歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪英語学習法のヒント~晴山陽一『英語ベストセラー本の研究』より≫

2021-12-15 18:19:11 | 語学の学び方
≪英語学習法のヒント~晴山陽一『英語ベストセラー本の研究』より≫
(2021年12月15日)
 

【はじめに】


晴山陽一『英語ベストセラー本の研究』(幻冬舎新書、2008年)を通して、英語学習の方法を考えてみる。




【晴山陽一『英語ベストセラー本の研究』(幻冬舎新書)はこちらから】

英語ベストセラー本の研究 (幻冬舎新書)














さて、今回の執筆項目は次のようになる。








『』の要約


氏のプロフィール




晴山陽一『英語ベストセラー本の研究』(幻冬舎新書、2008年)を通して、英語学習の方法を考えてみる。

國弘正雄『國弘流 英語の話しかた』(たちばな出版、1999年)の内容を晴山陽一は紹介している。
【國弘正雄『國弘流 英語の話しかた』(たちばな出版)はこちらから】

國弘流英語の話しかた

音読の勧め


〇中学英語の教科書の習熟度について
①英文をひっくり返さずに頭から順に読んで意味がわかる
②日本語が頭に浮かばないのに、意味がイメージとして実感できる
③ふつうのスピードで吹き込まれた付属のテープ(またはCD)をテキストを見ずに理解できる
④音読がネイティブ・スピーカーに楽々と通じる
⑤文のどの部分が、他の言葉と入れ替え可能かという、基本的な予測がつく
(94頁~95頁)

「只管(しかん)朗読」とは、曹洞宗の開祖、道元の「只管打座(しかんたざ)」にヒントを得た言葉で、「ひたすら朗読する」という意味である(91頁)

〇「只管朗読」のやり方(中学レベル)
≪十段階≫
第一段階 「只管朗読」の必要に目覚め、テキストを決める
第二段階 テープ(CD)を聞くと同時にテキストの一通りの意味を理解する
第三段階 単語レベルでの発音を一通りできるようになる
第四段階 途中でつっかえずに、曲がりなりにも最後まで発音できる
第五段階 構文的な切れ目と音読との関連が理解できる
第六段階 日本語訳に頼らずに意味が文の先頭から自然にとれる
第七段階 イメージが生き生きと実感できる
第八段階 朗読していて、自然さと楽しさが感じられる
第九段階 テキストの例文の応用可能性にどんどん気づく
第十段階 自分の英語力が広がっていく可能性を実感できる(96頁)

とくに「第六段階 日本語訳に頼らずに意味が文の先頭から自然にとれる」という点に関して、國弘正雄は同時通訳の経験を踏まえて、次のようにいう。同時通訳も、実は<英語→日本語>という直訳ではなく、<英語→イメージ→日本語>の流れで作業しているのだそうだ。いったん頭の中でイメージを作らないと、即座に自然な日本語へ移しかえることは困難であるという(96頁~97頁)。

〇「只管朗読」の発展(高校レベル)
・「スラスラ感」を求めて何度も音読することが大切
・音読回数は一題について50回を目指そう
・日本語訳はゴールではなく、スタートである
・ だから音読を重ねるためには、あえて「他人の和訳」を利用してもかまわない
(97頁~98頁)

〇【整理】
①あらゆる武器を動員して、きちんと英文の意味を理解する
②理解したものをひたすら音読練習して「スラスラ感」を獲得する
③「スラスラ感」を獲得した長文を、一題一題増やしていく、という流れを着実に作っていく
(98頁)

〇【音読と文の理解】
①「只管朗読」は、難文を読む上での「直感力」を養う
②訳と直感で理解できないときには、文の分析が必要だ
③分析した場合も、音読しないと応用力は生まれない
④難文を100個も練習すれば、たいていの本は単語さえわかれば理解できるようになる
・100の英文を50回ほども音読すれば(つまり計5000回)、たいていの本を理解できる素地ができる。
学習の真髄は「復習」にある(98頁~99頁)

後述するように、『英文解釈教室』(研究社出版、1977年)の著者である伊藤和夫は「英語は左から右へ読むものである」という信念を明確に打ち出している(119頁)。

〇井上一馬は『英語できますか?』(新潮社、1998年)で次のように説いているという。
・リスニングができれば、あと少しの努力でスピーキングができるようになる
・最初に必要なテキストの条件はテープ(今ではCD)が付いていること
・教材はあれこれやらず、一種類をとことんやるのがよい。テープ(CD)を聞きながら徹底的にやって、基本文型を頭に入れる
・英語を話せるようになるには、「英語の新聞がふつうに読める程度」、すなわち2万語が必要であるという
ニュースを聞くには2万語が必要だが、テレビドラマは5千語くらいで理解できる
ともあれ、「大人の会話や新聞を読むには、2万語が必要だ」という(161頁~171頁)

