ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

クリスチャンでもないくせ

2022年12月21日 11時51分15秒 | owarai
クリスチャンでもないくせ
に、クリスマス・イブが
あってよかったと、心から思います。

だって、イブだから口実にして、
あなたにプレゼントを贈ること
ができるんだから。

あなたに贈り物をするチャンス
が与えられていること、それが

私にとって何よりのクリスマス・
プレゼントなのです。

メリー・クリスマス!

安くて高いプレゼント、それが
メッセージカードでありメール
だ。

読んでもらった瞬間に元気が
出るという意味では、どんな
スタミナドリンクもかなわない。

2022年12月21日 11時49分45秒 | owarai
もうこれ以上、ごちゃごちゃ
書くのは、やめにします。
詩音ちゃん。決してオーバー
ではなく、僕は今、こう思って
います。

もしも、もう二度と会えないと
しても、たとえば僕が死ぬ前に、
誰か会いたい人がいるとしたら、
それは詩音ちゃんをおいて、ほ
かにはいません。

僕が死ぬ直前に、ひとつだけ思
い出したい記憶があるとすれば、
それは詩音がちゃんとの記憶だ
ということです。

いろいろ書いたけど、何よりも
このことを伝えたくて、この手
紙を書いたような気がします。
この手紙を目にしたら、連絡
をください。

オレゴンには行けない、そんな
答えでも、僕は失望したりしま
せん。詩音ちゃんには詩音ちゃ
んの大切な夢がある。それは僕
が一番よく知っているつもりで
す。

オレゴン州の新し連絡先も別紙
に書いておきます。ここを引き
払ったあと、一時的に荷物を預
かってくるれことになっている、
NY(ニューヨーク)州ウッドストック
の友人のアドレスも記しておきます。

1994年4月8日  
          井上快晴


その夜、わたしは久しぶりに「泣き
虫詩音」になって、朝まで泣いた。
自分と涙の区別がつかなくなるく
らい、声を出して泣いた。

翌朝は、腫れ上がった瞼のせいで、
コンタクトレンズがはまらず、眼鏡
をかけて、作家との打ち合わせ場所
に出かけた。

手紙を読み終えたあとすぐに、ホテ
ルの部屋からアメリカに電話をか
けた。オレゴンの番号と、ニューヨ
ークの

番号に。あのひとはすでにオレゴン
州の農場にはいなかったし、ウッド
ストックの電話は通じなくなってい
た。
 以来きょうまで、わたしはこの手紙
の存在を、片時も忘れたことがない。



生き方上手とは、引き際上手のこと。

2022年12月21日 11時47分23秒 | owarai
1960年代末、ホンダには、本田さんが
推進する空冷エンジンか、若い技術者が
考える水冷エンジンンという意見対立が
生じていた。

技術に関して上下のないホンダだが、ホ
本田さんはやはり社長である。本田さん
はとことんこだわれば、空冷エンジンの
採用になったかもしれない。

だが、本田さんは盟友である藤沢武夫さ
んの忠告を受け入れ、若い技術陣の推す
水冷エンジンに道を譲っている。

そして73年に本田さんは66歳で、6
2際の藤沢さんとともに退陣、以後、
役員会に顔を出すこともなく、若い経営
陣にすべてを委ねている。

初めてアメリカ自動車殿堂入りした
日本人は、本田宗一郎(1989年)氏。

―余談―
「いや、いいんだよ、その油まみ
れの手がいいんだ。俺は油の匂いが
大好きなんだよ。」
【覚え書き|本田宗一郎がある社員と
握手をするために手を差し出した。

