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京の歴史がわかる
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その壱百五拾壱
院政の舞台だった鳥羽周辺
白河上皇 の御所として造られた 鳥羽離宮ですが、
その名残をとどめる 安楽寿院
京都市街から東寺をすぎて国道一号線をまっすぐ南下して
大阪方面へ行く途中 鴨川を渡ると
名神高速道路の京都南インターチェンジがある。
この付近を「鳥羽」といいますが、
このあたりは平安時代には 西を流れる桂川がもう少し東に寄っていて、
鴨川 と合流する場所なのでした。
平安京の造営に際しては、
水運で運ばれた材木等の建築資材がこの地で引き上げられ、
平安京まで陸送された。
そのためにこの地と平安京の南端 羅城門との間には輸送用の道路が造られた。
これが「 鳥羽の作り道 」で、『 徒然草 』にもその名が見えます。
平安末期になると、
この沼沢に面した景勝の地が貴族の別荘地として好まれることになる。
白河上皇は、
応徳三年 ( 1086 )、そうした別荘の一つ
備前守 藤原季綱の邸宅を献じられて、
修造を加える。これが 鳥羽離宮 の始まりです。
退位後の御所として造られたが、
ここが 白河上皇の院政の舞台になったのです。
この最初の御所は、のちの 南殿の部分に当たります。
続いて 北殿が建造され、
さらに馬場殿、
泉殿 ( のちの東殿 ) が南殿の周辺に造られている。
田中殿は、
白河上皇からこの離宮を引き継いだ鳥羽上皇の代になって、
北殿と東殿との間に建造されたものです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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