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京に伝わる魔界伝説1
藤原忠平・・?
京の町家や旅館の北東に当たるところは
石で囲い、白川砂を置いて清めたりしています。
また鳥居や祠が祀られていたり、
隅が切られていたりする。
これは、
北東の隅から鬼が侵入してくるので
それを防いでいるものなのです。
ほかにも南天( 難を転ずる )や
梨の木( 鬼がなし )を植えたり、
猿の置物( 鬼が去る )を置いたりしています。
王朝時代、この北東の隅から出てきた鬼を一喝した豪胆な人物がいます。
それが藤原忠平です。
『 大鏡 』に次のような話が残っています。
忠平が宣旨を受けて、
それを執行するために、陣の座のほうへ行く途中、
南殿( 紫宸殿 )の御帳台の後ろを通ると、
何かものの気配がした。
するとその何かが、
忠平の太刀で、鞘の先を包んだ金具が付いていたが、
それを引っ張るので不思議に思って探ってみた。
なんと毛むくじゃらで、
爪は長くて刃のような手が見えたのですが
ひるまず、一喝して鬼らしきものの手を捕まえた。
鬼はうろたえ、
その手を振りほどいて鬼門の北東の隅へすーと逃げていったというものです。
忠平は、菅原道真を左遷に追いやった兄の時平と違って非常に人望があった。
若くして亡くなった兄の死後、
延長8年(930)に摂政に
天慶4年(941)には関白になっている。
子の藤原師輔も兄実頼よりも人望があり、
普通の人が見えない百鬼夜行が見えた人物で、
関白までになっている。
ひ孫の道長も魔物や物の怪との話題の多い人ですが、
やはり兄道隆、道兼より人望があった。
そのため本来三男で太政大臣や摂政に就けない位置にいながらも、
その地位を得ただけでなく、
それ以上の栄華を極めた。
鬼や物の怪に出会っても、
その対応を誤らない人物は、
人望も運も手に入るようです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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