≪辻井達一『日本の樹木』(中公新書)を一読して≫
(2022年11月27日投稿)
庭木の剪定をせざるをえなくなり、樹木について調べている。
我が家の庭木の「イチイ」について調べているとき、ウィキペディアの「イチイ」の項目の参考文献の1冊として、次の辻井達一氏の本が挙げられていた。
〇辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]
早速、購入して一読してみた。
イチイのみならず、様々な樹木について、解説してある。
そこで、今回のブログでは、次の観点から、この本の内容を紹介してみたい。
〇植物の名称について
〇季節と花
〇歴史との関連で
〇庭木として興味ある木
【辻井達一氏のプロフィール】
・1931年(昭和6年)、東京に生まれる。
・1954年、北海道大学農学部卒業、同大学名誉教授。農学博士。専攻は植物生態学。
<主な書作>
・『北海道の湿原』(共著、北海道大学図書刊行会)
・『北海道の花』(共著、北海道大学図書刊行会)
・『北海道の樹』(共著、北海道大学図書刊行会)
・『湿原』(中公新書)
【辻井達一『日本の樹木』(中公新書)はこちらから】
辻井達一『日本の樹木』(中公新書)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
〇植物の名称について
〇季節と花
〇生活と花
〇歴史との関連で
〇植物の名称について
【カシワ(ブナ科コナラ属)】
・日本でよく知られている樹と言えば、松、杉、檜、桜、椿、楓などがまず並ぶ。
柏(カシワ)もまた、それらに続くものとして挙げられる。
・ここで漢字を並べたついでだが、日本でいう柏は、中国ではまったく別のヒノキ科ビャクシン類、ネズコ属などに当てられる。
日本でも、ヒノキ科のコノテガシワにはカシワの名が用いられているが、これは漢名の柏の字から来た呼び名ではないだろうか、という。
ともかくも、柏は中国では針葉樹だから、柏餅の説明に「その広い葉で餅を包む」などと言っても、理解に苦しむにちがいない。
・日本でいうカシワは、中国では「櫟」になる。
これは日本では、クヌギあるいはイチイに当てられているから、さらに厄介である。
因みにカシワには別に、槲、枹、柞などという字も使われている。
枹などはその字面からなんとなく柏餅を連想するではないか。
柞はハハソ、ホウソを意味する。
・さて、和名のカシワは、どこから来たのか。
これには大きく分けて三説があるという。
①第一は「堅(かた)し葉」から来たものだとする
②第二は「炊(かし)き葉」から。
③第三は「食敷葉(けしきは)」から。
意味については、次のようなものである。
①第一は葉の硬いことから。
②③第二と第三は、かなり近くて、どちらも食事に関する。
「炊き葉」もこれで食物を炊く、というより食事に使う、という意味があるようだ。
(葉っぱを燃料にした、というのは受け取りにくい。燃料にするなら、その小枝など薪のほうがはるかに効果的である)
「食敷葉」というのが、一番、説得力がある、と著者は考えている。
広い葉でしっかりしているし、香りがあるしするから、ホオノキと並んで、食物を盛るには恰好の材料である。
葉が冬にも落ちないで、翌春、新芽の出るときに新葉と置き換わる、というのは、「葉を譲る」としてめでたいこととされた。この点も神事としての食事に相応しいものと考えられた。
※食べ物を包んだり、盛ったりするのに大型の木の葉、草の葉を使うのは、全世界的に見られることである。
さまざまな種類の植物が用いられるが、日本では先に挙げたホオノキ、ササ、サクラそしてカシワが代表的である。
ついでながら、柏餅はたしかにカシワで包むからその名があるけれども、どこでもカシワが使われるのではなく、たとえば紀州などではサルトリイバラ(サンキライ)が用いられる。
(さすがにこの場合は、柏餅とは言わないで、五郎四郎餅などという名がある)
中国でも、カシワの葉で包んだ餅があるそうだ。朝鮮では、餅のほかに麺を包む場合もあるらしい。むしろ、多くの食べ物に関する風習と同じく、元は中国のものが朝鮮経由で日本にもたらされたと考えられる。
・北海道には、かなりの巨木がある。
高さ20メートルから25メートルに近いものもある。直径は1メートルから1.5メートルに達する。こうなると、まさに森の王者にふさわしい。
実際、ほとんどの国々で、昔から森の王として尊崇されている。
アイヌ民族は、コム・ニ・フチ(カシワの木の婆さま)あるいはシリコル・カムイ(山を・所有する・神)として崇めている。
<ヨーロッパでのカシワ>
・ヨーロッパでは、ギリシア以来、森の王として位置づけた。その葉は、名誉の象徴とされて、軍帽や飾帯のデザインに用いられている。
・宗教的には、ケルトのドルイド(これはそもそもカシワを意味する)や、ゲルマンにおいても重要な役割を持つ。
・ワーグナーの『タンホイザー』にも出てくる。
・魔笛もこれでつくられた。
・ドイツ人がもっとも好み、大切にするのは、このカシワ(Eiche)とモミ(Tanne)である。
<カシワの用途>
・カシワは、その葉が柏餅に使われるだけではない。
