←歩行訓練中の父です。
3月1日、父の通う介護施設で新型コロナ感染者が発見されました。父は送迎の車に感染者と同乗していて、濃厚接触者になったと、施設から連絡がありました。施設から帰った父には、ほぼ自分の部屋だけで過ごしてもらいました。僕はマスクをして、父が触ったところをアルコールなどで消毒したり、父の部屋に食事を運んで一人で食べてもらったりしました。また、心臓の弱い母を感染から守るため、母にもマスクをしてもらい、手洗いに気を付けながら、母の部屋に食事を運んで一人で食べてもらいました。僕は父の部屋と母の部屋の中間の部屋で、一人で食事を摂りました。こうして、親子3人だけの半隔離の生活、来客を断り外出を自粛するという「おこもり」の生活が始まりました。父も母も、よく理解して耐えてくれました。
3月3日の朝、介護施設の職員さんが2人で田舎の家に来られて、父から検査用の唾液を採取して帰りました。
3月4日の午前、介護施設から電話があり、検査の結果その施設の濃厚接触者全員が陰性だったと言われました。しかし、元看護師の妻や娘は、「唾液の検査でいいのかなあ?」、「1回の検査だけで正確に分かるのかなあ?」などと、まだ安心できないと言います。結局、6日の日曜日まで、半隔離とおこもりの生活を続けることにしました。
3月5日、介護施設は父を受け入れるというので、父にはデイサービスに行ってもらいました。僕の介護負担が大きくなっていることもあるので、妻も賛成してくれました。施設から帰った父に聞くと、利用者はいつもより少なくて、新型コロナの感染を話題にする人はいなかったそうです。
3月6日、日曜日、空は曇って風が吹いていました。母には、父に近づかないようにしてもらい、父は歩行器を押して、午前に1回庭を歩き、午後にも1回歩きました。田舎の家から県道までの道は下り坂で、最近は体力が衰えたので、この坂道を歩行することはほぼ無くなっていましたが、午後の父は、やや体調がよかったのでしょう、その坂道を歩行器で下って行きました。僕は心配になって「この辺で戻ろうや」と言うと、父も「分かった」と言って戻り始めました。坂道を少し上ったのですが、次第に体力がなくなって前に進まなくなりました。僕は、父に歩行器の腰掛に後ろ向きに座ってもらい、転倒しないように気を付けながら、上り坂を歩行器を押し、父は後ろ向きに座った状態で地面を蹴って、坂道を少しずつ上り、庭に戻ることができました。
このとき母は、僕たちからは見えないところで、ある行動を始めていました。
(この続きは、後日のブログで書きます)
3月1日、父の通う介護施設で新型コロナ感染者が発見されました。父は送迎の車に感染者と同乗していて、濃厚接触者になったと、施設から連絡がありました。施設から帰った父には、ほぼ自分の部屋だけで過ごしてもらいました。僕はマスクをして、父が触ったところをアルコールなどで消毒したり、父の部屋に食事を運んで一人で食べてもらったりしました。また、心臓の弱い母を感染から守るため、母にもマスクをしてもらい、手洗いに気を付けながら、母の部屋に食事を運んで一人で食べてもらいました。僕は父の部屋と母の部屋の中間の部屋で、一人で食事を摂りました。こうして、親子3人だけの半隔離の生活、来客を断り外出を自粛するという「おこもり」の生活が始まりました。父も母も、よく理解して耐えてくれました。
3月3日の朝、介護施設の職員さんが2人で田舎の家に来られて、父から検査用の唾液を採取して帰りました。
3月4日の午前、介護施設から電話があり、検査の結果その施設の濃厚接触者全員が陰性だったと言われました。しかし、元看護師の妻や娘は、「唾液の検査でいいのかなあ?」、「1回の検査だけで正確に分かるのかなあ?」などと、まだ安心できないと言います。結局、6日の日曜日まで、半隔離とおこもりの生活を続けることにしました。
3月5日、介護施設は父を受け入れるというので、父にはデイサービスに行ってもらいました。僕の介護負担が大きくなっていることもあるので、妻も賛成してくれました。施設から帰った父に聞くと、利用者はいつもより少なくて、新型コロナの感染を話題にする人はいなかったそうです。
3月6日、日曜日、空は曇って風が吹いていました。母には、父に近づかないようにしてもらい、父は歩行器を押して、午前に1回庭を歩き、午後にも1回歩きました。田舎の家から県道までの道は下り坂で、最近は体力が衰えたので、この坂道を歩行することはほぼ無くなっていましたが、午後の父は、やや体調がよかったのでしょう、その坂道を歩行器で下って行きました。僕は心配になって「この辺で戻ろうや」と言うと、父も「分かった」と言って戻り始めました。坂道を少し上ったのですが、次第に体力がなくなって前に進まなくなりました。僕は、父に歩行器の腰掛に後ろ向きに座ってもらい、転倒しないように気を付けながら、上り坂を歩行器を押し、父は後ろ向きに座った状態で地面を蹴って、坂道を少しずつ上り、庭に戻ることができました。
このとき母は、僕たちからは見えないところで、ある行動を始めていました。
(この続きは、後日のブログで書きます)
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