暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

曲田城 1985年(深谷市)

2018-05-22 21:38:02 | 城館跡探訪
曲田城(まがったじょう)は、上杉氏家臣の岡谷加賀守香丹の居城でした。

先日、大沼弾正忠館跡とそれほど離れていない、深谷市街地の

北のはずれにある水田地帯にありました。

当時、鳥よけのアセチレン砲がなり続けているような場所でした。

私がここを訪ねたのは、秋、高校の帰りに自転車で回り込んだのでした。

もちろん、着いたのは夕方で、水田に長方形の大きな堀があって、この農業用水路なのか

水堀なのかわからぬものを眺めながら、1時間近くも逡巡していました。

そこで、休日に日を改めて訪問しました。

前回訪問時は気が付きませんでしたが、その堀らしきもののある水田の並びに、皎心寺という寺があって、

その寺の前に曲田城の看板があり、先日の水堀を遺構と確信したのです。



もっと水堀の写真を撮影してもよさそうなものですが、当時はフィルム式のカメラでしたから、

予算不足で撮影できなかったのです。

今回は残念ながら、初訪問時の水堀の写真はありませんが、夕暮れ時に撮った写真ですから、

今一感満載です。

電子化した際にまたアップしたいと思います。


大蔵館 1986年(嵐山町)

2018-05-21 16:04:04 | 城館跡探訪
嵐山町一帯は、菅谷館をはじめとした武蔵武士にかかる史跡がたくさんあります。

大蔵館は源義賢の館跡であり、源義仲の生地でもあります。

私自身、1985年前後に何度か訪問していますが、うっそうとした森に囲まれており、

当時のカメラ性能もあいまって、これと言った写真がとれません。

この写真は、夕闇の中撮影したもので、なぜこの時間帯に・・・と思わず首をかしげてしまいます。

別の写真に、私の両親も写っていたので、おそらく正月、どこかに行った帰りのものでしょう。



館跡碑も撮影しましたが、まるで削り取られでもしたように見え、判読不能です。



遺構の写っているものは、この夏以降にアップしたいと思います。


上岡観音 1982年(東松山市)

2018-05-20 16:22:38 | 神社仏閣・その他
上岡観音は、「上岡の馬頭観音」として知られています。

上岡観音は、以前は随分栄えたお寺で、上岡観音の前を通過している県道407号線は、

上岡観音前で大きく拡幅されており、門前町の名残があります。

2月19日の絵馬市が有名で、わたしも3~5歳くらいのとき、両親に連れて行ってもらったのですが、

あまりにも人手が多くて混雑していたため、現場で車から降ろしてもらえず、代わりに、縁日の夜店で

操り人形を買ってもらったのを覚えています。

寒い夜、道路沿いには夜店の灯す白熱電球がずっと続いており、幻想的な気持ちにさせられました。






脇にはもう一つお堂がありましたが、当時、すでに戸が閉められていました。



本堂の脇です。






本堂は、1914年に新しく建てられたものだそうです。




黒岩横穴群 1982年(吉見町)

2018-05-19 21:01:51 | 神社仏閣・その他
黒岩横穴群は、吉見町の八丁湖湖岸にあります。

黒岩横穴群は、正式には黒岩横穴墓群と言います。

近年では、雑草が生い茂り、横穴群のある岩丘上の土砂が崩れ落ちてくるため、

露出した穴が埋まってしまい、穴を観察するのは難しくなっております。

私は中学生のころ、5月になると、自転車でこの横穴群を訪ねてきました。

当時、大里、吉見の荒川沿いの水田地帯は、しばしば濃霧が発生し、

この濃霧の中を走っていくのが、異世界的な味わいがあって楽しかったのを覚えています。


黒岩横穴群にも、軍事用に掘られたとみられる大きな横穴が2か所あり、懐中電灯をもって、

最深部まで探検をしたことがありますが意外に浅い穴でした。

ヒカリゴケも生えていて、しかも、時期によっては洞窟内にも霧が発生するのでした。



この穴は、軍事用に掘られた坑道の近くにあった横穴を撮影したものです。


この辺りは、谷津谷が多く、首切り谷、地獄谷などおどろおどろしい名前がついています。

場所は、かつて紹介した原伏見稲荷のさらに奥です。

私は松山城の攻防戦に関係のある土地なのかと思いましたが、松山城に関する文献を読んでも、

特に、関係を示す記述はありませんでした。

松山城周辺には、戦死者を生めた塚があり、随分、人骨の出る場所があるようなのです。

首切り谷、地獄谷は別のいわれがあるのかもしれません。

実際に現地で聞き取りをする必要があると思います。




富田堀の内(男衾氏館跡)1985年 (寄居町)

2018-05-18 22:08:10 | 城館跡探訪
富田堀の内は、男衾野五郎重任の館跡と推測されています。

県道254号に面した民家の背後にある山の斜面上にあります。

富田堀の内前の御宅で話を伺ったところでは、この富田堀の内も、

かつては土塁状のものがあったものの、訪問時はそれもはっきりしなくなっており、

土壇状のものが残されるのみでした。

ここも、滑川の水房館のように、かつては子供たちの遊び場だったそうですが、

子どもが入らなくなってから、やぶになってしまい、

「行っても、何があるか見つけるのに苦労すると思うよ」と言われました。

富田堀の内には、何度も行ったのですが、聞き取りでうかがった通り、

遺構を見つけること自体が困難でした。

現在はどうなっているのかわかりませんが。こんなところに自転車でよく通ったものだと

昔が懐かしいです。



写真は、地元の方のアドバイスに従って、入った山裾のやぶの中で、土壇のようなものを

撮影したつもりなのですが、まったくのやぶです・・・。無念・・・。


ちなみに、下が谷津の大日堂に安置されている男衾氏板石塔婆の拓本です。