材は堅い優良材であるから、造船材だけでなく、建築・内装・家具材として使われる。
・内皮からはタンニンが採取された。
(北海道のカシワは、それで伐採されたものが多い)
・薪炭材としてもよく用いられる。
これはミズナラと同じく、萌芽する性質が利用される。
ミズナラとはきわめて近い種類で、葉の鋸歯が丸みを帯びて、縁が波状になること、その実に外側に反りかえった毛状の鱗片が密生している点で、区別されるが、中間的雑種も少なくないそうだ。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、116頁~119頁)
【カツラ(カツラ科カツラ属) Cercidiphyllum japonicum】
〇カツラは日本の名木である。
・中国にも近い種類が分布するが日本のものが有名で、英語でもカツラ・ツリーで通用する。
カツラは高さ30メートル以上になり、大きなものになると直径が4~5メートルというのも珍しくない。
(もっとも、それだけの大木になると、たいていは洞になって、まわりの側だけが残ったのが多い)
・学名はCercisすなわちハナズオウの葉、を意味するものである。
実際、その葉の形はマメ科のハナズオウそっくりの広いハート型をしている。
(ただし、葉の付き方はカツラでは均整な対生だから、似ているのは葉の形だけということになる)
・カツラという名前は、古くは今呼んでいるカツラだけに当てられたものではないという。
タブとかヤブニッケイなど暖帯に分布する香気を持つ樹を指した。
植物学上のカツラと文字の上での桂とは一致しない。
・中国での「桂」はモクセイ(キンモクセイ)のことで、これはまったく違う植物である。
中国南部の景勝の地、桂林はキンモクセイで有名なところで、日本でいうカツラの樹から名づけられたのではない。
・京都の葵祭にはカモアオイ(加茂葵)あるいはフタバアオイとともにカツラの葉がかざされるが、これも葉の形が似ているところから用いられているのであろう、と辻井氏は記す。
アオイの減った今では、むしろほとんどがカツラの葉になっている。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、147頁~148頁)
【キタコブシ/タイサンボク(モクレン科モクレン属)】
・コブシという名前については、まだこれぞという定説がないそうだ。
一説では、花の開きかたが小児の拳のようだともいうが、これもあまりうなずけない、と辻井氏は記す。
・漢名としては、辛夷を当てることが多いが、中国の辛夷はむしろハクモクレンがこれに当たるという。コブシやキタコブシの漢名とするのは誤りらしい。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、152頁~153頁)
【ユリノキ(モクレン科ユリノキ属)】
〇ユリノキは、モクレン科ユリノキ属の高木である。
アメリカ渡りの樹で日本産ではない。
・ユリノキはもちろん「百合の木」で、その花をユリに見立てたというのだが、これは断然、ユリよりもチューリップに似ている。
ちょっと黄色というか、ときにオレンジがかった緑色のものだが、形はまさにチューリップそのものなのだ、と辻井氏はいう。
上向きのベル型で直径ほぼ6~7センチ、大きさまでそっくりであるそうだ。
(もっとも、うんと開けばユリの花に近い感じにはなると断り書きも記す)
・英名も、チューリップ・ツリーという。
それがなぜユリノキかということ、明治年間の渡来のころには、まだチューリップもポピュラーではなく、むしろユリノキとしたほうが分かりやすかったということらしい。
(庶民のためを思った命名か、とも記す)
・もうひとつの名前にハンテンボクというのがある。
これは半纏木の意味である。
半纏は昔、大名奴などの、あるいは近くは江戸町火消し、鳶職の着た、丈もそして袖も短い仕事着のことである。
何故、半纏木かというと、葉が半纏の形に似ているからだという。
(確かに言われてみればそう見えるが、半纏がそう一般的ではなくなった今では、ユリノキよりも説明が難しい、と辻井氏はいう。若い人にはなおさらである。)
・ユリノキは北米に1種、そして中国に1種がある。
中国産のシナユリノキは鵝掌楸と書かれ、まさにその葉の形を示すが、別に馬褂木とも言い、これは清代の上着の形になぞらえてのことだから、日本の半纏木と同じ発想であるようだ。
・半纏に見立てるかどうかは別として、葉の形はたしかに面白いもので、こんな形の葉は他にはそうない。
先が凹んでいるカエデのような、とでも言っておこうか、とする。
中国名のもう一つに四角楓というのがあるそうだ。春の新葉は明るい緑で美しく、秋には黄色く色づく。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、159頁~160頁)
【ツルアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属)】
〇アジサイの仲間は種類が多いが、その中でツルアジサイはちょっと特殊で面白い種類である。
この植物は、ゴトウヅルの変種ともされ、あるいは同じものとして扱われたりもする。
