goo blog サービス終了のお知らせ 

気ままに 外歩き 町歩き 街道歩き

気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

埼玉県比企郡ときがわ町のマンホール蓋(その2)旧比企郡都幾川村

2020-09-13 12:51:03 | マンホール蓋

旧比企郡都幾川村の経緯は、昭和30年2月町平村、明覚村、大椚村の3村が合併して都幾川村が誕生します。その後、平成18年2月1日に比企郡都幾川村と比企郡玉川村が新設合併しときがわ町が誕生し、消滅します。

村章は、都幾川村の「とき川」の文字を図案化し表現しているようです。(昭和42年1月1日制定)

町の花は「ツツジ」、町の木は「スギ」、町の鳥は「セキレイ」です。

前置きはここまでとします。
旧都幾川村は、公共下水道が未整備のだったようです。
そこで、上水道関係の蓋を中心に整理しようと思いますが、旧都幾川村の章や文字などが入った蓋は見つかりませんでした。

合併後のときがわ町のマンホール蓋に関しては、「埼玉県比企郡ときがわ町のマンホール蓋(その1)ときがわ町」をご覧ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の富士山と自衛隊機

2020-09-08 23:32:08 | 富士山&自衛隊機

大型台風10号が過ぎ去り、徐々に天候も回復し青空も見え始めました。
朝から入間基地の自衛隊機が訓練飛行に飛び発っているので、国勢調査の調査員活動に出向く前に久々に青空をバックの機体を撮る事にしました。
(T-4)

もう直ぐ着陸です。

10時過ぎ、気温は30℃を過ぎようとしているので、このままノンビリ撮っていると調査員の仕事がきつく成りそうです。早々に準備し、指定された調査区内の世帯に「国勢調査のお知らせ」のリーフレット配布と要図作成に出かけました。

午前・午後と二度調査活動に出向き、夕方自宅戻って来ると雲間に光る夕焼けがキレイなのでカメラを持ち出してきました。

そうこうしていると、富士山のシルエットが浮かんできました。
この時期には、なかなか見えない富士山ですが台風が通過したお陰でしょうか。

そして今度は、自衛隊機のシルエットが浮かんできました。
(CH-47チヌーク)

(YS-11)

(T-4)

久し振りの富士山と自衛隊機でした。

(撮影日:2020.09.08)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉県比企郡ときがわ町のマンホール蓋(その1)ときがわ町

2020-09-07 21:04:41 | マンホール蓋

比企郡ときがわ町の経緯は、平成18年2月1日に比企郡都幾川村と比企郡玉川村が新設合併しときがわ町が誕生し、現在に至っています。

ときがわ町は、首都圏から北西約60km、埼玉県のほぼ中央に位置し、中心を町名の由来である都幾川が西から東に貫流しています。外秩父山地が武蔵野に接する比企西部山間山沿地域に属し、水と緑に囲まれた豊かな自然環境に恵まれています。面積は55.90平方キロメートル、東西約13キロメートル、南北約9キロメートルの広がりを持つ地形です。

東は嵐山町、西は秩父市、横瀬町、南は鳩山町、越生町、飯能市、北は東秩父村、小川町に接しています。 人口は、令和2年9月1日時点で1.0万人強、世帯数は4.7千世帯強となっています。

町章は、ときがわ町の「と」の文字を図案化し表現しているようです。(平成18年2月1日制定)

町の花は「ミツバツツジ」、町の木は「ヤマモミジ」、町の鳥は「カワセミ」です。(以上は、ときがわ町HPより)

前置きはここまでとします。
現時点で、ときがわ町は公共下水道が未整備のようです。
そこで、上水道関係の蓋を中心に整理しようと思いますが、ときがわ町の章や文字などが入った蓋は殆ど見つかりませんでした。

唯一見つけたのが、こちらの消火栓蓋です。

他にも、消火栓蓋がありました。
こちらの蓋には、「都幾川・玉川水道企業団」と書かれています。
「都幾川・玉川水道企業団」は、昭和44年に創設され、幾川村と玉川村の水道事業を担っていましたが、平成18年2月1日の新設合併に伴いときがわ町水道課に移管され消滅しました。
  
