テンポの速い笛、太鼓、三味線の響きと唄、囃子言葉(掛け声)、それに呼応する動き豊かな踊り。賑やかな手拍子と下駄の音。
山里の夏の夜、息つく間もなく夜更けまで続きます――。
岐阜県奥美濃の伝統文化のひとつ、郡上市白鳥の「白鳥おどり」。僕が卒業した高知学芸高校同窓会の後輩会員で、この地の白鳥病院で医師として働く味元宏道さんの誘いを受けて、週末に同窓会の仲間やその孫らと出かけてきました。
僕にとって、踊りは絵と並んで子供のころから大の苦手。あえて定年後の趣味に選んだ絵の方は何とか楽しめるまでになってきたものの、踊りは無理。でも見るのは好きだし、山深い奥美濃の晩夏に身を置いてみたいと訪れたのです。
奥美濃は富士山、立山と並んで日本三霊山とされる白山(2702m)を水源とする長良川流域の一角。開山1300年を迎えた今も、九頭竜川流域の福井県、手取川流域の石川県一帯には白山信仰の伝統文化が色濃く残っています。
白鳥おどりや、同じ郡上市内の郡上おどりも白山信仰から生まれました。
ともに夏の間の一大イベント。今年の白鳥おどりは7月9日から9月24日までの間に、前夜祭を合わせ4日間の徹夜踊りを含めて計23日間の日程で、各町持ち回りの踊りや長滝白山神社などに奉納する拝殿踊りが繰り広げられます。
発祥年代は定かではありませんが、文献などから400年ほど前には踊られていたようだとか。
伝承されてきた曲は10数曲あるそうですが、現在よく踊られているのは源助さん、シッチョイ、神代、猫の子など8曲。
この地の集落や神社、寺院、山や滝などの名前を織り交ぜて、男女の恋物語や栄華にふける藩主と年貢に苦しむ農民らの生活、田植え、山仕事などが歌われ、それぞれ踊り方が違います。
1947年に保存会ができ、2004年には拝殿踊りが国の選択無形民俗文化財に指定されました。
今回誘ってくれた僕よりひと周り以上後輩の味元さんは保存会員。「こちらに着任した当時は見るだけでしたが、町の人たちが踊りを心から楽しむ元気な姿に魅せられて、とりこになりました」と味元さん。
我々はまず町の施設で1時間半ほど特訓。手ほどきをしてくれたのは保存会のリーダー的存在である中林千代子さん。まもなく傘寿(80歳)とは思えぬ動きで、歌の解説を交えながら教えてもらいました。
夜のとばりが下り始めた7時過ぎ。商店街通りに設けた櫓と切子灯篭(きりこ・どうろう)を囲むように観光客も加わった輪ができ、次第に楕円形に。
浴衣に下駄を履き、踊りモードいっぱいの味元さんら後輩たちも、待ちかねたように輪の中へ飛び込んでいきました。
櫓からの唄と囃子言葉に、踊り子たちの輪が回ります。それもゆっくり動いていたかと思うと、駆けるような速さに。曲が終われば、すぐ次の曲に。息つく暇もありません。
下駄を鳴らし、勢いよく手を打つ音。とにかくテンポが速く、賑やかです。若者たちの間では白鳥踊りを「白鳥マンボ」と形容するそうですが頷けます。
他の盆踊りで見られるような、団体ごとに整然と踊る感じはありません。踊る人同士の間隔は狭まり、写真を見ると踊り方もバラバラな感じもします。教えていただいた中林さんのようなきれいな踊りもあれば、自分の世界で踊っている人もあり、といった具合です。
でも、言い換えれば踊る人たちにとってはそうした状態が楽しく、この踊りの魅力なのでしょう。
踊りの輪に新たに入っていく姿はあっても、出てくる姿はほとんどありません。
僕のような「見るだけ」や「撮るだけ」の人は極めて少数派。どこかの文句のように「踊らにゃそんそん」の状態です。
8時を回り、9時を過ぎ、10時になっても止む気配はありません。
この夜の踊りは午前0時までの予定で、孫連れの仲間は「孫は夏休みがそろそろ終わりなので、夜更かしを直さないと」と旅館へ引き上げましたが、味元さんらは行く夏を惜しむかのように踊り続けていました。
「踊ったら、マイナス10歳。」
これは白鳥へ出掛けてくる途中に目にした名古屋のおどりイベントのポスターにあったキャッチコピーですが、白鳥にやってきたご婦人たちは、古希を思わせぬ動きで「踊ったら、マイナス20歳」と言っても過言ではない踊りでした。
本番前に「白鳥おどり」の特訓を受けました
白鳥駅前などにある彫刻像。特訓してくださった若いころの中林千代子さんもモデルに。