アメリカでは、クライミング・ハイドランジアと呼ばれている。
蔓性のアジサイであるところが注目されたのである。
・蔓植物というのは熱帯などに多くて、寒い地方には概して少ない。
ところが日本の特徴として北海道でもかなり暑い夏があり、しかも湿度が高いこともあって、寒冷な気候を持つ地域としては異例なほど多くの蔓植物を維持するという。
そうした種類の少ないヨーロッパやアメリカの北部の人たちにとっては、珍しく興味を引くとともに、それらの耐寒性のある蔓性の植物を庭園用に使おうとさせるようだ。
(かえって、そうしたものに慣れてしまっている日本のほうが、耐寒性の蔓性植物に対して冷淡なのかもしれない。あるいは、林業上には蔓植物は林木の育成にはむしろ邪魔になり、大敵でさえあるから、これを排除する考えのほうが強かったことも大きいとされる)
・ツルアジサイは、そうした種類の代表例になる。
別名にツルデマリ、アジサイヅタ、ユキカズラなどがあり、どれもこの植物の性状を表しているが、ユキカズラなどというのは、いかにもきれいな名前である。
ゴトウヅルというのはどういう意味か不明で、さすがの牧野博士も匙を投げているという。
アイヌ名はユック・ブンカルすなわち「鹿・つる」というので、これも知里博士は説明を付けていない、と辻井氏は記す。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、171頁~172頁)
・山の中で途方もなく大きなサイズのカエデと覚しき葉を見ることがあるという。
秋だとかなり見事に黄葉しているから、大抵の人はてっきりカエデだと思って、名前を探したりする。
なにしろ大きいのになると、長さといい幅といい、いずれも30センチ余もあるから、とんと天狗の羽団扇という構えである。
(ハウチワカエデというのがあるが、とても喧嘩にならない)
・この人騒がせな葉は、実はウコギ科のハリギリのものである。
場所によっては、まさにテングノハウチワ、あるいはテングッパという呼び名もあるから、やはりそう見た人も少なからずあるということであろう。
<ハリギリの刺とタラノキ、ウコギ科>
・よく見れば小枝にはカエデにはあるはずのない針がある。
これがハリギリの名の所以である。キリのほうはというと、これは材質がキリに似ているというところから来たものであるそうだ。
小枝の針とは言ったが、その形状、針というよりも刺に近い。
それも大型の刺で、タラノキもかくやだが、実際、タラノキも同じウコギ科の植物である。
・ウコギ科というのは、かなり豊富なタイプを揃えている。
カミヤツデ属、カクレミノ属、キヅタ属、ウコギ属、タラノキ属、フカノキ属、ハリブキ属、それにこのハリギリ属などが含まれる。
もっとも、ヤツデには刺はないし、タラノキは羽状複葉ではあるが、その芽の様相などはすこぶる似ている。
<タラノキについて>
・タラノキはタランボと称して、春の山菜のもっとも代表的なものの一つである。
その新芽の味わいを推奨する人が多い。
新芽の味というのは共通するものが多いが、アスパラガスとか空豆の味わいに近いのではないか、と著者はいう。
だんだんと有名になってきて、山のものは採り尽くされる恐れがでてきたそうだ。
山菜採りの仁義も落ちてきて、最後の一芽さえ残しておかないものだから、株も死滅してしまう。
・そこでこの頃は栽培が始まった。新芽を伐ってきて促成栽培にかける。これは本当の栽培ではなくて、季節調節に過ぎないようだ。
※その栽培品が市場に出るのだが、著者は、一度、保健所から鑑定を頼まれたことがあるそうだ。
市場に出た巨大なタランボだという。見たらハリギリの芽であったそうだ。
これは数段、大きい。保健所では「正体が分かればよい、有毒でさえなければ市場に出るのは構わない」という。それに対して、著者は「ハリギリで有毒ではない、ただし味は保証しない」と返事をしたそうだ。
味のことも保健所の責任ではないとのことであった。
(たしかに食いではあるだろうから、商売にはなるかもしれない、と著者は記す)
※ハリギリは『救荒本草』に出ているというから、食用になるのは間違いないようだ。
(ただ、いよいよという段階でなければ、食べ物に列せられなかったということか)
<ハリギリについて>
・ハリギリは、もちろんタラノキよりもはるかに大きくなる。
高いものでは25メートル以上、直径は少なくとも1メートル以上にはなる。
大きな枝が比較的まばらに張って堂々たる風格である。
枝先は棒状でわりとぶっきらぼうである。(タラノキのそれと一脈相通じる)
その先に付く冬芽(頂芽)はやや卵形で、長さは5~10ミリくらいである。
幹の肌はやや黒っぽい褐色、むしろ灰褐色。
花はかなり細かくて、薄い黄緑がかった径5ミリほど、これが大きな散形花序になってたくさん付く。
・材質がキリに似ている。柾(まさ)が通っていて美しい。
そこでかつては下駄材にも使われた。
アイヌ民族は、この木で丸木舟をつくったり、大きな木鉢や臼をつくったりしている。細工がしやすいのであろう。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、260頁~263頁)
〇季節と花
【キタコブシ/タイサンボク(モクレン科モクレン属)】
