オヤジのひとり言

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さらば「浜ちゃん」・

2011年09月30日 | オヤジのひとり言

今日は月末・

朝から外回りで少し遅い昼食を、

よく行く定食屋で、「サンスポ」を見て・ビックリ!! 

さらば浜ちゃん、今季限り引退??なんて記事が

さらば浜ちゃん、今季限り引退
(サンケイスポーツ)

 浜ちゃん、引退-!!。

かつて阪神の4番で活躍したヤクルト・浜中治外野手(33)が

今季限りで引退することが分かったと

球団では来季も契約を結ぶ方針だったが、引退を決断。

浜中は昨年オリックスを戦力外になり、今季ヤクルトに入団。

開幕スタメンの座をつかんだが、近日中に引退発表をする。とスポーツ紙にある。

 

真弓虎が屈辱的な敗戦を繰り返すなか、

かつてタテジマに袖を通した男がユニホームを脱ぐことになった。

2003年星野阪神で4番に座った浜中の引退が、明らかになった。

 

持病の怪我でオリックスを戦力外になり拾われた形でヤクルト入団。

「引退も決意した時期もあったけど、(ヤクルトに)恩返ししたい。

もうひと花咲かせたい」と話していたのだが??。

 

今シーズンはオープン戦で

勝負強さを見せ、現在のレギュラー・畠山らを押しのけて開幕スタメンを勝ちとった。

が、5試合に出場しただけで

2軍落ちして以降、1軍に昇格することはなかった。

 

 それでも球団は来季も契約する方針だった。

だが、

浜中自身が自分で限界を感じ引退を決断。

すでに親しい関係者にはあいさつを済ませていたという。

 

 我阪神タイガース時代を振り返ってみると・・

野村監督最終年となった01年5月13日の広島戦(甲子園)では

プロ初のサヨナラホームラン。

この試合は甲子園で観ていて大感激したものですが。

一躍、期待の若虎として大ブレークし、後半戦も1軍に定着していた。

 

 星野監督時代の03年には開幕4番に座り、

4月だけで8本塁打を放って大暴れしたが、

5月20日の広島戦(甲子園)でホーム生還の際に右肩を痛めた。

さらに6月13日の巨人戦(同)でも送球の際に右肩を脱臼するなど

選手生命の危機にあった。

 

 岡田監督の2006年に復活。

6番に座り、打率・302、20発を放つなど自己最高の成績を収めた。

が、

翌07年は不調と怪我の影響もあり、

この年オフにオリックスへトレードされた。

 「あれだけのけがをして、いつ終わっても不思議でない中、よくやってくれたと思います」とは母・恵美子さん。

 

この日はヤクルト-阪神戦。

ヤクルトが優勝へばく進するなか、

古巣の虎は燕に3連敗でクライマックスシリーズ進出も黄信号で崖っぷちなのだ。

 

 団子鼻で愛くるしい浜ちゃんはファンに愛された33歳の元虎戦士。

ちょっと早過ぎる引退だった。

 

これも時代ですかねぇ・・

秋風が吹く頃には・

悲しい別れがありますなぁ~

 

悲しい別れといえば??

女子ゴルフのスタンレーレディスで
パー5の8番(503ヤード)でアルバトロス、
さらにパー3の16番(135ヤード)でホールインワンを記録した有村智恵選手が引退するという。
アルバトロスは国内女子ツアーでは10例目で、
複数回記録したのは有村が初めてで何でも5万回に一回しか出ない確立だとか。
また、有村のホールインワンは自身初。
に・しても、惜しい選手がゴルフ界から去っていく・
秋ですねぇ
我阪神タイガースは??
もうとっくに・・秋風ッ言うか・・
北風が吹いていますがねぇ~
 
それでも・・
ダメ虎ファンをヤメラレナイ・
虎キチオヤジ

 


六波羅は「冥界の入り口」??

2011年09月30日 | オヤジのひとり言

9/29

 

 

千年の古都のタイムトンネル 

京都の歴史 その190

 

六波羅 」に隠されたもう一つの側面は??

 

冥界の入り口 と考えられた庶民信仰と結びつくものです。

 

 六波羅については、政治の中心地としての姿が1面だとすると、

 

もう一つの顔が庶民信仰の中心とした姿です。

 

 六波羅にある寺院として著名なものには、

 

六波羅蜜寺 」と「 珍皇寺 」の2つが挙げられます。

 

両方の寺は何れも庶民信仰と深く結びついた寺院です。

 

また、現在は化野 ( あだしの ) に移り 化野念仏寺と呼ばれる 念仏寺も、

 

大正年間までこの地にあった。

 

( 化野念仏寺に対し愛宕念仏寺と言われている )

 

六波羅蜜寺 は、市の聖・空也上人との結びつきが強い寺院で、

 

空也 が建てた西光寺を、

 

空也 の没後 天台宗の僧侶・中信 が貞元年間 ( 976) に中興、

 

改称したものとされています。

 

 

記録では、六波羅蜜寺で

 

法華講 」や「 念仏三昧 」・「 地蔵講 」などが催されたことが知られ、

 

今昔物語 』に「 京ノ諸ノ人講ヲ行フ所 」として記されているように、

 

庶民たちが集い、祈りを捧げる場所でした。

 

 

寺内で発掘調査をした際、

 

発見された2千あまりの泥塔は、

 

六波羅蜜寺 のこうした性格を裏付けるものです。