その社員は握手をためらった。自分の
手が仕事で油まみれなので本田氏の手
を汚してしまうと思ったからだった。
上記はその社員への言葉】


心が満ち足りている子どもは、「自分」を持っている。

2022年12月21日 11時45分49秒 | owarai
例えば、ショッピングセンター内の
遊び場で、遊びたい友達を見つけると
子どもは初対面で遊べます。

好きなおもちゃを持っている友達を
見ると「ちょっと貸してくれない」と
素直に自分の気もちを伝えます。

子どもは、どんなに好きな女の子が
来ても、自分のしたいことがあると
断ります。「今日この遊びをしたいんだ。

明日遊ぼうね」と相手に対しての
思いやりも最後に忘れません。

だから、子どものトラブルは毎日
起きていても、その日のうちに
解決しています。

大人はこの状況を見て、「子どもは
単純だから」とひと言でかたづけて
しまいます。

ここに大きな問題があるのです。
単純な行動ができていれば、大人に
なってもトラブルは起きません。

そして、単純な行動は、自分をき
ちんと持っていなければできない
のです。

自分を持って生きるといことは、
自信がなければできないことです。

人間関係は矛盾だらけ

2022年12月20日 12時02分09秒 | owarai
人間関係は矛盾だらけですが、
「人に与えたものは、必ず返ってくる、
人から奪ったものは、必ず奪われる」。

これが大原則とされています

奪ったものは、必ず奪い返される。
「儲け」と思ったけれど、儲けでは
なかった。

「損した」と思ったけれど、あとから
考えたら損じゃなかった。
そういうことは、人生でもたくさん
あるはずです。

そう考えたら、どれだけ自分が手に
いれるかではないのです。
どれだけあげられるか、ということ
を考えればいいのです。

『ユーモアについて』

2022年12月20日 12時00分52秒 | owarai
「月見座頭」という狂言がある。
谷崎潤一郎や永井龍夫が小説に
書いているので、ご存じの方も
いると思うが、

概略だけを書いておくと、
ある月のいい晩に盲目の男が月見
に出かける。

目が見えないのだから、月なんか
見えはしないのだが、月夜の静けさ
とか虫の声などは、敏感な盲人の
心には、もしかすると常人より

はるかに身にしみる風景として
感じられるに違いない。

彼はその気分をたのしみつつ、
手酌でちびちびやっていると、そ
こへ下京(しもぎょう)の男が
現われる。

盲人が月見をしているのを見て、
これはまた風流なことだと感心し、
いっしょに月見をしようと、持参
の酒肴をともに飲んだり食ったり
し、はては舞い歌いなどして大い
にたのしむ。

やがて、夜も更けたので、下京の
男は名残を惜しみつつ帰って行った
が、途中まで来て、このまま帰った
のでは面白くない、今度はあいつを
なぶってやろうと、先の盲人のところ
へ行き、
さんんざんに打ったり叩いたりした
あげく、いい気持になって家路を
辿った。