〇キタコブシはコブシの北方型の変種の一つである。
コブシを含めてモクレンの仲間は、木本植物の種としてはもっとも古いもののひとつである。
アジアと北アメリカに約35種が分布する。
常緑性と落葉性とがあり、コブシもキタコブシも落葉性のものである。
・この類はいずれも花が大きく艶やかで、しかも春に他の花に先駆けて咲くところから、どこでも昔から鑑賞されてきたそうだ。
そこで迎春花の名もある。
(実際、まだ木の葉も満足に出ていない頃に咲く大きく白い花は、特に鮮やかに目立つ存在である)
・春早く咲いて目立つところから、北海道や東北地方および信越地方などでは、満作(まんさく)あるいは田打ち桜とも呼ばれる。
⇒花の多い年は豊作が期待されたという。
田打ち桜とは、この花が咲けばもう霜の虞(おそ)れがなく、田を起こしても大丈夫という信号としての名であるそうだ。
まだ茶褐色に見える山や丘の斜面を彩って点々と白い花が見えると、たしかに春がやってきたな、という感じが強いらしい。
(林下にはひょっとするとまだ雪が残っているが、それでも気温は十分に上がっているのがこの季節である)
〇コブシは、高さ10~15メートルくらいになる。
幹はほとんど直立し、直径は30~60センチほどになる。
樹皮は灰白色で、やや滑らかである。
生長はわりと早い。
枝も均整に出て樹形は整った円錐形になる。
花は、ハクモクレンほど大きくはなく、豪華ではないが、上品だからコブシやキタコブシのほうを好む人も多い。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、151頁~154頁)
〇生活に役立つ植物
【ツルアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属)】
〇落葉性の蔓植物で、木に絡みついてよじ登り、長さ20メートル以上に達する。
各所から気根を出し、これでもっぱら空中の水分を捉える。
樹皮は褐色でしばしば縦に剥げる。
葉は対生で長い柄があり、先の尖った卵円形あるいは広卵形。
花は直径5ミリほどの小さな両性花が多数と、そのまわりの白い萼片が3枚ないし4枚の装飾花が集まって集散花序をつくる。
花序の直径は20~25センチほど。この花序はかなり密に蔓の各所に付くから、開花したときにはなかなか見事な景色になる。絡みついた木が、ほとんど花で覆われるような感じになるという。
・この性質を使って、壁面の装飾ができるらしい。
1994年に有名な『叫び』の盗難騒ぎがあったノルウェイはオスロ市のムンク美術館の中庭に面する壁面がこれで一面に覆われているのは、なかなか見事で、うまい設計だと、辻井氏は思ったそうだ。
花期にはまさに全面が花で埋め尽くされる。花のない時期でも濃い緑の葉で包まれていてきれいに見えるらしい。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、171頁~172頁)
〇歴史との関連で
【アコウ/ガジュマル/イチジク(クワ科イチジク属)】
〇アコウもガジュマルもクワ科の樹木であり、ともに暖地に育つ。
アコウは、本州では紀州から四国、九州に分布し、もちろん琉球から台湾そして中国の南部沿岸地方に見られる。東南アジアにも多い。
高さ20メートル、直径1メートルほどに達する。
(高さはそれほどでもないのだが、樹冠はこんもりと大きく広がり、豊かな蔭を落とす)
・幹や根際から気根を下ろすが、バンヤンジュのように枝から長く下ろすことはない。
幹が這うように垂下し地面に達する。葉は革質のかなり大きなもので、乾かして焼くと、よい香りを発するので、沈香木(じんこうぼく)と呼ばれる。春の新葉が出るときには、赤みを帯びて美しい。
〇ガジュマルは榕樹の名もある。不思議なことにどこがマツに似るやら、タイワンマツとかトリマツ(鳥松)とかいうことがあるそうだ。
・アコウよりももっと暖かい条件でなければ育たない。
したがって、その分布は屋久島から奄美諸島、琉球、台湾、中国南部沿岸、東南アジア、インドそしてオーストラリアになる。
・樹全体の感じはやはりアコウに近いが、これは常緑である。
幹から出る気根はアコウと同じように、幹を這い伝うように下がって地面に達するが、その他に枝からも立派に気根を下ろす。(なかなか人目を引く面白い光景である)
〇イチジクもこの仲間、というより日本ではこの属を代表する樹である。
ただ、実は日本自生のものではない。
イチジクの渡来は、寛永年間(1624-44)というから、それほど古い話ではない。
(それ以前の人たちはイチジクの味を知らなかったということである)
初めはカラガキ(唐柿)と呼ばれたと言い、ナンバンガキ、トウビワなどの名もあったそうだが、今は使われない。
・原産地は小アジアだという。
聖書にもよく出てくるから、それらの地方では相当古い時代から食用として広く用いられていたことになる。
⇒そもそもアダムとイブとが最初に身に着けたのがイチジクの葉だということになっていて、その様子を描いた多くの絵画がある。
(そうなると人類発祥以来の、もっとも人間に深い縁のある樹だということになるのではないか、と辻井氏はいう)
