとした。以後「未練の波止場」、「だから言ったじゃないの」、「お別れ公衆電話」、「思い出なんか消えちゃえ」、「アンコ悲しや」、「酒場小唄」など次々とヒット曲を世に出した。
当時はヒット曲がないと出られない(今は毎年同じ曲を歌う不遜な歌手が多い)NHK紅白歌合戦に連続7回出場し、合計8回も出場しました。
1957「未練の波止場」1958「だから言ったじゃないの」1959「思い出なんか消えちゃえ」1960「アンコ悲しや」1961「恋の三度笠」1962「おけさ悲しや」1963「別れの入場券」・・・・1989「未練の波止場」
昭和30年(1955)から昭和が終わる(1989)まで、ず~とスターでした。マドロス姿や大きく開いたスカートのステージには、庶民派と言われながらも一種他を寄せ付けない威厳がありました。
昭和がまたひとつ消えました。(私生活は自宅を含めて全く不明)合掌。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