(2021年3月25日)
【はじめに】
先日、3月22日(月)、ある一冊の本が届いた。てっきりアマゾンからの本だと思った。差出人を見ると、そうではなかった。川口健一先生より、ご恵贈にあずかった本であった。
それが、金文京編『東アジア文化講座第2巻 漢字を使った文化はどう広がっていたのか――東アジアの漢字漢文文化圏――』(文学通信、2021年3月12日、3080円)である。
「漢字文化圏」をテーマにした論文集であった。
前回のブログで、漢字をテーマに執筆したが、幾つか気がかりな点が残った。
〇漢字の研究は、現在どのような状況にあるのだろうか。
〇また、以前のブログで記した「書道の歴史」について、漢字の歴史と密接に関わるが、どう整理していったらよいのか。
〇漢字を考える場合、中国以外の日本、朝鮮、ベトナムといった地域では、どのように伝播し受容され、どのような相違がみられるのか。つまり、東アジアの「漢字文化圏」の受容様態に関わる問題である。
こうした疑問に、この論文集は答えてくれる。漢字についての記事を投稿していた私にとって、まさに僥倖ともいえる本であった。
漢字について考察する際に、視野を広げて、漢字の受容のあり方を知るには格好の論文集である。しかも執筆陣は、言語学、文学、歴史学、文献学などの分野の第一線で活躍しておられる碩学である。まさに学際的な研究成果である。
したがって、今回、川口健一先生よりご恵贈賜りました論文集を、新刊紹介してみることにした。
思えば、川口健一先生(現・東京外国語大学名誉教授、専門:ベトナム文学)とは随分古いお付き合いになる。私が大学院時代に学会・研究会で先生とお話しさせていただき、その誠実で温かいお人柄にふれ、それ以来、懇意にさせていただいている。
2005年8月には、ベトナムのハノイで合流して、観光地を案内していただいたこともある。また、以前のブログでも、川口先生の著作を紹介したこともある(「川口先生の著作を読んで」2009年3月18日付)。
【ベトナムのハノイ旅行のブログ記事はこちらから】
≪ハノイ旅行≫
【「川口先生の著作を読んで」はこちらから】
≪川口先生の著作を読んで - 歴史だより≫
このような深いご縁で、学恩に感謝の念を抱きつつ、今回は、この「漢字文化圏」に関する論文集をブログで紹介させていただくことにする。
なお、今回は、総論的に、編者の金文京氏の「序 東アジアの漢字・漢文文化圏」を紹介し、個々の論文は次回において紹介する。
【金文京編『東アジア文化講座第2巻 漢字を使った文化はどう広がっていたのか』はこちらから】
漢字を使った文化はどう広がっていたのか: 東アジアの漢字漢文文化圏 (東アジア文化講座)
金文京編『東アジア文化講座第2巻 漢字を使った文化はどう広がっていたのか――東アジアの漢字漢文文化圏――』(文学通信、2021年)
本書の目次は、「序」および第1~5部に分かれている。
【目次】
序 東アジアの漢字・漢文文化圏
第1部 漢字文化圏の文字
01 漢字の誕生と変遷―甲骨から近年発見の中国先秦・漢代簡牘まで(大西克也)
02 字音の変遷について(古屋昭弘)
03 新羅・百済木簡と日本木簡(李成市)
04 ハングルとパスパ文字(鄭光)
05 異体字・俗字・国字(笹原宏之)
06 疑似漢字(荒川慎太郎)
07 仮名(入口淳志)
08 中国の女書(nushu)(遠藤織枝)
09 中国地名・人名のカタカナ表記をめぐって(明木茂夫)
第2部 漢文の読み方と翻訳
01 日本の訓読の歴史(宇都宮啓吾)
02 韓国の漢文訓読(釈読)(張景俊[金文京訳])
03 ウイグル語の漢字・漢文受容の様態(吉田豊)
04 ベトナムの漢文訓読現象(Nguyen Thi Oanh)
05 直解(佐藤晴彦)
06 諺解(杉山豊)
07 ベトナムにおける漢文の字喃訳(嶋尾稔)
08 角筆資料(西村浩子)
09 日中近代の翻訳語――西洋文明受容をめぐって(陳力衛)
第3部 漢文を書く
01 東アジアの漢文(金文京)
02 仏典漢訳と仏教漢文(石井公成)
03 吏文(水越知)
04 書簡文(永田知之)
