ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

『香りの効用』

2020年12月21日 12時59分45秒 | owarai

ヒトの「記憶のキーワード」に
香りがあります。

香りは、暮らしのあらゆるシーン
に存在します。

花屋さんに足を踏み入れ、馥郁たる
香りにつつまれたとたん、気分が
たちまち和らぐということがある
でしょう。

部屋に小さな花を飾るだけでも、
居心地よい場所になります。

秋の木の葉の香りは、たきたての
ごはんの香り、雨上がりの道の
香り。暮らしに漂うさまざまな
香りは、人を豊かにしてくれる
でしょう。

香水の都はフランス“グラース”
映画祭で有名なカンヌから20キロ
内陸に入った山沿いに、その街は
あります。

街に入ったとたん、どこかえあとも
なく良い香りがします。フランスの
男の子は小学生の頃からブレンドを
覚えすきな子にプレゼントをするのは
お国柄でしょうか。

人生でも、香りとなるものを、おろそ
かにしてはなりません。

生きる目的、仕事や夢、愛し、信じ、
かかわる相手といったものが人生
の味や栄養であるならば、趣味や
学びなどは、暮らしの香り=
アロマではないでしょうか。

大切なものは、目に見えないと
星の王子さまは言いましたが、香も
また、目に見えない宝物だともいます。

〇マスクにアロマオイルを数滴垂ら
すと、リラックスと乾燥対策、風邪
などの予防になります。

今日も、あなたにとって
よい日でありますように。


『ユーモアについて』

2020年12月21日 12時01分46秒 | owarai

「月見座頭」という狂言がある。
谷崎潤一郎や永井龍夫が小説に
書いているので、ご存じの方も
いると思うが、

概略だけを書いておくと、
ある月のいい晩に盲目の男が月見
に出かける。

目が見えないのだから、月なんか
見えはしないのだが、月夜の静けさ
とか虫の声などは、敏感な盲人の
心には、もしかすると常人より

はるかに身にしみる風景として
感じられるに違いない。

彼はその気分をたのしみつつ、
手酌でちびちびやっていると、そ
こへ下京(しもぎょう)の男が
現われる。

盲人が月見をしているのを見て、
これはまた風流なことだと感心し、
いっしょに月見をしようと、持参
の酒肴をともに飲んだり食ったり
し、はては舞い歌いなどして大い
にたのしむ。

やがて、夜も更けたので、下京の
男は名残を惜しみつつ帰って行った
が、途中まで来て、このまま帰った
のでは面白くない、今度はあいつを
なぶってやろうと、先の盲人のところ
へ行き、
さんんざんに打ったり叩いたりした
あげく、いい気持になって家路を
辿った。

