ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「大切にされる人」

2020年12月18日 13時59分40秒 | owarai

すばらしい技術や能力や、役 
割を持つこと。これは、人から 
大切にされる条件だ。 

しかし反対に、何の技術もなく、 
何もできない人も大切にされる 
ことがある。 

たとえば赤ん坊。赤ん坊は無力 
である。泣くことと眠ること 
しかできない。 

一見、何の役にも立たない。 
しかし大切にされる。なぜだ 
ろうか。 

赤ん坊には無限の可能性があ 
る。未来がある。今は何もでき 
ない無力な赤ん坊だが、これか 
らどんどん成長していく。 

こういう人を、人は大切にす 
るんのではないだろうか。 

つまり、今はたいした能力がな 
くとも、素直で、行動力のある、 
これから成長する可能性を秘めた 
人だ。 

また、世話をする楽しみがある。 
人の世話をすると、「自分が誰か 
のために役立った」という気分に 
なれる。めんどうを見たり、世話 
をすることによって、 

自分も何か学んだり、成長できる。 

大人になっても、赤ん坊と同じ無力 
では困る。自分では何もせず、人に 
依存するだけではダメだ。 

しかし、ある一面で無力であっても 
いいのではないだろうか。 

非情に貴重な能力を持つ人でも、何 
ごとにおいても全て得意というわけ 
にはいかないどろう。 

苦手なことも、きっとある。すばら 
しい絵を描く人が、 

「実は私は歌がへたくそで・・・・」 
ということもあるはずだ。 

「あの人は、アイデアはすばらしい 
けど、事務能力がないな。事務では 
私がいろいろ教えてあげよう」 

と、はりきって大切にしてくれる場 
合もありそうだ。そんなときは、事 
務の面ではしっかりお世話になって、 

今後の成長を期待させれば、大切に 
されるだろう。 

「事務なんかできなくたって生きて 
いけるんだ。そんなの必要ないバカ 
げた能力だ」などといっているよう 
ではダメだ。 

大切になれる見こみはない。 

自分にできることは快く提供して、 
できないことは素直に提供しても 
らう。お互い様に助けあえる人が、 
大切にされるのである。 


別れ際のあいさつで決まる。

2020年12月18日 12時01分47秒 | owarai

出会ったときは、誰でも 
挨拶ができます。 

そつのない人は 
「別れ際のあいさつ」がいい。 

挨拶は、声でするものでは 
なく目でするのです。 

目が合わないのは、挨拶で 
はないのです。 

最後のあいさつは、相手の 
名前を呼ぶこと、または、 
その日の天候に合わせ、 

相手を思いやり、”雪で足もと 
がすべきやすいからお気を 
つけて”とひと言添えて、 

「別れ際の挨拶」は、テレ 
パシーなのです。 

 

YouTube 
野獣死すべし 

https://www.youtube.com/watch?v=UcCCORuEEHQ


「幸せな人たちの共通点」

2020年12月18日 09時01分06秒 | owarai

『“とっておきの言葉”を言える
のが、幸せな人たちの共通点』

幅60cm、長さ5Mほどの
頑丈な板を思い描いてみてくだ
さい。

もし、この板が平らな地面に置い
てあったなら、その上を端から端
まで歩いて渡ることは、誰にでも
簡単にできるはずです。

では、その板が、天高くそびえ立
つ2つの高層ビルの間にかけられ
ていたら、どうでしょう?

下を覗けば、地上を走る車がおも
ちゃのように小さく見える。
こうなると、大抵の人は足がすく
み、板に足をかけることすらでき
ません。

まったく同じ板なのに、渡れたり
渡れなかったりするのは、私たち
に「想像力」があるからです。

前者は「簡単にできる」と想像す
るからできるのであり、後者は
「落ちたらどうしよう」と想像し
てしまうから、足がすくむです。

この架空の板を”未来へつながる
人生行路“にたとえて考えてみて
ください。

「未来は希望に満ちている」「この
先、楽しいことが待っている」と
思えば、その板を難なく渡れるで
しょう。

ところが、「辛い目に遭ったらどう
しよう」「仕事がうまくいかないかも」
「恋人と別れてしまうかも」とネガテ
ィブな想像で頭がいっぱいになってい
ると、

未来が不安と戸惑いに満ちているよ
うに感じられて前に進めません。

いいことを想像するか、悪いことを
想像するかで、心の状態も行動も、
180度変ってしまうのです。

言い換えるなら、想像力の使い方
次第で、この先の運命を好転させ
ることができるということ。

どんなに辛くて不安なともきも、
「未来は希望に満ちている」「この
先、楽しいことがたくさん持って
いる」という、とっておきの言葉を、

自分に語りかけてみましょう。あと
は一歩一歩、歩みを進めるだけ。

幸せな想像はいつか現実となり、
わたしたちの毎日はステキに
輝きだします。

「うまくいく!」のひと言で、
未来に「安心の橋」がかかります。


「幸福の尺度」――逆境は「人生の材料」にすぎない

2020年12月18日 05時54分37秒 | owarai

私たち人間は<幸・不幸>に関 
して、とかく、つぎのような 
考え方におちいりやすいもの 
だ。 

順境が幸福、逆境が不幸。 
安楽がしあわせ、困窮が不 
しあわせ。 
たくさん「もつ」ことが幸福、 
その反対が不幸。 

この判断がまるまるの誤りである 
とは、いえないかもしれない。 
“ 一面の真実”ぐらいは、ついて 
いると思われるからである。 

しかし、それはごく一部の真実に 
すぎず、また、きわめて表面的 
なあ見方にもすぎないであろう。 

逆境、困苦の中にあって、明るい 
顔で、「私はしあわせ」という人 
もいるのである。 
そういう人は変なのか? 
いやいや、そんなことはあるまい。 

幸福の尺度を、もっと深いところ 
に求めているだけの話であるに 
ちがいない。 

順境も逆境も、“人生の材料”に 
すぎず、これがただちに人の幸 
と不幸をきめるわけではない。 

要はこれらへの“対処のしかた” 
こそが肝心なので、それのいかん 
によっては、「順境かならずしも 
幸福ならず、逆境かならずしも 
不幸ならず」ということになっ 
てくるけけなのだ。 