05 白話文(大木康)
06 日本の変体漢文(瀬間正之)
07 朝鮮の漢文・変体漢文(沈慶昊)
08 朝鮮の吏読文(朴成鎬)
09 琉球の漢文(高津孝)
第4部 近隣地域における漢文学の諸相
01 朝鮮の郷歌・郷札(伊藤英人)
02 朝鮮の時調――漢訳時調について(野崎充彦)
03 朝鮮の東詩(沈慶昊)
04 句題詩とは何か(佐藤道生)
05 和漢聯句(大谷雅夫)
06 狂詩(合山林太郎)
07 ベトナムの字喃詩(川口健一)
第5部 漢字文化圏の交流――通訳・外国語教育・書籍往来
01 華夷訳語――付『元朝秘史』(栗林均)
02 西洋における中国語翻訳と語学研究(内田慶市)
03 朝鮮における通訳と語学教科書(竹越孝)
04 長崎・琉球の通事(木津祐子)
05 佚存書の発生――日中文献学の交流(住吉朋彦)
06 漢文による筆談(金文京)
07 中国とベトナムにおける書籍交流(陳正宏[鵜浦恵訳])
08 中国と朝鮮の書籍交流(張伯偉[金文京訳])
09 東アジアの書物交流(高橋智)
10 日本と朝鮮の書籍交流(藤本幸夫)
11 日本における中国漢籍の利用(河野貴美子)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・本書の目的――漢字・漢文文化圏の実態研究
・諸論文に対する編者のコメント
本書の目的――漢字・漢文文化圏の実態研究
この書籍の企画・目的について、金文京氏は、「序 東アジアの漢字・漢文文化圏」において、次のように述べている。
「本講座第二巻「漢字を使った文化はどう広がっていたのか」は、東アジア、特に中国、朝鮮半島、日本、ベトナムにおいて、漢字および漢字で書かれた文章、すなわち一般にいうところの漢文にどれほどの多様性があるのかを、これに関連する事象および相互の交流をも含めてトータルに検証することを目的として企画したものである。」(13頁)
東アジア(中国、朝鮮半島、日本、ベトナム)という地域は、「漢字文化圏」と呼ばれる。その多様性を検証することが本書の目的であるという。
世界の他の文化圏、たとえば、キリスト教文化圏、イスラム文化圏などが宗教名を冠しているのに対し、東アジアという地域は漢字という文字名を冠している。それは、この地域を一つの宗教によって代表させることが困難であったためであろう。
ただ、漢字文化圏という言い方も、問題があるともいわれる。
〇たとえば、ベトナム、北朝鮮は漢字をすでに廃止しており、韓国もほとんど使われないので、漢字を日常的に使用しているのは、中国本土、台湾、日本だけである。つまり、現在、漢字文化圏はすでに文化圏としては機能していない。
〇また、表意(語)文字である漢字は、その字体こそ地域の中で、ほぼ共通しているものの、字音はまちまちであった。中国には標準音のほか各地の方言があり、日本、朝鮮、ベトナムの漢字音は、中国漢字音に由来するとはいえ、互いに聞くだけでは理解できないほど、変化を遂げている。つまり、漢字文化圏における漢字の共通性とは、字体の共通性ではあっても字音の共通性ではない。
〇また、漢字は過去において、この地域の共通文字であったが、漢字だけが使われていたわけではない。仮名、ハングル、字喃(チュノム)、歴史的には契丹(きったん)、女真(じょしん)、西夏(せいか)文字やウイグル、モンゴル、満州文字などの文字が使用された。
(仮名、ハングル、字喃は漢字との混用もみられた。日本では、現在でも片仮名、平仮名、漢字、あるいはローマ字をいれて4種の文字が併用される)
総じて、この地域の文字生活は複雑である。
〇さらに問題なのは、漢字を連ねた文章、いわゆる漢文である。
漢字による文章には、さまざまな文体がある。中国には、古典文言文のほか、仏教漢文、吏文(りぶん)、書簡文、また近世の口語を反映した白話文、方言文がある。日本や朝鮮など中国近隣地域には、いわゆる変体漢文がある。
(均一な古典文言文であっても、それは目で読んだ場合の均一性である。各地の字音の相違、また訓読のような特殊な読法によって、声に出して読んだとたん、均一性は失われる点は注意を要する。そしてそれは相互に理解不能な文体になってしまう)
