いまさらですが・
此処でちょっとおさらいを
京都の由来
「京都」という名前の由来については、
古来、歴史的に「天子の住む都」や「首都」を意味する普通名詞として
「京(きょう)」が多く使用されていました。
それ以後は、京、京師、京都などの呼び名の用いられるようになり。
平安京は当初から京都とも呼ばれていましたが、
定着したのは平安後期からだそうで、
京 や京師 とも呼ばれていたそうです。
それから、次第に「京の都 (きょうのみやこ)」や
「京都 (きょうと)」というのが都市の固有名詞のようになり、
定着していったそうですが。
かつて京都は、中国王朝の都となった洛陽にちなんで、
京洛、洛中、洛陽などとも呼ばれていた。
もともとは、平安京を東西に分けて、
その西側を「長安」、東側を「洛陽」と呼んでいたそうです。
が、西側は湿地帯が多かったことなどから次第に廃れていき、
実質的に東側のみが残ったものです。
このため、京都を「洛陽」と呼ぶようになったそうです。
「上京(じょうきょう)」 と言う言葉は、今は地方から東京にいくことを指す言葉ですが、
昔は 「京の都」に上ることを言っていました。
これを「上洛」とも言います。
現在でも、洛南、洛北、洛西、洛東といった呼称が使われていたり、
または東京を含めた京都以外の地方から京都へ行くことを、
「上洛する」とか「入洛する」などと言いうこともあります。
オレは今でも東京へ行く時は 「下る」 といっているが、
新幹線のアナウンスが 「上り東京行き」 と言うのがいまだに気に入らん・・
全くの個人的な意見です。
そして京都の誕生は
世界有数のメジャーな観光都市として知られている 「京都」は、
はるか昔、桓武天皇が784年(延暦3年)の長岡京に続き、
794年(延暦13年)に平安京に遷都したことに端を発する 『千余年の都』です。
「京都」 に都が移された理由はさまざまな説があるようですが、
たとえば、長岡京の建設責任者であった「藤原種継」が暗殺されてしまったことや、
南都寺院の影響から抜け出すためであったことや、
天武系の都を抜け出して天智系の都を造るためであったことなど、
といったことが挙げられています。
実は、平安京は中国の 『風水』 にしたがって設計された都市としてもよく知られています。
その三方を山に囲まれていて、
南に開けていて
北に北山から比叡山があり
東に南に流れる鴨川や東山三十六峰があり、
西には西山が有り桂川が蛇行しながら南へと流れています。
平安京の内部は都城を真似して長方形の区画にされていました。
現在もある千本通が、当時の「朱雀大路」にあたり、
(千本通の由来はまた後日に・・)
真北には船岡山が位置していました。
それが次第に本来の領域とは関係なく
鴨川と大内裏・御所を中心とする都市になっていき、
そして経済的に発展していったのでした。
その後のさまざまな政策により、
京都には神社仏閣の本山を多数置かれるなどし、
彼方此方から人が集中し・
独特の文化が生まれ・
それらが織り成す景観の美しさや高い文化性から、
観光都市として人気が出たのでした。・とさ??
今日は全くの余談でした。・
じゃッ・・・ByX2