「やれやれ、とんだ災難に出会った。
はじめに来た男は親切に付きあって
くれたが、二度目の奴にはひどい目に
会った。

同じ人間でも違うものだなあ」

と、盲人は感慨にふけりクシャミを
一つして去って行った。同じ人間
どころか、まったく同一人物で
あったところがとてもおかしい。

だからといって、私はお説教をする
つもりはない。誰の中にも二つの相
反するものが住んでいる。

盲人を笑うのは悪いことだが、時に
は私たちも盲人同様目をくらまされ
ていることが多いのではないか。

「月見座頭」とはあんた達のことだ
よ、と舞台の上からいっているよう
に聞こえなくもない。

ユーモアとはそうしたものである。

それは心の余裕であり、他人の身
になって考えられることをいう。

それにつけても、日本語にはめくら
という古来のいい言葉
があるのに、禁句になっているとは、
何ともユーモアに欠ける国民であるこ
とか。


「臈長けた」 ろうたけた

2020年12月21日 11時51分34秒 | owarai

そのひとは 
黒羽二重の背筋を伸ばして 
最後まで しゃんと
乱れず努めを果たした

だからぼくも いまは泣くまい
無言の美学に 敬意を表して

※黒羽二重くろはぶたえ
黒色のはぶたえ。
紋付などの礼装用和服地。

『上品で洗練された美しさ』
高貴で上品な美しさを表現した
言葉です。

単なる「うつくし」より、もう
少し話し手(見る側)の思い入れ
が強く感じられ、心がひかれて
いとおしいという意が含まれて
います。

紫式部は、光源氏の美しさを
表現するのにこの言葉をよく用い
ます。

高山樗牛(ちょぎゅう)も小説
『滝口入道』の中で、恋人横笛の
舞姿を「閑雅に臈長けて見えに
けり」と表現しています。

気品にあふれる美しさを表すこの
言葉は、女性への最高の賛辞です。


『出会う人は「先生」』

2020年12月21日 09時08分11秒 | owarai

毎日のなかで接するものは、
無限にあります。経験や出来事、

本やアートや音楽、植物、鳥、
さまざまなものから刺激を受け、
人は変わっていきます。

僕は、新宿御苑が好きで四季
折々ファッションの色は、
その中で植物や鳥の配色から
コントラストの妙を教わりま
した。

僕が影響を受けたなかには、
尊敬できる人も凄い人も、
とってもすてきな子供も
いました。

海外映画など、知り合いでも
なんでもない通りすがりの
人に笑顔で返す場面を見たりし
日本人の社交べたを痛感します。

山では、見知らぬ人に「こんに
ちは」と自然に声を掛けるの
に・・・。

小さいけれど笑顔はかけがえ
のないパーツなのです。

今日、出会う人すべてが、自分に
何かを教えてくれる先生だと思
えば、相手のファッションや見て
くれ、性格の良し悪しすら気に
ならなくなります。

やさしい人から学ぶこともあれば、
意地悪なヒトから学べることも
あるのですから。

この考え方を試し続けていると、
自然に「ありがとう」という感謝
の気持が生まれます。

人に生かされて生きているという
事実を、忘れずにいられます。


『恋の練習問題』

2020年12月21日 09時05分19秒 | owarai

「ぼく」は主語です
「つよい」は述語です

ぼくは つよい
ぼくは すばらしい
そうじゃないからつらい

「ぼく」は述語です
「好き」は述語です
「だれそれ」は補語です

ぼくは だれそれが 好き
ぼくは だれそれを 好き
どの言い方でもかまいません

でもそのひとの名は
言えない

 


『愛されようとする人は暴君になる』

2020年12月21日 08時45分38秒 | owarai

人が暴君になるのはどんな時
だろうか。

それは人が、
「人に愛されようとする時」「自分の
力を示そうとする時」「臆病になって
いる時」、これらのときに
とくに人は暴君になりやすいという。

選挙の時の候補者がそう、勝手に☎して
見も知らない人を応援してと!?

