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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その439
京都市中京区河原町通四条にあった近江屋は、土佐藩邸用達の醤油商で、龍馬の良き理解者でもあった。
福井から京都に戻った龍馬は、酢屋からこの近江屋に寓居を変え来る新時代の構想を練っていた。
しかし、慶応3年(1867)11月15日、龍馬は中岡慎太郎と、この地で暗殺された。
現在は旅行代理店の店舗先に石碑が建立されているが、
往来の人の多さに気づく人は少ない。
暗殺者は今もって確定せず、諸説入り交じっている。
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幕末維新の舞台・京都
幕末の維新の頃は、
綺羅星の如く実に様々な英雄が活躍した時代ですが、
なかでも、特に女性に人気が高い人物の一人が坂本龍馬です。
藩が国として認識されていた当時からすれば、
竜馬は極めて柔軟な思想を持った人物で
大政奉還のもととなった「 舟中八策 」などは、
龍馬のそうした一面を如実に表わしている。
最近大阪市の橋下市長の発言などでも話題ですが・・
龍馬の考えた策が土佐藩を、
ひいては徳川幕府将軍家を動かして、
歴史上稀有な、
実力者自らが平和裏に権力を捨てさせるという、
大政奉還を実現させたのですから、
その業績は途方も無く大きいものです。
しかし、
そのために龍馬は、佐幕派、討幕派の双方から命を狙われ、
明治維新の前年の慶長三年( 1867 )11月15日、
河原町通り蛸薬師下ルの醤油屋の・近江屋で、
中岡慎太郎とともに幕府の見廻り組によって暗殺されたというのは有名な話ですね。
現在、
その場所の河原町通り蛸薬師下ルの西側にある、
旅行代理店の入り口脇に
「 坂本龍馬・中岡慎太郎・遭難の地 」と記された石碑が建っている。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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