〇英語習得の王道は「音読」であると國弘正雄は強調している
究極の学習法の条件とは、次の5つであると晴山陽一は要約している。
①学習の抵抗感をなくす
②音読と暗誦を繰り返す
③リスニングを他の3技能に先んじる
④継続が不可欠
⑤まず磐石の基礎を築くことが肝要
逆の言い方をすれば、次の5つになる
①英語に抵抗感を持っていたら、学習は続かない
②体を使わない英語学習は身につかない
③音の伴わない英語は、使いものにならない
④一朝一夕に英語力がつくというのは幻想にすぎない
⑤基礎を手抜きすると、どんなに勉強をしても砂上の楼閣になりかねない(214頁~215頁)

〇そして次の5項目は重要である。
①愚直な練習が底力をつける原動力となる
②完全に理解したのち、音読を繰り返す
③理解するための文法分析は有効である
④英語を日本語に訳さずに聞き、イメージを作ることが大事
⑤英文は左から右へと流れのままに理解する(216頁)

英語はいくら聞いても、自分で発音しないとしゃべれるようにはならないと主張し、晴山陽一は音楽の体験を記している。
晴山はカーペンターズのベストヒットCDを100回「聞き流し」したが、歌えるようにならなかった。しかし、100回聞き流したあと、試しに音読してみたら、耳からカレン・カーペンターの歌声が聞えてきたという。文字から音が出てきたのはこれが初めての体験だったらしい。100回聞いたという経験が、晴山の宝物となった。経験はお金に代えられない。
だから、「聞きまくり、読みまくる」という流れを作るのが誰でも簡単にできる英語学習法である。聞きまくることにより、「英語の音」が耳から離れなくなる。読みまくることにより、「英語で考える」ことが次第に自分の体に染みついてくる。おそらくブローカ中枢の活動が、頭脳のもっと奥の「何か」を刺激すると推測している。
英語の命は「音と語順」であるといわれる。その両方を手に入れるには、とりあえず聞きまくり、読みまくるしかない。これこそ英語を「内在化」するもっとも効率的な方法である。たとえ、少しばかり時間と労力がかかるとしてもである。
こう晴山陽一は主張している(229頁)。

英語の他に、ドイツ語かフランス語の習得を勧めたい。フランス語の学び方については、ブログでまた詳しく解説する予定である。
晴山陽一の本の中でも、フランス語の学習について述べた箇所がある。
井上一馬は『英語できますか?』(新潮社、1998年)で、フランス語を勉強する時、最初は基礎会話をテープで徹底的に反復練習した。外国語の学習は「耳から入ること」が最も重要であると主張していることを晴山は紹介している(162頁)。
また、フランソワ・グワンというフランスの言語教育学者の言語観は、「子どもは動詞を中心にして言葉を増やし、過去の学習経験で得た概念の種々の要素によってまとまった文をつくる」というものである(140頁~141頁)

言語の習得には、「読む」「書く」「聞く」「話す」の4技能を身につける必要がある。しかし日本では、「読む」「書く」といった文字学習に重きが置かれ、「聞く」「話す」といった音声学習がないがしろにされてきたとよく言われる。つまり日本の英語教育はあまりにも「読解」に偏りすぎたと批判される。
日本人は難解な英文の意味は分かるのに、いざ会話となると、簡単な単語すら口から出てこず、自然な英会話のキャッチボールができないと悩む人が多い。
ここで赤ちゃんが言葉の使い方をどうやって覚えていくかを考えてみると、一つの解決策が浮かんでくる。親が話すことを耳で聞き、それをまねて、自ら言葉を発しようとする。まずは「音」としての言語に慣れ、それを場面や状況と結びつけながら覚えていく。これが言語の自然な習得法である。
晴山陽一は英語ベストセラー本を研究して、音読の重要性に改めて注目したのである。
その他、映画や音楽、時事問題など、興味のあるトピックの最新情報に、英語で触れてみることも重要である。

ところで、宮本輝も小説『草花たちの静かな誓い』(第1章36、『山陰中央新報』、2015年4月6日[月])でも、この英語学習法について言及していた。語学学校で英語を習得する最も早道が、「朗読式外国語習得法」と称するものであるという。英字新聞の記事もしくは英語で書かれた小説を声に出して読むというものである。小説なら半ページほど、新聞ならコラム記事を、ポケットに入る小型デジタル録音機に、教師に頼んで朗読してもらい、それを録音して、正しい発音を何度も繰り返し聞いて、そして自分で朗読してみるというのである。主人公弦矢はアメリカ留学時代にこの勉強方法により短期間で急速に英語が上達した。その結果、専門分野の経済用語だけでなく、文学的表現や単語を身につけることができたという。