したがって、過去の漢字文化圏において、そうした文体がどれぐらいあり、どのような機能を担っていたのかを、トータルに把握することなしに、漢字文化圏の実態を解明することはできない。
ただ、東アジア研究の現状からするとトータルな把握には程遠い状況であるらしい。
東アジアの文化と文学において、「共有の位相」にあったのは、古典文言文(狭義の漢文)であった。つまり、東アジアでは、狭義の漢文、漢詩を読み、それを作る能力が知識人の必須の条件として共有されており、交流の場でもそれが手段であった。
しかし、古典文言文や漢詩の「共有」には、二つの問題があると金文京氏は指摘している。
①古典文言文や漢詩の流通範囲は局限的であったこと。
つまり、古典文言文や漢詩を読み作る能力と必要があったのは、中国でも一部の知識人、その他の地域では少数のエリートに限られていた。
さまざまな文体の中に、どのような「共有」があるのかを検証する必要がある。
②交流という観点から見る時、古典文言文、漢詩による交流は、中国から周辺への単方向であったこと。
〇近年、朝鮮王朝時代、江戸時代における儒教経典解釈の独自性が注目を集めているが、ここに問題点が浮上してきたようだ。
たとえば、国際学会で、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の『論語』解釈のユニークさを強調した際に、一部の中国の研究者から、当時の中国で荻生徂徠の『論語徴』を読んだ人はおらず、交流とは言えないという反論が出た。
前近代中国の知識人は、中国域外での漢文著作、漢詩には物珍しさ以上の興味はなく、実際の影響力は無きに等しいという。
また彼らの関心は、中国で失われた典籍(いわゆる佚存書)に注がれた。逆に、朝鮮や日本の知識人は、自国の漢文や漢詩の書籍を輸出もしたが、もっとも有効だったのは、佚存書の輸出だったそうだ。
〇それでは、中国以外の国々の交流はどうか。
たとえば、朝鮮通信使と日本の文人との交流を例に取ると、個人間の相互理解は生まれたが、全体的に見れば、両者とも相手の国の言葉を知らず、交流は狭義の漢文による筆談、漢詩の応酬によって行われた。
しかも漢文、漢詩は、日本では訓読、朝鮮側では懸吐(朝鮮漢字音で直読し、朝鮮語の助辞をつける方式)という独自の方法で読まれた。だから、同じ文章、詩でも読み方はまったく異なっていた。
したがって、狭義の漢文や漢詩による交流や影響関係の考察には、限界がある。より広い視野から漢字文化圏での漢字、漢文のさまざまな営為を検討しなければならない、と金文京氏は主張している。東アジア世界は長く複雑な交流の歴史をもっている。その歴史全体を考察し、実態を正しく認識する必要がある。
そして、本書の目的について、次のように記している。
「本書の目的は、過去を顕彰することでも、研究者のために新たな研究領域を開拓することでもない。東アジアの来るべき時代のあるべき姿を模索するために、その重要な部分である漢字・漢文文化圏の実態を思考の材料として提供するという未来を志向するものであることを、特に強調しておきたい。」(17頁)
このように、未来への教訓を過去から汲み取る際に、漢字・漢文文化圏という過去の膨大な遺産と向き合うことには意義のあることであり、その実態を思考の材料として提供することに、本巻の目的があるようだ。
(金文京編『東アジア文化講座第2巻 漢字を使った文化はどう広がっていたのか――東アジアの漢字漢文文化圏――』文学通信、2021年、13頁~17頁)
諸論文に対する編者のコメント
第2巻の諸論文について、編者の金文京氏は、次のように紹介し、コメントを述べている。
第1部 漢字文化圏の文字
・「漢字の誕生と変遷」、「字音の変遷について」は、漢字の字体と字音の多様性についての基礎的知識を提供する。
・「異体字・俗字・国字」を併読すれば、漢字について必要な知識を得ることができる。