こちらは、「消火栓」の文字だけ入っています。

こちらは、群馬県吾妻郡中之条町の町章が入った消火栓蓋です。

こちらは、「消火弇」とだけ書かれた蓋です。

こちらは、防火貯水槽の蓋です。
中央に旧玉川村の村章が入っています。

こちらは上水道関係の蓋ですが、他自治体の章が入った蓋は見付かりましたが、ときかわ町の章や文字などが入った蓋は見つかりませんでした。

こちらは、仕切弁の蓋です。
「水」の文字が入った他の自治体で見かける蓋です。

左蓋は比企郡滑川町の町章、右蓋は旧栃木県那須郡にあった旧湯津上村の村章が入っています。
 
こちらの章は、まだ調べ切れていません。

こちらは、制水弁蓋です。
左蓋は比企郡嵐山町の町章、右蓋は茨城県下妻市の市章が入っています。
 

こちらは、排泥弁の蓋です。
こちらの章も、まだ調べ切れていません。

上記の蓋は、平成27年12月に撮っているようなので、現在も残っているかは確認しておりません。
以上で、埼玉県比企郡ときがわ町のマンホール蓋の整理は終了です。

なお、こちらでときがわ町に係わる蓋は全て整理しましたが、
その2.として、旧都幾川村のマンホール蓋を整理します。ただ、残念ながらこれまで旧都幾川村と識別できる蓋は見付かっていません。

その3.として、旧玉川村のマンホール蓋を整理します。ただ、掲載している蓋はこちらで掲載した防火貯水槽の蓋のみです。

その4.では「都幾川・玉川水道企業団」のマンホール蓋を整理します。ただ、掲載している蓋はこちらで掲載した消火栓の蓋のみです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉県加須市のマンホール蓋(その4)旧北埼玉郡北川辺町

2020-09-03 22:23:00 | マンホール蓋

旧北川辺町の経緯は、昭和30年4月1日利島村、川辺村の二村が合併し北川辺村が誕生します。その後、昭和46年4月1日に町制を施行して県下39番目の町として北川辺町が誕生しました。
なお、平成22年3月23日に加須市、騎西町、大利根町、北川辺町の1市3町が合併し新たな加須市が誕生し、旧北川辺町は消滅しました。

町章は、「北川」を意匠化し、利根川と渡良瀬川の合流点を「V」にしてその場所に位置していることを意味したデザインのようです。(昭和47年6月27日制定)

市の花は「アヤメ」、市の木は「ウメ」です。

前置きはここまでとします。
マンホール蓋の整理に入る前に、簡単に旧北川辺町の汚水処理について見てみます。
旧北川辺町は公共下水道が未整備だったようですが、東武伊勢崎線・新古河駅近くの陽光台地区には宅地を開発したデベロッパーが下水道を整備し独自の汚水処理場で終末処理をしているようです。
一方、農業集落排水施設は伊賀袋地区に設備されているようです。

最初は、農業集落排水施設に係わる蓋です。
こちらは亀甲模様の汚水蓋です。
右蓋はΦ900の大きさの蓋です。
 
こちらは、毘沙門亀甲模様の蓋です。

参考までに、こちらは陽光台地区で見られる蓋です。
 

引き続き上水道関係他の蓋を整理する事にします。
こちらは、消火栓の蓋です。
市の花「アヤメ」と市の木「ウメ」をデザインした角蓋がありました。
中央上のマークは町のシンボルマークのようですが調べる事が出来ませんでした。

他にも角蓋が幾つがありました。
  
こちらの丸蓋にもシンボルマークがあります。

次は、上水道関係の蓋です。
こちらは仕切弁の蓋です。

こちらは制水弁の蓋です。
   

以上で、その4.旧北埼玉郡北川辺町の蓋の整理は終了です。
その5.では、旧北埼玉郡大利根町の蓋を整理します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする