鎌倉武士の小山朝政が住んだと伝えられている水房館は滑川町の水房にあります。
ここに来るのは1980年代から3度目になりますが、東条線沿線の住宅開発が進み、
また、水房地区の道路整備も進んで、当時の風景とはかなり変わってしまいました。
80年代半ばごろまで幹線道路以外は砂利道だったんですから。
調査日は2019.01.23です。
いろいろ迷走しつつも、水房地区にたどり着きましたが、面影が全くありません。
仕方なしに、景色で見当をつけ、周囲のこれと思ったお宅に水房館について尋ねますと、
「ああ、それなら後ろの山だよ」。
地元の方は、水房館についてはクールに見ていて、「そういうものがあったと伝えられている」という、
冷静な言い方です。
また、「館跡と伝えられるところには、4基の古墳があり、昭和40年代から50年代ころに発掘調査が行われたが、
大したものは出てこなかった」とのことでした。
この古墳は、現在でこそ古墳とされていますが、地元の伝承では、小山朝政が打ち取った武将の首級が埋められた塚
といわれており、そんなところから、十二単の姫の幽霊が現れるという、前回訪問時の聞き取り結果が現れる
根拠ともなっていると思われます。
さて、水房館をふもとから眺めます。
山というにはかなりなだらかな低山なので、入口まで来るまで登ってしまえば楽です。
「この辺りはイノシシがたくさん出現するから気をつけて」
確かに、イノシシ注意の看板がかなり見られます。
ここが水房館の入口です。
ここを南側から入ろうとすると、かなり苦戦します。
水房館には、堀切や土塁などの構築物はなく、代わりに主郭と、それを取り巻くように、南斜面に腰郭状の
2の郭、3の郭があります。
伝首塚は、この2の郭、3の郭に分布しています。前回は、愚直にもここから登ってしまい、
小さな塚を確認したにとどまりました。
この辺から登ろうとした記憶がありますね。
地元の方も、「塚はヤブが深くなっており、見つけるにも非常に苦労する。自分は最近近づいたこともない」と
教えられていたので、今回は、主郭に回り込もうと思いました。
倒木にふさがれていますが、山道らしきものがあり、庚申塔があります。
このヤブと倒木にふさがれた場所を強行突破すると、一気に道が開けます。
とはいえ、何だか「この先に入るなよ」と暗示されているようにも思え、
中学生のころだったら怖くなって撤退していたと思います。
道は、主郭を北側に巻き込むように回り込んでいます。
下の写真は、主郭を巻いている山道から、主郭の斜面を撮影したものです。
主郭はかなりの段差があります。
うす暗い不気味さに耐えれば、すぐに主郭の楕円形の平場に出ます。
平場は広く削平されており、石の祠があります。
これは、石の祠の背後ですね。南側が正面になります。
平場にはいくつかの踏み跡があります。
平場には南に向かう踏み跡があります。
と言ってもうかつに歩くと道を見失いそうですが。
この先に小さな坂があります。
下の写真が2の郭上です。2の郭から3の郭に降りる坂道を見ます。
ここが3の郭上です。
かなりや部が深いです。
ここはあっさり引き下がり、ますか・・・。
2の郭から主郭に登る坂です。
あとは、2の郭を撮影しておきます。
主郭に戻って、石祠を撮影します。
今回、水房館の全貌をようやく把握したのですが、主郭が想像以上に広かったのには驚きました。
伝首塚を探すには、相当の藪こぎが必要だと思います。
もう一度くらいは、首塚探しに来たいと思いました。
ここに来るのは1980年代から3度目になりますが、東条線沿線の住宅開発が進み、
また、水房地区の道路整備も進んで、当時の風景とはかなり変わってしまいました。
80年代半ばごろまで幹線道路以外は砂利道だったんですから。
調査日は2019.01.23です。
いろいろ迷走しつつも、水房地区にたどり着きましたが、面影が全くありません。
仕方なしに、景色で見当をつけ、周囲のこれと思ったお宅に水房館について尋ねますと、
「ああ、それなら後ろの山だよ」。
地元の方は、水房館についてはクールに見ていて、「そういうものがあったと伝えられている」という、
冷静な言い方です。
また、「館跡と伝えられるところには、4基の古墳があり、昭和40年代から50年代ころに発掘調査が行われたが、
大したものは出てこなかった」とのことでした。
この古墳は、現在でこそ古墳とされていますが、地元の伝承では、小山朝政が打ち取った武将の首級が埋められた塚
といわれており、そんなところから、十二単の姫の幽霊が現れるという、前回訪問時の聞き取り結果が現れる
根拠ともなっていると思われます。
さて、水房館をふもとから眺めます。
山というにはかなりなだらかな低山なので、入口まで来るまで登ってしまえば楽です。
「この辺りはイノシシがたくさん出現するから気をつけて」
確かに、イノシシ注意の看板がかなり見られます。
ここが水房館の入口です。
ここを南側から入ろうとすると、かなり苦戦します。
水房館には、堀切や土塁などの構築物はなく、代わりに主郭と、それを取り巻くように、南斜面に腰郭状の
2の郭、3の郭があります。
伝首塚は、この2の郭、3の郭に分布しています。前回は、愚直にもここから登ってしまい、
小さな塚を確認したにとどまりました。
この辺から登ろうとした記憶がありますね。
地元の方も、「塚はヤブが深くなっており、見つけるにも非常に苦労する。自分は最近近づいたこともない」と
教えられていたので、今回は、主郭に回り込もうと思いました。
倒木にふさがれていますが、山道らしきものがあり、庚申塔があります。
このヤブと倒木にふさがれた場所を強行突破すると、一気に道が開けます。
とはいえ、何だか「この先に入るなよ」と暗示されているようにも思え、
中学生のころだったら怖くなって撤退していたと思います。
道は、主郭を北側に巻き込むように回り込んでいます。
下の写真は、主郭を巻いている山道から、主郭の斜面を撮影したものです。
主郭はかなりの段差があります。
うす暗い不気味さに耐えれば、すぐに主郭の楕円形の平場に出ます。
平場は広く削平されており、石の祠があります。
これは、石の祠の背後ですね。南側が正面になります。
平場にはいくつかの踏み跡があります。
平場には南に向かう踏み跡があります。
と言ってもうかつに歩くと道を見失いそうですが。
この先に小さな坂があります。
下の写真が2の郭上です。2の郭から3の郭に降りる坂道を見ます。
ここが3の郭上です。
かなりや部が深いです。
ここはあっさり引き下がり、ますか・・・。
2の郭から主郭に登る坂です。
あとは、2の郭を撮影しておきます。
主郭に戻って、石祠を撮影します。
今回、水房館の全貌をようやく把握したのですが、主郭が想像以上に広かったのには驚きました。
伝首塚を探すには、相当の藪こぎが必要だと思います。
もう一度くらいは、首塚探しに来たいと思いました。
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