曲田城(まがったじょう)は、上杉氏家臣の岡谷加賀守香丹の居城でした。
先日、大沼弾正忠館跡とそれほど離れていない、深谷市街地の
北のはずれにある水田地帯にありました。
当時、鳥よけのアセチレン砲がなり続けているような場所でした。
私がここを訪ねたのは、秋、高校の帰りに自転車で回り込んだのでした。
もちろん、着いたのは夕方で、水田に長方形の大きな堀があって、この農業用水路なのか
水堀なのかわからぬものを眺めながら、1時間近くも逡巡していました。
そこで、休日に日を改めて訪問しました。
前回訪問時は気が付きませんでしたが、その堀らしきもののある水田の並びに、皎心寺という寺があって、
その寺の前に曲田城の看板があり、先日の水堀を遺構と確信したのです。
もっと水堀の写真を撮影してもよさそうなものですが、当時はフィルム式のカメラでしたから、
予算不足で撮影できなかったのです。
今回は残念ながら、初訪問時の水堀の写真はありませんが、夕暮れ時に撮った写真ですから、
今一感満載です。
電子化した際にまたアップしたいと思います。
先日、大沼弾正忠館跡とそれほど離れていない、深谷市街地の
北のはずれにある水田地帯にありました。
当時、鳥よけのアセチレン砲がなり続けているような場所でした。
私がここを訪ねたのは、秋、高校の帰りに自転車で回り込んだのでした。
もちろん、着いたのは夕方で、水田に長方形の大きな堀があって、この農業用水路なのか
水堀なのかわからぬものを眺めながら、1時間近くも逡巡していました。
そこで、休日に日を改めて訪問しました。
前回訪問時は気が付きませんでしたが、その堀らしきもののある水田の並びに、皎心寺という寺があって、
その寺の前に曲田城の看板があり、先日の水堀を遺構と確信したのです。
もっと水堀の写真を撮影してもよさそうなものですが、当時はフィルム式のカメラでしたから、
予算不足で撮影できなかったのです。
今回は残念ながら、初訪問時の水堀の写真はありませんが、夕暮れ時に撮った写真ですから、
今一感満載です。
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