松本亨の英語観


英語教育界の巨星だった松本亨は『英語で考える本』(英友社、1968年)の冒頭で、英語の文型がいかに単純かという話からスタートしている。
松本は、英文は大きく分けて二種類しかないと言い切る。
①A=B(AはBである)
②A→B(AはBを何々する)
この二つだと断言する。すべての英文を、A=B、A→Bに二分するという発想は、その後の松本の著作の基本フレームとなっている。
例文を挙げると、
①I am a student. (A=B)
②I ate supper. (A→B)
このように、英語のフォーミュラ(表現の型)は非常に単純であり、そのことは英語で考える上でとても好都合であるという(晴山、2008年、75頁~76頁、191頁~192頁)。
このことは、究極にシンプルな英文の組み立て方は、①誰が(主語)、②どうする(動詞)+付け足しであるということにもなる。つまり、英語の土台になっているのは、主語+動詞である。これが英語の「幹」であり、付け足しは「枝葉」という情報であるとも捉えられる。

ところで、英会話コーチの山田暢彦は、中学で習う英文は、すべてこの型に当てはめることができるという(『山陰中央新報』2015年4月11日[土])。
例えば、次のような例文を考えてみれば、このことがわかる。
①I wake up.(私は起きます)
  あとは、「7時に」=「at seven」
      「朝」 =「in the morning」
②I went.(私は行きました)
  あとは、【どこへ】  =「there」
      【誰と】   =「with my sister」
      【どうやって】=「by bus」
      【何のために】=「to meet him」
というふうに、考えながら膨らませてゆくことができる。
だから英語を話す際、とりあえず「誰がどうする」まで口に出すことを意識せよという。それ以外の情報は、後から付け足すことができる。ポイントは「誰がどうする」と「付け足し」を区別して文を組み立てることである。これができれば、たとえ中1の易しい文法でも、十分「英語らしい英語」がしゃべれるようになれる。

伊藤和夫については校正済(2021年10月26日)

伊藤和夫と英文解釈


伊藤和夫『英文解釈教室』研究社出版、1977年[1997年版]について
1970年代は英語の名人が輩出した時代である。同時通訳者が脚光を浴びてスター的な存在となり、名うての翻訳家たちがプロのノウハウを明かし始め、彼らが目を見張る本を世に問うた。

晴山陽一は1970年代を「逡巡の時代」と呼んでいる。名人と素人の格差が歴然と広がり、成果の上がらない英語教育に対する根本的な疑問が投げかけられた時期だった。この時代のベストセラーとして、晴山は次の3冊を取り上げている。
①國弘正雄『英語の話しかた』サイマル出版会、1970年
②中津燎子『なんで英語やるの?』午夢館、1974年
③伊藤和夫『英文解釈教室』研究社出版、1977年[1997年版]
(晴山、2008年、88頁~89頁)。

この中で、『英文解釈教室』は重厚な受験参考書ながら、ミリオン・セラーを達成している。
伊藤和夫の発想は、改訂版「はしがき」[1997年版]に簡潔にまとめられている。
つまり、どんな英文も文頭からスタートし、左から右へ、上から下へ一度読むだけで、その構造と内容の明確な把握に到達しようとする「直読直解」の読み方を具体的に示すこと。伊藤は「英語は左から右へ読むものである」という生涯を通じて持ち続けた信念を明確に打ち出した。伊藤和夫は生来の思想家であり、構築家であったと晴山はいう。

英文を訳せば事足りるとする態度は、<英語→日本語→事柄>の順で理解しようとしている。これに対し、伊藤和夫が目指したのは、<英語→事柄→日本語>という理解の順序である。伊藤は言う。
「英語自体から事柄が分かること、つまり訳せるから分かるのではなく、分かるから必要なら訳せることが英語の目的である」と。
伊藤和夫の言語観とは、「言語の習得は理解が半分、理解した事項の血肉化が半分である。後者のためには、同種の構文で書かれた文章を大量かつ集中的に読むことが有効である」というものである。

伊藤は「あとがき」で、
「英語の構文を理論的に解明することを主眼とし、英文の読解にあたってその構造をできるかぎり意識的に分析しようとした」のが、『英文解釈教室』という本であり、この書物から得た知識をもとに、自分が読みたい原書を読むことを勧めている。そして、「本書の説く思考法が諸君の無意識の世界に完全に沈み、諸君が本書のことを忘れ去ることができたとき、本書は諸君のための役割を果たし終えたこととなるであろう」と締めくくっている。伊藤和夫(1927-1997)は、東京大学文学部西洋哲学科を卒業しただけあって、その主張は哲学的で、説得力がある。

日本語にする以前の水際で英文を「事柄」として理解する。それが伊藤が生涯追い求めた理想の「英文解釈」のあり方だったようだ。この<英語→事柄→日本語>という図式は、國弘正雄の<英語→イメージ→日本語>と完全に一致すると晴山陽一はいう(伊藤、1977年[1997年版]、iii頁~v頁、314頁。晴山、2008年、121頁)。


伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年
伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年

【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTI (駿台レクチャー叢書)


【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTII (駿台レクチャー叢書)



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