「やれやれ、とんだ災難に出会った。
はじめに来た男は親切に付きあって
くれたが、二度目の奴にはひどい目に
会った。

同じ人間でも違うものだなあ」

と、盲人は感慨にふけりクシャミを
一つして去って行った。同じ人間
どころか、まったく同一人物で
あったところがとてもおかしい。

だからといって、私はお説教をする
つもりはない。誰の中にも二つの相
反するものが住んでいる。

盲人を笑うのは悪いことだが、時に
は私たちも盲人同様目をくらまされ
ていることが多いのではないか。

「月見座頭」とはあんた達のことだ
よ、と舞台の上からいっているよう
に聞こえなくもない。

ユーモアとはそうしたものである。

それは心の余裕であり、他人の身
になって考えられることをいう。

それにつけても、日本語にはめくら
という古来のいい言葉
があるのに、禁句になっているとは、
何ともユーモアに欠ける国民であるこ
とか。


「臈長けた」 ろうたけた

2022年12月20日 11時59分05秒 | owarai
そのひとは 
黒羽二重の背筋を伸ばして 
最後まで しゃんと
乱れず努めを果たした

だからぼくも いまは泣くまい
無言の美学に 敬意を表して

※黒羽二重くろはぶたえ
黒色のはぶたえ。
紋付などの礼装用和服地。

『上品で洗練された美しさ』
高貴で上品な美しさを表現した
言葉です。

単なる「うつくし」より、もう
少し話し手(見る側)の思い入れ
が強く感じられ、心がひかれて
いとおしいという意が含まれて
います。

紫式部は、光源氏の美しさを
表現するのにこの言葉をよく用い
ます。

高山樗牛(ちょぎゅう)も小説
『滝口入道』の中で、恋人横笛の
舞姿を「閑雅に臈長けて見えに
けり」と表現しています。

気品にあふれる美しさを表すこの
言葉は、女性への最高の賛辞です。

2022年12月20日 11時57分22秒 | owarai
見ているのがつらくなり、
そらした視線の先に、半分
ほどあいたドアが見えた。

ドアの向こうには、机とパソ
コン、その奥にベットの一部。
見てはならないものを見て
いるような気持ちになって、
あわてて視線をテーブルの
上に戻した。

「さ、どうぞ。めしあがれ」
ポットからカップにお茶を
注ぐと、カップのひとつを
わたしの目の前に置いて、
彼女はにっこりと微笑んだ。

あたりに、すーっと、ジャ
スミンの香りが立ちのぼる。
「ありがとう、とてもいい香り」
自分でも不思議だった。

どうしてこんなに、冷静でいら
れるのか。彼女に笑顔を返しな
がら「いい香り」などと、言っ
ていられるのか。
「あなた、カイセイのお友だち?」
「はい」

それ以外に、いったいなんと
答えたらいいのか。
「大学時代の?」
「いいえ」
そう答えとあと、尋ねてみた。
「あなたは日本語がわかりますか?」

はにかみがちに、彼女は笑った。
笑いながら、首をふった。
「いいえ。コンニチハとアリガ
トだけね」

会話はそこで途切れてしまい、
ふたりとも、ただ曖昧な微笑み
を浮かべて、向かい合っている
ことしかできない。彼女が先に
真顔に戻った。

「彼は、私たちのことを、彼の
親戚の人に知らせるために、日
本に行きました。亡くなった
彼のお母さんにも」

私たちのこと?

