現役時代の仕事仲間で今も嘱託として働く後輩のKさんが、戦国時代の勢力争いに巻き込まれた僧兵をテーマにした歴史小説を、インターネットで発表しました。「根来僧兵奮戦の地」。信長、秀吉、家康ら有力大名にスポットをあてた読み物に比べれば、組織と武力を持ち戦国大名の手駒的存在として生きた彼らを主役にした作品は少なく、興味深く読ませてもらいました。
「かなり前に祖母から『うちの祖先は、根来の僧兵だった』と聞いて興味を持ったのが始まりです。仕事が休みの日に、国会図書館や関連する城、寺院などを回って古文書を読み、少しずつ文章にしてきました。そろそろ子供たちにも残しておいてやろうと発表に踏み切ったのです」とKさん。
原稿用紙で20枚ほどありそうな章が、91章もある大作を一気に掲載。読むにはかなりの時間を要しましたが、さすが調査力、取材力、文章力に定評のあった彼ならでは、と感心しました。
戦国時代、野心を持つ大名を軸に荘園領主や寺院・神社、有力商人、水軍、それに情報収集能力を売り物にする忍者組ら、宗教勢力や権益組織、地域勢力などの武装集団が「あっちにつき、こっちにつき」合従連衡して国取りの戦いを繰り広げました。この小説の「根来衆=ねごろしゅう」もその一つです。
根来衆は、和歌山県北部の岩出市にある根来寺を中心に、宗門の寺院の行人(ぎょうにん=僧)、信徒らで構成されていました。
根来衆の強みは銃で武装していたこと。ポルトガル人からの鉄砲伝来を知った根来衆のひとりが種子島に渡って鉄砲と銃弾、火薬の製法を持ち帰り、国産初の銃を手にしました。
量産化する一方で、僧兵たちが鉄砲で武装して戦闘訓練。戦国大名たちも無視できない存在になり、根来衆も彼らとの戦略的同盟に盛衰を賭けたのです。
小説は、農民から志願して根来寺の行人(僧)となった2人の男たちを主人公にして、国取りを争う信長、秀吉、家康らと根来衆の関わりを軸に、根来滅亡までを描いています。
僕は歴史小説に詳しいわけではなく、大河ドラマも近年はあまり関心がありません。戦国時代の勢力図や系図、名の知られた戦いについても同様です。それでも興味深く読めたのは、彼の調査資料の蓄積と表現力の結果でしょう。
例えば、石屋、経木屋、仏具屋の店や仕事場が並ぶ門前町の描写。作業に精出す塗師や弓師、法衣の僧、鉄砲を担いだ行人らの動きが、騒音や土埃、匂いとともに伝わってきます。それを導入口に根来衆の鉄砲製造へと話を展開する。小説の常道とはいえ、その丁寧さと豊かな表現に引き込まれました。
僧兵たちの部隊の編成、鉄砲や槍の訓練。ひとつ一つに、資料収集を重ねた努力を感じます。往時を見ていたかのような描写や表現は巧みです。でも、それを素直に読めるのは説得力があり、読み手を引き付けるのでしょう。
なぜヒトは戦争を繰り返すのか。武装集団である僧兵や武士がどのようにして誕生したのか。荘園とはどのようなものだったのか。それらを、モノ知りの老人に語らせる手法を使うなどで克明に書いています。
秀吉が茶や能、謠に興じる場面でも筆者の知識に驚きました。茶室の様子や茶の湯の所作が長々と書かれていますが、退屈どころか僕の乏しい教養が補われる思いで読むことができました。
地理に明るく、寺院や城の構造、置物、道具といったものが詳しく書かれているのは、職業柄でしょう。農村の暮らしや風景。彼は素足で畦道を歩き田植えをした経験があるのでは、と思わせます。
僕も、文章を書く時、文献や今ではネットも活用して調べますが、小説の中で活かすのは容易ではなかったと推察します。文献やネットで元々間違っていたデータをそのまま引用したらしいものに出くわすことがありますから。
2人の主人公は無名の兵卒。登場回数も少なく存在感が薄いのですが、何が何でも主人公を中心に展開しなければならないとは思いません。
「いずれ自費出版もしたいですね」とKさん。
いいですね。その際は、できれば難解な用語には章の末尾に注釈を。写真、地図、系図、勢力図、イラストの挿入や、お得意のレイアウトも生かしてください。期待しています。
※僕はネットに熟知していないので、「根来僧兵奮戦の地」を開くのには手間取りました。
Kさんによれば、
グーグルやヤフーだと
http://www.ne.jp/asahi/katagi/home/negorosenseki.htmlを入れるか
negorosensekiの文字で検索すれば開けるようです。
※秀吉・家康の両軍が激突した「小牧長久手の戦い」の中で、帰すうを決する戦いの舞台となった「岩崎城」(愛知県日進市)と城下の今