・「新羅・百済木簡と日本木簡」では、これまで日本の国字であると考えられていた「鮑(あわび)」、「椋(くら)」や「畠(はたけ)」が実は朝鮮半島での造字であることが指摘される。従来、日本国内の視点からのみ行われていた木簡研究に比較の視野を開く。
・「疑似漢字」は、漢字を模倣しつつ漢字に対抗する意識をもって、国家によって意図的に作られた契丹、女真、西夏文字を解説する。
・「仮名」は、それら東アジアで作られた疑似漢字の系列に仮名を組み込んで考察する。
・「ハングルとパスパ文字」は、従来もっとも独創的な文字とされてきたハングルがパスパ文字の影響を受けており、かつハングル創製の目的の一つが漢字音の表記であったことを主張する。
・「中国の女書」は、中国にも女性専用の文字が存在することを紹介する。同じく女文字と呼ばれた平仮名やハングルとの時空を超えた共通性を示唆する。
・「中国地名・人名のカタカナ表記をめぐって」は、従来、漢字はそれぞれの地域の発音で読むというのが漢字文化圏の慣行であったが、現地音尊重という新たな主張の問題点を指摘する。現在この現地音尊重主義を徹底させているのは韓国であるが、日中を含めて新たな慣行作りのための討議が行われることが望ましいとする。
第2部 漢文の読み方と翻訳
・「日本の訓読の歴史」と「韓国の漢文訓読(釈読)」は、日韓の訓読について概説したものである。前者は、ヲコト点について朝鮮での同様の記号の存在を指摘している。後者は、15~16世紀に新たに登場した訓読方式と日本との関係を示唆する。
記号を使用した訓読は、現在のところ日本と朝鮮半島にのみ確認されるが、広い意味での訓読現象は東アジア各地に存在した。
・「ウイグル語の漢字・漢文受容の様態」と「ベトナムの漢文訓読現象」は、漢字・漢文文化圏における訓読現象の普遍性を例証する。
・「直解」、「諺解」、「字喃」(「ベトナムにおける漢文の字喃訳」)について。
古典文言文は中国においても、近世なると知識層の増大にともない、理解が難しい人々が出てくると、そこで現れたのが、文言文をわかりやすい口語に翻訳した「直解」である。同じことは、朝鮮におけるハングル訳である「諺解」、またベトナムの「字喃」によっても行なわれた。
・「角筆資料」について
日本の訓読などには、しばしば角筆で記入された文字が見られる。「角筆資料」は従来、日本独自のものと見なされていたが、近年、韓国、ベトナム、さらにヨーロッパでも存在が報告されている。
・「日中近代の翻訳語」は、近代の東アジアにおいて、流入した西洋文明の概念が漢文をもとにして翻訳されたが、それについての考察である。
第3部 漢文を書く
・「東アジアの漢文」では、東アジアにおける古典文言文の意味と役割が考察される。
・「仏典漢訳と仏教漢文」、「吏文」、「書簡文」、「白話文」は、中国における文体の多様性とその東アジアへの影響が論じられる。
・「日本の変体漢文」は、変体漢文について、中国対日本という構図の中で検討されたが、中国を含む漢字・漢文文化圏全体の問題として再検討しようとする。
・「朝鮮の漢文・変体漢文」と「朝鮮の吏読文」は、朝鮮の変体漢文の代表である吏読(吐)文の紹介である。それが単なる実用文にとどまらず、戯作的文学作品にまで及んだことを明らかにする。
・「琉球の漢文」は、琉球における漢文読解、製作の背景を紹介している。特に、中国人の子孫が住む久米村では、中国語の直読と日本式訓読が併用された。(この点は、20世紀の台湾、朝鮮の植民地時代における漢文教育にも通じるようだ)
第4部 近隣地域における漢文学の諸相
第4部では、中国以外の地域での漢字、漢文による文学形式が紹介されている。
・「朝鮮の郷歌・郷札」は、日本の万葉和歌にほぼ相当するもので、『三代目』という歌謡集も編纂された。(残念ながら現存しない)
・「朝鮮の時調――漢訳時調について」は、朝鮮王朝時代に士人の間で流行し、現在でも作者のいる朝鮮語の短詩型について述べる。(ただ、それは日本の和歌や俳句のように、漢詩と拮抗しうる地位を得るには至らなかった)
・「朝鮮の東詩」と「句題詩とは何か」は、正規の漢詩でありながら、日朝いずれも独自の規則によって作られた東詩と句題詩の紹介である。