・イチジクの高さは、日本でこそ、せいぜい3メートルとか5メートルとかだが、条件がよければ高さ20メートル、直径1メートル以上にもなるそうだ。
その実は、生で食べるだけでなく、干して食べることも多い。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、140頁~142頁)
【ヤマグワ(クワ科クワ属)】
・養蚕つまりカイコを飼うのに使われるクワに対して、山野に自生するクワということで、ヤマグワという名がある。
・普通、植物の名が与えられるときには、山野の自生種が基本になって、それから栽培種の名がつくられるが、クワについては、むしろ逆をいっている。そのあたりに、養蚕の歴史がいかに古いかを物語っている。
(日本の養蚕の歴史は、弥生時代の中期から始まると考えられている。一方、中国のそれは実に紀元前3000年からと見られる)
・養蚕に使われるクワは、日本ではマグワすなわち真桑と呼ばれる。
まさにヤマグワ(山桑)に対する名前である。
これは別名をトウグワ(唐桑)というように、もともとは日本産ではない。
朝鮮から中国にかけての原産で、紀元前にインドへ、そして日本へと伝わり、シルクロードを経由して、12世紀にヨーロッパに達した。
絹の道すなわちシルクロードは絹の西欧への紹介のルートであるとともに、クワの伝播の道でもあった。
クワなしには、養蚕の可能性もなかった。
・ヤマグワの学名の一つ、Morus bombysisはカイコの学名 Bombyxからきているそうだ。
ただ、通常はヤマグワは養蚕には用いられない。栽培桑の生育が不良で飼料が足りないときには、ヤマグワもまた用いられた。ことに霜の害に強いところから、養蚕地帯ではヤマグワを山地に植えておき、栽培桑が被害を受けた場合の予備とした。ヤマグワは晩霜の時期にはまだ発芽していないし、山地のほうがかえって霜害が割合に少ないことからである。
しかし、山地植えのクワは、葉の質が硬く、飼料としてはやはり劣る。したがってカイコの成長も低下するのは止むを得ない。あくまで緊急用である。
・北海道では、最初からヤマグワを用いての養蚕が行われたことがあったが、これは栽培桑の生育が困難であったことによるものであるようだ。
開拓の初期にさまざまな試行錯誤が繰り返されたが、養蚕への努力もまたその一つであった。
北海道各地でその試みが見られ、たとえば、札幌の桑園という地名はまさにその好例。開拓使が養蚕を興すべく仕立てた桑園がその地名の起こりである。
・クワの栽培のもっとも東にある例は、釧路地方の厚岸町太田の通称屯田兵のクワ並木である。
浜中町にもおなじような例がある。いずれにしても北海道の最東端に近く、いうなれば、シルクロードのもっとも東に達したものということができる、と辻井氏はいう
絹の道は西だけでなく東にも向かっている。
【ヤマグワ】
・クワ科クワ属の落葉樹。
クワ属は北半球の暖帯ないし温帯地方に10余種が分布し、ほとんどが灌木だが、なかには高木になるものもある。
クワ科には近い属に製紙の材料として有名なコウゾ属があるように、クワ属もまた製紙の原料になりうる強い繊維を持つ。
・ヤマグワはほとんどが雌雄異株で、高さは10メートル、直径では60センチに達する。
葉は卵形、広卵形だが、不整な破片を持つなど、形は変わりやすい。
花は小さくて目立たないが、花の後に着くイチゴ形の果実は甘くて食用にされる。はじめ赤いが完熟すると紫黒色になり、食べると唇が紫色に染まる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、143頁~146頁)
【プラタナス(スズカケノキ科スズカケノキ属)】
〇プラタナスは、スズケカノキという和名もあるのだが、もっぱらプラタナスで通る。
おそらく日本では、というより世界でもっとも広く、多く使われている街路樹ではないかという。
だからほとんど世界中の人がこの樹を知っていることになる。
街路樹とか公園樹に使われた歴史は古くて、ローマの諸都市ですでに用いられているし、ギリシアでも古代から植えられたそうだ。
<プラタナスの英名>
・プラタナスの名はギリシア語からきているが、英名はプレーン・ツリー。
しかし、しばしば(ことにアメリカでは)、シカモーアと呼ばれる。
(この場合は、アメリカスズカケノキを指すことになる)
ところが、ヨーロッパで(英国を含めて)シカモーアとは、カエデの仲間でセイヨウカジカエデを言う。
そこへ持ってきてスコットランドでは、このカエデもプレーンと呼ぶそうだから、混乱の度は増して始末が悪い。さらに、シカモーアと呼ばれるものには、この他にクワ科のイチジクの一種があるという。
<和名のスズカケノキ>
・和名のスズカケノキという命名は、松村任三博士だそうだが、牧野富太郎博士によると、これは山伏の法衣の名で篠懸(すずかけ)というのがあるのを、そこに付けてある球状の飾りの呼び名と間違えてつけてしまったもので、もし強いて書くなら、鈴懸とでもしなければ意味が通じないそうだ。
⇒英名も和名も混乱だの間違いだの多い樹であるようだ。
・スズカケノキの実は確かに山伏の衣裳に付いている球状の飾り玉にサイズも似ているし、目立つ特徴でもある。
※ことにスズカケノキのそれは数も多いから季節には大いに目立つ。
⇒これはどこでも注目される特徴だったようで、別の英名にはバトンウッドとかバトンボールツリー、すなわちボタンノキというのがあったりする。大きなボタンである。
これは果球とでも言うべきもので、完熟するとほぐれて多数の小さな堅果が出る。
(その数は1グラムあたり500粒に達する。小さなものだから風で容易に広く散らされる)
<ヨーロッパでの栽培の歴史>
・ヨーロッパでの栽培の歴史は古くて、なにしろ自生していたこともあり、目通りの直径は10メートルだの、15メートルだのという大木があちこちで記録されている。
⇒そうなると年数ももちろん相当なもので、1000年とか1500年とか伝えるものも少なくない。
なかにはアレキサンダー大王の軍勢がその下を通ったとか、マルコ・ポーロが中国に赴く時に見て記録したとかいうのがあったりする。
<英国のプラタナス>
・もっとも英国に入ったのは、かなり遅くて、1636年だそうだ。それでも今から360年も前だから、各地にある樹も大きなものが少なくない。
・街路樹としても昔から使われていて、たとえば名探偵シャーロック・ホームズの住んでいた(ということになっている)有名なベーカー街221-Bという借家の裏庭(ヤード)にも1本のプラタナスがあった、と書いてある。
※これはモミジバスズカケノキであろうと推定されている。
というのは、ロンドンでは、アメリカスズカケノキが初期に植えられたものの、成績がよくなくて、モミジバスズカケノキに置き換えられたからだそうだ。
そこで、ロンドン・プレーンの名さえ出たという。
⇒当時のロンドンと言えば、産業革命の最中で甚だしい煤煙に悩まされていた頃であるし、プラタナスはそうした条件にもっとも強い樹種として採用された。
<プラタナスという木>
・葉の形が優美なのに加えて(これは大きすぎるとして嫌われる場合もあるが)、樹肌の斑紋が面白いのも人気の所以である。
しかし、そうした特徴よりも、やはり剪定に強いという管理上の都合の良さが、なにより公園担当者の好みに適ったに違いないという。
・立地への適応幅はたいへん広くて、地味が痩せた、そして乾燥した立地でも十分に育つ。
しかもロンドンでの例で述べたような煤煙など大気汚染にも強いとされているのだから、都市環境には持ってこいなのである。
<日本でのプラタナス>
・日本では明治8年か9年頃に入ったとされる。
小石川植物園が最初で、大きいものが残っている。
モミジスズカケノキは新宿御苑に明治25年に植栽され、今では立派な並木が皇室専用の門から奥に向かって、亭々として並んでいる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、179頁~182頁)
【フジ(マメ科フジ属)】
〇フジは、日本では棚作りにされることが多い。いわゆる藤棚である。
通常、木で棚をつくり、これにフジを絡ませる。時には棚を鉄のパイプなどで組むこともあるが、腐りやすくても、やはりこれは木の風情にかなわない。
・何故、棚でつくるかというと、フジの花が穂咲きで垂れ下がるからである。
垂れ下がる花の穂を観賞しようとすれば、これは棚作りに限る。
棚から垂れ下がった花穂が並ぶのは、まさに壮観である。
・藤浪(ふじなみ)という言葉がある。
なみは、「なびく」と同じ意味である。ふじなみは穂なみと同じく、並んで風になびくということを指すようだ。そこで、フジを棚作りにするというのは、よくその性質を生かしている。花穂が並ぶ効果を高めることになる。
・フジは、日本のものというイメージが強いが、中国、朝鮮そして北アメリカにも自生する、マメ科フジ属の蔓性植物である。
日本に分布する種類は、フジもしくはノダフジ(野田藤)、ヤマフジ、ノフジなどと呼ばれるものである。
(野生のものをヤマフジ、栽培しているものをノダフジと呼んで区別することもあるが、両者は同じだ、と著者は記す)
<吉野の桜、野田の藤>
・ノダフジの野田は大阪市の南部にある。
野田は昔からフジで有名で、「吉野の桜、野田の藤」とさえ呼ばれた。
・フジは、落葉性で蔓の巻き方向は左巻き、葉は奇数の羽状複葉で、小葉は13ないし19枚と一定しない。
本州以南に分布し、北海道には自生はない。
葉は卵状長楕円形で、小葉のサイズは小さく、長さ5~10センチ、幅2~2.5センチ、薄くて上面には光沢がある。
・若葉は茹でて食べる。
『大和本草』にいわく、「葉若き時、食うべし」とある。
さらに、「その実を炒りて酒に入れれば酒敗れず、敗酒に入るれば味正しくなる由」とあって、これは酸敗した酒のことだが、そううまく直るかどうか、と著者はコメントしている。
もっともこうした記載は、『和漢三才図会』にもあるという。
・蝶形の花は普通、紫色で、これを藤色ともいう。
一房に数十から100ほども付く。それが一時に咲けば、これほど壮観なことはない。
花も飯に炊き込んで、これを藤の飯と称する。
花は食べられるが、その種子の肉は緩下剤として作用するという。
・棚作りにするのが多いのだが、うまく足掛かりをつくってやれば相当、高い壁にも這い上がらせることができる。
こうなると見事な花の壁ができるわけで、一見に値する。
これは棚または垣仕立てと呼ぶ。
この方法を応用すれば、アーチにもゲートにも仕立てられる。
アメリカなどでは、こうした仕立て方のほうが一般で、かえって日本に見る藤棚方式のほうが少ないそうだ。
ウィスタリア・アーチ、ウィスタリア・ゲートなどがそれである。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、207頁~208頁)
【ニセアカシア(マメ科ハリエンジュ属)】(学名:Robinia pseudo-acacia)
〇ニセアカシアは、日本に広く見られるが、日本の自生種ではない。
しかし、明治以来のパイオニアで、もはや市民権は得ているようだ。
・ニセアカシアは、その学名からの命名である。
ロビニアという属名は、フランスの植物学者ロビン(この人は17世紀の初めにアメリカからこの樹を導入して栽培した。その樹はヨーロッパ最古のニセアカシアとしてパリ植物園に現存するという)の名に由来する。
⇒このことからフランスでは、ロビニエの名のほうが通っている。
※種名のプソイド(プシュウド)は、偽の、とか紛い物の、とかいう意味を持つので、こういう和名が付けられてしまったそうだ。
・アカシアというのは、おなじマメ科だが熱帯の産である。オーストラリア、アメリカ南部、インド、東南アジア、アフリカなどに分布する。
ニセアカシアは、葉の形状などがこれに似ているということから、哀れにも、ニセの、ということになってしまった。
※これではあまりかわいそうだというので、様々な提案がなされたそうだ。
アカシアのほうをホンアカシアとでも呼んで、ニセアカシアをアカシアに格上げしては、とか、アスアカシアと言ってはどうか、とか、あるいは属名をそのままに採用してロビニアとしてはどうか、とか。
北大植物園の初代園長であった宮部金吾博士も、ロビニア推進派だった。
しかし、決定打が出ないままに、現在に至っているようだ。
これは、本物のアカシアが日本ではよほど暖かい場所でなければ育たなくて、ニセアカシアと競合しないこともあるらしい。
(もっとも、実用上にはどうでも差し支えがないが……)
<和名としてのハリエンジュ(針槐樹)>
・和名としては、別にハリエンジュ(針槐樹)というのがある。
これは松村任三博士が命名した。植物学上では、この名が比較的多く使われる。
もっと古くは、重兵衛バラというのがある。今ではまったく通用しないが、面白い名前である、と著者はいう。これは、明治16年に群馬県の中山重兵衛という人の息子がアメリカから種子を手に入れて、植林を試みたことからきている。
(それにしても、バラとはどういうイメージからの命名だったことやら、と著者はコメントしている)
<中国では洋槐~青島(チンタオ)は洋槐半島>
・中国では洋槐という字があてられている。
これはなかなかうまい命名であるという。中国に多い槐樹に対する区分である。
もうひとつは、徳国槐というので、これはドイツ(徳国)が租借していた青島(チンタオ)に大いに植えたことから来ているそうだ。
・青島のニセアカシア林は、中国ではもっともよく成功した例の一つになっている。
ここで、ドイツは、1億5000万本を植林した。青島は洋槐半島と呼ばれた。
<英国では、フォールス・アカシア、アメリカではローカスト、パイオニア・ツリー>
・英国では、フォールス・アカシアで、これはニセアカシアそのままである。
アメリカでは、ローカスト Locustあるいは、ブラック・ローカストと呼ばれる。
<パイオニア・ツリー>
・ニセアカシアは、実際、パイオニア・ツリーという名も持つ。
アメリカの西部開拓時代に、新しい町が生まれると必ずと言ってよいほど、この樹が植えられたことによる。
どのような土質のところでも、よく育つ強靭さを持っており、ほとんど手入れも要らず、伐られたり折られたりしても、何度でも萌芽する強さが、乾燥した西部にはぴったりだったのであろう。
<明石屋>
・日本では、明治11年に何と「明石屋」という名で紹介されているという。
なかなかうまい当て字だ、と著者はみている。
公園としては、日比谷に最初に植えられた。
しかし、北海道での記録はさらに古く、明治4年に開拓使が輸入して札幌農学校の試験園に植えている。明治6年には円山の札幌神社裏参道に植えたとある。
本格的な並木は明治18年に東西道路は南四条まで、南北道路は西四丁目に植えられたという。
⇒北原白秋の『この道』は、アカシアの咲いている札幌の道を唱ったものだが、その道はどこだったかは、不明としている。
・ニセアカシアは、高さ20メートル以上になる落葉高木で、原産地はアメリカのロッキー山脈以東ペンシルバニア、オハイオ、イリノイ、バージニアの諸州を中心とする一帯である。
・若い幹と小枝には刺がある。これがハリエンジュの名の元である。幹も太くなると針がなくなる。
⇒若い幹と枝に刺があるのは、原産地に住む山羊などに対するものだ、という説明がある。
・葉は互生の奇数羽状複葉、花はよく知られているように6月頃、房状に蝶形の白い花が付く。香りがよい。花はてんぷらなどにして食べられる。
