みちくさをしながら

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『アナと雪の女王』見ました!

2014-05-05 19:01:51 | 本・映画など
先日、『アナと雪の女王』見てきました。
洋画で劇場がの座席がいっぱいになるというのは久しぶりだったので驚きましたが、いや~、こりゃあ人気あるのわかりますよ。
本当に後味スッキリでしたもん。

おとぎ話を現代的に組み替える手法は、ディズニーに限らずハリウッドのアニメーションに多く見られるのですが、「アナと雪の女王」もプリンセス物語としては画期的な仕掛けがありましたね。

以下、ネタバレになります。


まず、「真実の愛とは王子様のキスである」というおとぎ話の命題を徹底的に否定しています。
王子様はアプリオリに善であり(白雪姫など、いきなりあらわれて素性もわからないのにキスしますわな)姫は受け入れることで幸福を得る、というのがおとぎ話の基本だったりするのですよね。
見ていて白雪姫、シンデレラ、眠りの森の美女など古典的なディズニーのプリンセス物語を思い浮かべました。
これらのプリンセス達は王子様の出現によって救われますが、プリンセスに選択肢はないんですな。

元々のアンデルセンの「雪の女王」も女の子が連れ去られた男の子を取り戻すという話なので、主体性のある女の子が主人公というのは予想の範囲内ではありましたが、プリンセス・アナを救うのが「王子様のキス」という他力ではなく、自らの危機を顧みず姉エルサを救おうとする行動であったというのは、いい意味で裏切られたと思いました。
愛とは与えられるものではなく、自分から与えるものだよっていうメッセージがよく伝わってきました。

さらに画期的だと思ったのは、悪の役割を王子が担っていたことです。
王子様の真実の愛を否定するだけじゃなくて、王子=善、魔女=悪、というおとぎ話の図式を否定しちゃってるんですね。「王子様だって政治的な事情が色々あるんだよ、そもそも出会ってすぐ結婚の申し込みをするヤツなんて下心があるに決まってるだろ!」って感じですかね。

そして、エルサは魔女なんですが、悪ではない。これも重要な点です。

エルサは魔法の能力を隠すために感情を抑えなければならなかったんですが、魔法ということを抜かせばこの手の抑圧は女が普通に体験していることでね。
自分の思うままに振る舞うな、振る舞えば人を傷つけるぞ…。
例えばあれですわ、西原理恵子さんのエッセイマンガによく描かれている、男の子の話にニコニコして相づちの出来る女の子。
内心はくだらない事言っていると思いながら、そういう気配は一切出さずニッコリできる子。
「女の子は地図は読めないけれど、まわりの空気は漏らさず読めます。そっちの方が人生お得」と西原理恵子さんは書いていたが、女の子らしくするということは自分に意見などないように振る舞うことだったりするんですな。

女の子らしくしなさい、長女なんだから我慢しなさい…そういう言葉を投げかけられて一生懸命空気を読んでいる女の子達にとって、魔法の力を隠すために一生懸命自分を抑えているエルサは憧れのプリンセスでも悪の魔女でもなくて、同じ悩みを共有する女の子です。

そして、有名な「Let it Go』をエルサが歌うシーン。
解放されるのは魔法の力ではなくて、抑圧されていたエルサの感情なんですね。
だからエルサに共感するする。

一生懸命自分を抑えているのに、こっちの気も知らず妹は好き勝手なこと言い始めるんだよ。ちくしょー、長女なんてやってられるかー!エルサ、あんたは私だー!レリゴー!!!!ってなもんです。

そしてアナの行動の小気味好さも魅力でした。アナにもエルサにも女の子は感情移入できると思います。
もちろん男の子でも見て楽しい映画だと思いますよ。アクションシーンもたくさんありましたし。
ラストも楽しく、気分よく映画館を出られる映画でした。

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