もっと強く、「逆行こそが幸福」 
といっていえないこともあるま 
い。少なくとも、「幸福を生み 
だす源」というぐらいには・・ 
・・・。 

なぜなら、逆境によってこそ、 
人は磨かれ、鍛えられて、とく 
にその精神面を成長させること 
ができるからである。 

逆境を“光”として、心を明る 
く照らすことができた人は、自 
分の力への自信もつくにちがい 
ない。逆境の中にも幸福のタネ 
だけを見つけて、これを育てる 
ことができるのである。 

まさに、このような人こそが、 
「幸福な人」なのではないか? 
順・逆、どのような境遇にお 
かれようと、ここから「幸福 
への道」だけを見つめてゆく 
人である。 


「不思議図鑑 Ⅰ」

2020年12月18日 05時48分02秒 | owarai

人間のエゴイズムをすべてうけ 
入れながら、いつも言いなりに 
なり、 

ときどき自然に向かって「帰ろ 
うかな」と遠吠えをしている 
犬のやさしさは、 

飼いならされた男たち、家路を 
いそぐパパたちにもつながる 
さみしさを思わせるだろう。 

生きるかぎり、人もまた見え 
ない首輪をはずすことなどで 
きないのである。 

 

YouTube
André Rieu - Love theme from Romeo and Juliet

https://www.youtube.com/watch?v=TEVGLXVhhns


好きでいさせて ―1―

2020年12月18日 05時47分48秒 | owarai

飛行機の小窓に額をくつけて、 
眼下に広がり景色を見つめた。 
なんて広大な森。 

アメリカに来るのは、初めて 
だった。海外旅行は高校生の 
時、母とふたりでツアーに参加 
したパリとウィーン、大学時代 
に友だちと出かけた香港、その 
二回きり。 

今回も、パケージツアーに申し 
込んだ。「ニューヨークシティ 
五日間のバカンス」。飛行機 
とホテルと、空港・ホテル間の 
送迎バスだけがついてくる。 

残っていた有給を、まとめて 
取った。退職が受理されて、 
冬のボーナスをもらったあ 
とで、会社を辞めることに 
していた。 

どうか会えますように。 
神さま、あのひとに、会わせて 
下さい。 

ツアーに申し込む前に、あのひと 
の借りている家の一階に住んでいる、 
大家さんに電話をかけてみた。 
その電話でやっと、わたしはあの 
ひとが家を留守にしていること 
を知った。 

「カイセイは、この町から車で三時間 
ほど北へ走ったところにある、 
ナチュラル・アグリカルチャー・ 
プログラムに参加しているのです。 
おそらくあと二週間ほどしたら、 
戻ってくるでしょう」 

「彼の滞在先の電話番号は、わか 
りませんか?」 

「残念ながら、それは聞いており 
ません。もしかしたら、電話も 
電気も水道も、ないところかも 
しれませよ。あのあたりは山奥 
ですから。かまびすしい現代 

文明から開放された、聖域みた 
いなところなんです」 
そう言ってジャネットは笑った。 

わたしは彼女に、渡米の予定 
――――それもちょうど二週間 
のちだった――――を伝え、 

「もしもそれまでに彼が戻って 
きたら、わたしに直接、電話を 
かけてもらえるよう、伝えてく 
ださい」と頼んだ。 
「わかりました。伝えます。 
問題ありません」 
と、彼女は約束してくれた。 

マンハッタンを出て三十分ほど 
過ぎると、電車の窓から見える 
景色は一変した。 

電車の揺れに身をまかせ、夕闇 
を溶かし込むように暮れていく 
河を眺めているうちに、緊張と 
昂揚のあまり張り詰めていた 
気持ちが、ゆるゆると解けて 
くるのがわかた。 
きっと会える。 

必ず会える。 
絶対に会える。 

胸の中で念じ続けていたそれ 
らの言葉が、静かにその輪郭を 
失ったあと、澄みきった心の 
表に浮かんできたのは、たった 
ひとつの想いだった。 
あのひとが、好き。 

父が逝った夏、八番目の曜日に、 
あのひとは言った。 
泣いていいよ。泣きたければ、 
いつまでだって、好きなだけ 
泣いて。俺はずっとそばにいる 
から。 

あのひとの言葉を、ひとつ残らず 
覚えている。 

優しい言葉も、熱の籠った言葉も、 
さり気なく置かれたひとことも、 
ただの相槌でさえも。いいえ、それ 
は覚えているのではなくて、突き刺 
さっているのだ。 

ガラスの破片のように、柔らかい 
薔薇の棘のように。だからわたし 
の胸は、こんなにも、痛い。 

北へ、北へと、あのひとの住む 
町に向かって、まるで河面を滑る 
ように走る電車の中で、泣き出し 
てしまいそうになるくらい、叫び 
出してしまいそうになるくらい 
・・・・ 
あなたが、好き。 

アイシテイル 
トオクハナレテイテモ 
ワタシタチハ 
ツナガッテイル