彼女の唇から、軽快に弾き出さ
れる言葉とその意味する内容が、
わたしの頭の中でひとつの像を
結ぶまでに、時間がかかった。

それまでずっと、なりをひそめ
ていた衝撃が、その時になって
やっと、はっきりとした形を成
し、押し寄せてきた。

本物の感情というのは、出来事
に遭遇した直後ではなく、しば
らくしてからじわじわと、やっ
てくるものなのかもしれない。

衝撃はゆるやかに、圧倒的に、
わたしの躰に乗り移ってきた。

まるで毒が効いてくるように、
ゆっくりと、わたしは打ちのめ
された。「裏切られた」。違う。
「信じられない」。いいえ、そんな
言葉とも、違う。

その時のわたしの気持ちは、到底
言葉にはならない種類のものだった。


『恋の練習問題』

2022年12月20日 11時56分05秒 | owarai
「ぼく」は主語です
「つよい」は述語です

ぼくは つよい
ぼくは すばらしい
そうじゃないからつらい

「ぼく」は述語です
「好き」は述語です
「だれそれ」は補語です

ぼくは だれそれが 好き
ぼくは だれそれを 好き
どの言い方でもかまいません

でもそのひとの名は
言えない


『出会う人は「先生」』

2022年12月20日 11時54分32秒 | owarai
毎日のなかで接するものは、
無限にあります。経験や出来事、

本やアートや音楽、植物、鳥、
さまざまなものから刺激を受け、
人は変わっていきます。

僕は、新宿御苑が好きで四季
折々ファッションの色は、
その中で植物や鳥の配色から
コントラストの妙を教わりま
した。

僕が影響を受けたなかには、
尊敬できる人も凄い人も、
とってもすてきな子供も
いました。

海外映画など、知り合いでも
なんでもない通りすがりの
人に笑顔で返す場面を見たりし
日本人の社交べたを痛感します。

山では、見知らぬ人に「こんに
ちは」と自然に声を掛けるの
に・・・。

小さいけれど笑顔はかけがえ
のないパーツなのです。

今日、出会う人すべてが、自分に
何かを教えてくれる先生だと思
えば、相手のファッションや見て
くれ、性格の良し悪しすら気に
ならなくなります。

やさしい人から学ぶこともあれば、
意地悪なヒトから学べることも
あるのですから。

この考え方を試し続けていると、
自然に「ありがとう」という感謝
の気持が生まれます。

人に生かされて生きているという
事実を、忘れずにいられます。

『名 前』

2022年12月19日 12時12分09秒 | owarai
深層心理学の河合隼雄先生が、
「ほんとうの名前は何か」という
文章を書いていられる。

むつかしくいえば、「汝自身を知れ」
のひと言につきると思うが、案外
人は自分のほんとうの名前を知ら
ないもので、

会社で課長とか部長とか呼ばれて
いる間に、それが名前の一部のよ
うになり、それをヌキにすると
本来の自分ではないような気が
する時がある。

仏教では死ぬと戒名を貰うが、こ
れも背後に「ほんとうの名」とい
う思想を持っているからだろう。

だが、最近はお布施によってい
かようにも変えるそうだから、
アテにすることはできないと先
生はいわれている。

昔は元服という儀式があって、
前髪を切り落とした。

これは首を斬ることの象徴的な
行為なのであり、その時子供は
死に、大人に再生し、子供の名
は捨てられて、大人の名前が
つけられる。

牛若丸が義経に生まれ変わるので
ある。

現代にも成人式というものがある
が、選挙権のおみやげ付きで
成人になっても、元服の感動は
得られまい。

それは儀式ではなくて、おまつり
騒ぎの一種にすぎないからである。

それについて思い出すのは皇太子
の成年式で行われた「加冠の儀」
で、昔は初冠(ういこうむり)と
いったのであろうが、

はじめて冠を召すと侍徒が大きな
和鋏で元結を切る。僕はNHKの
アーカイブスで見たが、その時の
冴えた鋏の音が忘れなれない。

それはいかにも新鮮で、過去と
きっぱり決別したことを示して
いた。

皇太子の場合は特別だが、人生
の節目節目で行われた儀式を
失って以来、人間は不幸になった
のではあるまいか。

現代の大人たちが、いつまでも
子供の殻をひきづっているのは、
早くに親離れをするけだものに
も劣るし、

会社に入れば会社が親代わりに
なって面倒を見てくれる。

一生ほんとうの名前を知らない
名無しの権兵衛で終わるのは
当然のことといえよう。

ただし、自分のほんとうの名前
を知ったからといって、その先
が楽になるというものでもない
のである。

『愛されようとする人は暴君になる』

2022年12月19日 12時10分16秒 | owarai
人が暴君になるのはどんな時
だろうか。

それは人が、
「人に愛されようとする時」「自分の
力を示そうとする時」「臆病になって
いる時」、これらのときに
とくに人は暴君になりやすいという。

選挙の時の候補者がそう、勝手に☎して
見も知らない人を応援してと!?

部下を執拗に拘束しようとする上司も
暴君だし、「私と仕事とどっちが大切
なの!」とGPS携帯電話を持たせる
奥さまも暴君なのである。

浮気する男は何をしても浮気するので
ある。

人が誰かに愛されたいと思う時、
相手を拘束し、相手の心を自分の方に
向けさせたいと願わずにはいられない。

「こういう次第で権威はしくじり、
相手に武器をとらせてしまう。
愛されたいと願わない暴君はいない。

しかし首尾よく愛される暴君もいない」
/ 『人間論アルノルフ』


こころの財産

2022年12月19日 12時08分45秒 | owarai
芹沢光治朗の自伝的大作
『人間の運命』
の中で、主人公の次郎は
こう語っている。

「子ども心に、財産とは
何であろうか、
その財産を神に捧げたい
ということはどういうことか、
貧乏になって不幸だ
と大人の言うのはどういう
意味か、

必死に考えた。自分は
貧乏であると知っているが、
そのために裸足で
学校に行き、一片のさつま
いもを弁当にしても、
教室で学んだり、

運動場で騒いだり、下校の
途上喧嘩をしたりして、幸せ
である。

貧乏のために、学校から
帰っても、
海辺へ打ち上げられる
木片を拾いに行き、林や
山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、

未開人のように自然の中に、
自由に生きていて、幸せである。

それなのに、大人はなぜ不幸
であろうかと、真剣に考えた・・・・」

今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。

寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。

でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?



不死鳥の願いは、ただひとつ。恋の炎に焼き尽くされて、安らかに死にたい。

2022年12月19日 12時07分21秒 | owarai
他人と比較することによって、
恋を浮かびあがらせることも
できる

ラブレターで大切なことは、人
真似をしないことだ。

下手でもいいから、自分だけの
オリジナル作品を作るよにしな
ければならない。

けれども、恋する人に自分を
見てしまうことはある。

『友達のサチコに好きな人が
できました。彼の話ばかりして
います。興奮して話す彼女を見て

いるとき、「だれかに似ている」と、
思いました。

だれかなと考えているうちに、
あなたの話をしているときの
自分だと気がつきました』。