楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

貧富の差について

2016-02-13 08:38:08 | Weblog
このブログは自分の故郷のような気が致します。

 貧富の差をどこで判断するのかということです。貧富の差というものはあくまでも経済的なものです。しかし貨幣がなかったとしても日々人が生きていく中で人間一人では生きていけません、そこには他者とのかかわりがあるはずです。つまり狩猟・採集社会においても経済という言葉が使われています。狩猟採集経済というように。そこから考えられることは人々の間に当然のこと交換が成り立っているということです。逆に言えば山の中で一人で暮らしている、仙人その人は自給自足で生きていくしかありませんが、その仙人の生活においては自給自足経済という言葉ではなく一人の場合は自給自足生活になるのではないでしょうか。

 自給自足経済という状態を表すには複数の人達の生活を指しているということだと言えます。つまり小さな集団においても生きていく中で何らかの交換が成り立っている社会。狩猟・採集社会であろうとも交換経済という枠組みの中ではその社会は狩猟採集経済ということができます。そこには小さな集落の中で助け合いの精神が生きていたと言えます。それが我々の祖先である縄文時代だと言えます。

 大分昔になりますがその当時私は縄文時代に興味を持ち1週間以上東北の遺跡を巡ってきました。その当時まだ自分なりの考えができていなかったのでただ見てきたということかもしれません。ですが現在新たに発掘された縄文遺跡を改めて調べて解ったこと、そこには人間社会の原型があるということに気が付きました。大陸から離れていたことにより農作とかの技術文化は入ってきませんでしたが、階級社会という力による支配もありませんでした。そして今一番気になっている遺跡は大湯環状列石です。やがては縄文時代という東北から北海道にかけての遺跡は世界遺産になると言えます。その前にまた東北の遺跡を再度訪ねてみたいと考えています。縄文時代という1万年以上の時間がありながら貧富の差のない時代がこの日本にあったということです。そして弥生時代を経て現在に至るまで2千数百年、その間文明という技術的な物を発達させてはいますが人が人を殺しあい、最大の貧富の差を作り出した2千年でした。