暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

三宅屋敷③(熊谷市)

2019-09-01 12:52:03 | 城館跡探訪
日付は変わって、2019.08.21。

わたしは、幸安寺を目指しました。





幸安寺は三ケ尻の集落の少し外れにあります。

門が結構立派なので驚きました。




さて、幸安寺の解説板を読むと・・・・・

室町期に開山された後、一時、さびれたものの三宅氏の所領となった天正年間に、再興されたわけですね。

そして、三宅康貞の菩提寺です。



三宅屋敷の記述もあって、ここから200mほど離れた場所にある・・・・。

う~ん。

私が先日目星をつけた場所はいずれも、200mほど離れた場所にあるようです。





お寺の方に話を伺ったところ、三宅屋敷については全くご存じないそうです。

これで完全に行き詰りました。

この日は、暑さもそれほどではなく、地元のお年寄りが結構外に出てらっしゃいました。

追い詰められた私は、手当たり次第に声をかけました。

しかし、幸安寺周辺は、三ケ尻の古い集落内とは若干違うようで、三ケ尻の地誌等はあまりご存知ないようでした。


そうだ、今日なら平日だから権田酒造さんが開いているかもしれない。

さっそく権田酒造さんに向かいました。

権田酒造さんの店内は大変古く、仕込み中の酒麹の香りがわかります。

若旦那さんが対応してくださいました。しかし三宅屋敷についてはご存知無いようです。

若旦那さんは、集落内の顔役の方々に電話をかけて確認を取ってくださいましたが、

やはり三宅屋敷の場所は分かりませんでした。

権田酒造さんの丁寧な対応にお礼を申し上げて、辞しました。



これで、完敗だぁ・・・。

とはいえ、このまま引き下がるわけにはいきません。

まず、比定地のうち、民家となっているお宅に伺い、三宅屋敷の件について確認します。

ご存知無いということで、この場所の可能性はつぶれました。

そこで、先日紹介した比定地に向かい写真を撮影しました。

南東の隅に井戸と思われるものがあります。

「多分ここで間違いないだろうな」。

そう考えて、帰路につきます。

そして市役所に向かい、三尻の地誌に詳しい方の紹介を乞うと、埋蔵文化財センターの学芸員の方に

連絡を取ってくださいました。

学芸員の方も、三宅屋敷の場所について説明しにくそうだったので、

思い切って、問題の井戸のことを切り出しました。

「権田酒造さんの斜め向かいあたりに、井戸のようなものがありますよね」

「はい、ありますね」

「そこには、2段の石垣があって上は平場になっています。わたしはそこが三宅屋敷跡だと考えているのですが」

「はい、センターとしてもそう考えております」


・・・・なんじゃそりゃ。

喜びとともに腑に落ちないような複雑な気持ちにもなりました。

折角ですので、熊谷市内にあるいくつかの館跡の問題についても、疑問点をぶつけてみました。

非常に参考になりました。今回得た知識は、今後の調査に役立てたいと思います。

それでは三宅屋敷です。

南側にある土塁状の部分です。








そして、さわると陰火の現れるという井戸です。








屋敷前の道路ですが、堀跡はどこにあるのでしょうか。




石垣が現れました。



奥には2段の石垣があります。





すると、石垣は合計3段になるわけですね。

そして、下の写真が屋敷跡の平場です。




随分コストパフォーマンスの低い調査になってしまいましたが、でもなかなか意味のある調査でもありました。

何だか、他にも伝承がありそうです。

詳細な調査については、日を改めて行いたいと思います。