部下を執拗に拘束しようとする上司も
暴君だし、「私と仕事とどっちが大切
なの!」とGPS携帯電話を持たせる
奥さまも暴君なのである。

浮気する男は何をしても浮気するので
ある。

人が誰かに愛されたいと思う時、
相手を拘束し、相手の心を自分の方に
向けさせたいと願わずにはいられない。

「こういう次第で権威はしくじり、
相手に武器をとらせてしまう。
愛されたいと願わない暴君はいない。

しかし首尾よく愛される暴君もいない」
/ 『人間論アルノルフ』


『名 前』

2020年12月21日 08時41分34秒 | owarai

深層心理学の河合隼雄先生が、 
「ほんとうの名前は何か」という 
文章を書いていられる。 

むつかしくいえば、「汝自身を知れ」 
のひと言につきると思うが、案外 
人は自分のほんとうの名前を知ら 
ないもので、 

会社で課長とか部長とか呼ばれて 
いる間に、それが名前の一部のよ 
うになり、それをヌキにすると 
本来の自分ではないような気が 
する時がある。 

仏教では死ぬと戒名を貰うが、こ 
れも背後に「ほんとうの名」とい 
う思想を持っているからだろう。 

だが、最近はお布施によってい 
かようにも変えるそうだから、 
アテにすることはできないと先 
生はいわれている。 

昔は元服という儀式があって、 
前髪を切り落とした。 

これは首を斬ることの象徴的な 
行為なのであり、その時子供は 
死に、大人に再生し、子供の名 
は捨てられて、大人の名前が 
つけられる。 

牛若丸が義経に生まれ変わるので 
ある。 

現代にも成人式というものがある 
が、選挙権のおみやげ付きで 
成人になっても、元服の感動は 
得られまい。 

それは儀式ではなくて、おまつり 
騒ぎの一種にすぎないからである。 

それについて思い出すのは皇太子 
の成年式で行われた「加冠の儀」 
で、昔は初冠(ういこうむり)と 
いったのであろうが、 

はじめて冠を召すと侍徒が大きな 
和鋏で元結を切る。僕はNHKの 
アーカイブスで見たが、その時の 
冴えた鋏の音が忘れなれない。 

それはいかにも新鮮で、過去と 
きっぱり決別したことを示して 
いた。 

皇太子の場合は特別だが、人生 
の節目節目で行われた儀式を 
失って以来、人間は不幸になった 
のではあるまいか。 

現代の大人たちが、いつまでも 
子供の殻をひきづっているのは、 
早くに親離れをするけだものに 
も劣るし、 

会社に入れば会社が親代わりに 
なって面倒を見てくれる。 

一生ほんとうの名前を知らない 
名無しの権兵衛で終わるのは 
当然のことといえよう。 

ただし、自分のほんとうの名前 
を知ったからといって、その先 
が楽になるというものでもない 
のである。 


こころの財産

2020年12月21日 05時30分29秒 | owarai

芹沢光治朗の自伝的大作 
『人間の運命』 
の中で、主人公の次郎は 
こう語っている。 

「子ども心に、財産とは 
何であろうか、 
その財産を神に捧げたい 
ということはどういうことか、 
貧乏になって不幸だ 
と大人の言うのはどういう 
意味か、 

必死に考えた。自分は 
貧乏であると知っているが、 
そのために裸足で 
学校に行き、一片のさつま 
いもを弁当にしても、 
教室で学んだり、 

運動場で騒いだり、下校の 
途上喧嘩をしたりして、幸せ 
である。 

貧乏のために、学校から 
帰っても、 
海辺へ打ち上げられる 
木片を拾いに行き、林や 
山へ落ち葉をかきに行か 
なければならないが、 

未開人のように自然の中に、 
自由に生きていて、幸せである。 

それなのに、大人はなぜ不幸 
であろうかと、真剣に考えた・・・・」 

今私たちは、確かに物質的には豊に 
なりました。食べ物は、世界中のもの 
が季節に関係なく食べられます。 

寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適 
にしのげるようになりました。 
移動も、車や電車、飛行機で世界中 
を簡単にできます。 

でも、豊かな自然は消え、人間関係は 
ギスギスしています。それが本当の 
幸せなのでしょうか? 


不死鳥の願いは、ただひとつ。恋の炎に焼き尽くされて、安らかに死にたい。

2020年12月21日 05時28分52秒 | owarai

他人と比較することによって、
恋を浮かびあがらせることも
できる

ラブレターで大切なことは、人
真似をしないことだ。

下手でもいいから、自分だけの
オリジナル作品を作るよにしな
ければならない。

けれども、恋する人に自分を
見てしまうことはある。

『友達のサチコに好きな人が
できました。彼の話ばかりして
います。興奮して話す彼女を見て

いるとき、「だれかに似ている」と、
思いました。

だれかなと考えているうちに、
あなたの話をしているときの
自分だと気がつきました』。


「愛は永遠不変なものである、 裏切るのは人間のほうである」

2020年12月21日 05時28分11秒 | owarai

酒は「人間というものは元々 
だめな  
もんだと教えている」んだよ 

医者に酒をダラダラと飲みつづ 
けないでくださいと言われた 
ことに対する談志さんの反論。 

酒と落語は通じている。 
落語のようなものを聞いていれば 
人間がダメになるという意見が 

もしあるとすれば、 

落語を聞くから駄目になる 
のではなくて、落語は人間がダメに 
なることを教えてくれるものだ 
ということになる。 

立川談志さんは、 
「落語とは人間の業の肯定だ」 
と言い切り、 
  ↓ 
世の中の大体のことは人間は 
どうしたらよりよくなれるか 
をテーマにじているが・・・・。 
  ↓ 
落語は人間はどうしようもない 
ものだということを肯定している 
とこいこと。 

最後に、 
フランスの随筆家を思いだした。 

「愛は永遠不変なものである、 
裏切るのは人間のほうである」 

シャルダンヌ 
「愛をめぐる随想」より 


好きでいさせて ―Ⅳ―

2020年12月21日 05時27分40秒 | owarai

「何か、飲み物が欲しい?」 
彼女はわたしにソファーを 
すすめたあと、リビングルーム 
の続きにあるキッチンに立って、 
にこにこ尋ねた。 

「コーヒー、紅茶、ジャスミン 
ティ、グリーンティもあるのよ。 
それともあなた、ワインを飲み 
ますか」 
喉がからからに渇いていた。 

「ありがとうございます。じゃあ、 
ジャスミンティをいただきます。 
その前に、お水を一杯もらえま 
すか」 
「はい、わかりました」 

彼女がお湯を沸かして、お茶の 
準備をしているあいだに、わた 
しはさり気なくあたりを見回し 
た。いや、見回さなくとも、 
次々にわたしの目に飛び込ん 
できた。 

テーブルの上に置かれている 
雑誌、英語の新聞、そして日 
本語の辞書。ボールペンとメモ 
用紙。女物の腕時計。長椅子の 
上にはクッションのほかに、 
明らかにあのひとのものだと 
わかるセーターとシャツ・・・。 

それらは「あのひと」であり、 
同時に「あのひとの不在」でも 
あった。 

飾り棚の上には、ファックス用 
紙の差し込まれた電話機と、写 
真立てがいくつか。大きく引き 
伸ばされた彼女の写真。彼女が 
両親と三人で写っているものと、 
彼女の子ども時代の写真。 

その隣に、コックの制服を着て、 
クラスメイトと一緒に写って 
いる、あのひとの写真。 

それは、わたしのよく知ってい 
るあのひとのようにも見えたが、 
同時に、まったく見知らぬ他人 
のようにも見えた。 

この部屋で、あのひとは、この 
人と暮らしていた。いいえ今も、 
暮らしている。 

ここには、わたしの知らない 
あのひとの生活があり、それは 
これからも続いていく。