皿尾城は、忍城の支城として、しばしば戦闘の最前線に立っていました。
皿尾城は忍城の北西部の低湿地帯にあり、忍城同様の水城のイメージが強いです。
したのしゃしんは1984年の1月頃に撮影したもので、城内の荒神社ですが、
周囲が水堀で囲まれて、非常に味のある雰囲気です。
さて、本記事のメインになるのは、1986年の初夏に訪れた時の写真です。
自転車で行きましたが、イライラするような暑さでした。
皿尾城の城址碑です。
行田地域にある城址碑はすべてこの石でできています。
夏場の荒神社周辺は堀にも水がたまり、堀にはあやめがたくさん生えています。
さて、大雷神社です。ここにも水堀が残されています。
この内部が曲輪になっています。
この周囲に水堀がめぐらされていました。一部は水の壺のようにかなり深いものもありました。
現在はどのようになっているのかわかりません。
実は今年、車で皿尾城跡に立ち寄ったのですが、すっかり風景が変ってしまい、
どこに何があるのかわからなかったのです。長距離異動で疲れていたので、探す気力を失い
そのまま帰宅しました。
いま、グーグルマップで確認すると、整備事業によって、すっかり面影がなくなっていますね。
この分では、水堀もU字溝によって、きれいにコンクリート化されているでしょうね。
この辺りから、熊谷にかけては、幾つか、水路で囲まれた中世以降の環濠集落があったのですが、
屋敷林も消えて、きれいさっぱりしていることでしょう。
皿尾城は忍城の北西部の低湿地帯にあり、忍城同様の水城のイメージが強いです。
したのしゃしんは1984年の1月頃に撮影したもので、城内の荒神社ですが、
周囲が水堀で囲まれて、非常に味のある雰囲気です。
さて、本記事のメインになるのは、1986年の初夏に訪れた時の写真です。
自転車で行きましたが、イライラするような暑さでした。
皿尾城の城址碑です。
行田地域にある城址碑はすべてこの石でできています。
夏場の荒神社周辺は堀にも水がたまり、堀にはあやめがたくさん生えています。
さて、大雷神社です。ここにも水堀が残されています。
この内部が曲輪になっています。
この周囲に水堀がめぐらされていました。一部は水の壺のようにかなり深いものもありました。
現在はどのようになっているのかわかりません。
実は今年、車で皿尾城跡に立ち寄ったのですが、すっかり風景が変ってしまい、
どこに何があるのかわからなかったのです。長距離異動で疲れていたので、探す気力を失い
そのまま帰宅しました。
いま、グーグルマップで確認すると、整備事業によって、すっかり面影がなくなっていますね。
この分では、水堀もU字溝によって、きれいにコンクリート化されているでしょうね。
この辺りから、熊谷にかけては、幾つか、水路で囲まれた中世以降の環濠集落があったのですが、
屋敷林も消えて、きれいさっぱりしていることでしょう。
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