(編者によれば、日本の句題詩は、唐宋代の科挙に用いられた省題詩と関係があるとされる。その意味では科挙での詩である朝鮮の東詩と共通するという)
・「和漢聯句」は、和歌と漢詩を交互に用いた聯句で、和と漢が対等に定立しえた日本ならではの文学形式である。
・「狂詩」は、中国の打油詩や朝鮮の東詩の一部を成す諧謔詩に相当する。これも独立したジャンルとして成立したのは日本だけである。
・「ベトナムの字喃詩」は、日本ではほとんど知られていない字喃によるベトナム語の詩を紹介する。
(その全貌が明らかになれば、さまざまな比較が可能になると、編者は期待している)
第5部 漢字文化圏の交流――通訳・外国語教育・書籍往来相
第5部の前半は、通訳の問題、後半は文字と書籍による交流を扱う
・「華夷訳語」は、明清時代の中国で編纂された外国語教科書である。東アジアでは、古くから外交の舞台などで通訳が活躍し、また通訳養成のための教科書が編纂された。「華夷訳語」は、中国と周辺諸外国との朝貢冊封体制を、中国側から体現したものであった。
・「朝鮮における通訳と語学教科書」は、朝貢冊封体制における朝鮮の状況を、通訳と語学教科書に焦点をしぼって解説する。朝鮮ではその地政学的位置から、通訳の養成、教科書の編纂が国家事業として熱心に行われた。
・「長崎・琉球の通事」は、日本語と中国語の通訳について論じる。日本(長崎)が朝貢圏外、琉球は朝貢国という相違がある。すなわち、琉球の通事が中国人としてのアイデンティティを保持したのに対し、長崎の通事は幕府への忠誠を優先させた。しかし、双方とも中国人の子孫を通訳として採用したことに変わりはない。
(それがもっとも現実的で簡便な方法であったとされる。その点、朝鮮では、中国人をはじめ現地人を決して採用せず、あくまで自前で通訳を養成した。その特殊性が際立つ)
・「西洋における中国語翻訳と語学研究」は、東アジア世界にとっての他者である西洋人の中国語観と、その中国語研究について、普遍と個別という問題意識から論じている。
・「漢文による筆談」は、他の文化圏には類例のない筆談という交流方法について述べる。
・「佚存書の発生――日中文献学の交流」は、自国ですでに亡佚した典籍を他国に求める中国知識人の意識(孔子の言葉とされる「礼失われてこれを野に求む」という表現がある)と、自国にあって中国にはない典籍を中国に輸出した日本の知識人の奇妙な同居について、その具体的歴史を概観する。
・「中国とベトナムにおける書籍交流」、「中国と朝鮮の書籍交流」、「東アジアの書物交流」、「日本と朝鮮の書籍交流」において、それぞれの地域間における書籍交流の実態が述べられる。
漢字・漢文文化圏における文化交流において、もっとも重要な意味をもったのは、書籍の交流であったようだ。その中で、ベトナムが自国で消費する書蹟の出版を中国の広東の出版業者に委託した代刻本などは特殊な例とされる。
・「日本における中国漢籍の利用」は、輸入された中国漢籍がどのように受容、利用されたかについて考察している。(同じことは、朝鮮半島、ベトナムでも起こったはずだが、その実態と相互比較は、将来の課題である。)
以上、論文の内容とコメントである。個々の論文は、力作ぞろいである。
全体の構成は、混沌とした印象を否めないと編者は記している。
その原因として、漢字・漢文文化圏のすべての事象を客観的に考察しようとする試み自体、現時点では困難な状況にあるとする。まずは一国史観や自国中心の比較方法から脱却する必要があるともいう。
日本国内の研究の間でも、共通の基盤があるとは必ずしも言えず、中国、韓国、ベトナムを含めた四か国の研究者の問題意識、立脚点にも相違があるのも、現状らしい。
今はただ、その目的に向けての、ささやかな一歩と成り得ていることを編者は願っている。
(金文京編『東アジア文化講座第2巻 漢字を使った文化はどう広がっていたのか――東アジアの漢字漢文文化圏――』文学通信、2021年、13頁~22頁)
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