・花の香りは甘い。匂いに誘われて、アブ、ハナバチ、そしてもちろんのこと、ミツバチも集まる。そこで主要な蜜源植物になっている。
(「アカシア・ハニー」というのはいいが、「ニセアカシアの蜜」ではちょっとまずい)
※近来は、花粉症の原因になる場合もあると言われて、並木としては人気がなくなってきつつあるそうだ。
・並木や公園に植える他に、乾燥や土壌を選ばない性質を利用して、荒れ地や崖地、海岸などの緑化にも使われる。(中国の青島も、そして大連もその例である)
・マメ科だから根瘤バクテリアを持ち、窒素固定をして土壌改良をやってのける性質も、荒れ地の緑化に向いている。
生長も早いから、初期緑化の材料としては恰好である。
葉は飼料になる。
材は燃料としても使われるが、なかなか堅くて強いので、かつてはスキー材にも用いられた。
※ただし、浅根性なので風害を受けやすく、根元から倒れるケースが少なくない。
⇒この点が、並木にする場合の最大の欠点とされる。
(今でも本数だけから言えばメジャーなほうだが、新しい植栽本数は年々減ってきている。アカシアの時代は、そろそろ終わりに近づいているようだ)
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、210頁~214頁)
【ネムノキ(マメ科ネムノキ属)】
・ネムノキは、大抵の人が知っている。
夢のような優しい花の姿は昔から人々に愛されてきたものであった。
しかも、その花が夕方に楚々として開き、夜や暑い日中には閉じるところが、いかにも生き物を思わせて親しまれた。
・こうした情景は、昔から歌や俳句によくうたわれている。
『奥の細道』の「象潟(きさがた)や雨に西施がねぶの花」が有名である。
⇒雨に濡れたネムの花は、睫毛を閉じた美人・西施の憂愁のさまを思わせるに、まことに十分なものがある。
(<注>象潟の読み方は、「きさかた」が一般的だが、この本でのふりがなは「きさがた」としている)
・花は夕方に開き、夜や暑い日中には閉じるのに対して、葉は朝に開いて夜に閉じることを繰り返す。
ネムノキの名は、「睡る木」を言うが、どちらを指して言ったのか。この点について、夜眠るのが普通だろうから、これは花よりも葉についての命名と考えるほうが、よさそうだ、と著者はみている。
(花は夜にかけて開くのだから、これでは夜遊びとまではいかなくても、宵っ張りのお嬢さんということになってしまうと……)
・高さはそう大きくはならない。4~5メートルくらいのがもっとも多い。
枝はよく張り、横に水平に近く出て広がる。
葉は細かいものが多数。花びらは淡紅色で短く、これに多数の同じく淡紅色の雄蕊(ゆうずい)が目立つ。合わせて、いわゆるネムノキの花として目に映る。
・何となく中国からの伝来を思わせる花の様子なのだが、日本にも自生したという。
ただし、耐寒性はあるものの、本州以南、四国、九州にあって、北海道にはない。
本州では、東北地方でも育つ。なにしろ芭蕉が象潟で見たのだから、確かである。
・ネムは漢字では、合歓あるいは合歓木と書く。
これも、その葉が合うところからの名前だそうだ。
※同じ字を使って、銀合歓と書く種類がある。
これはギンネムと呼ばれるのだが、ネムの名前はあっても、別のギンゴウカン属の樹木である。
花はもっと小さくて白いが、感じはやや似ている。
熱帯アメリカの原産で、今では広く栽培分布している。その葉が飼料にもなるので、広まった。強いので飼料用の他にも、砂防や防風にも有用である。
(ただし、何分にも強すぎるので、むやみにはびこり、自然の景観を阻害する場合もあって、警戒されるようになった)
・第二世界大戦のときに、サイパンなどで飛行場施設のカムフラージュに使ったのはいいが、空中写真偵察で自然の樹木とは違うことから、あっさりアメリカ軍に見破られたという。
(こうなると植物学的知識が必要になる。今ではリモートセンシングの読み取り技術として常識になっていることだそうだ)
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、215頁~217頁)
【デイコ(マメ科デイコ属)】(学名:Erythrina variegata)
・デイコは、マメ科デイコ(エリスリーナ)属の落葉高木である。
学名エリスリーナは、ギリシア語の赤いという言葉から来ている。
それは、この樹の花の明るい赤色に基づく。
・沖縄本島の玄関口、那覇空港を出ると、すぐこの並木が目につく。
空港から那覇市内への道筋にもまたデイコの並木が続く。
落葉性だから葉を落としている姿は少々、棒杭の並んださまを思わせるものがあって、何故こんなぶっきら棒な並木をつくったのか、と呆れるようにも思う。
しかし、花が咲いている季節には、すこぶる晴れやかで、派手で、明るくて大変よろしい。
明らかに、南国の花そのものである。
・英名もその赤色を、これは珊瑚に見立てて、コーラル・ツリーと呼ぶ。
このデイコは、インディアン・コーラル・ツリーで、アメリカ産のものが、コモン・コーラル・ツリー、もしくはその花の形から、コックスパー(雄鶏のけづめ)・コーラル・ツリーという。
・生長はきわめて早くて、しかもきわめて丈夫な樹だから、それこそ棒杭のようにしか見えないものを植えておいても、やがて枝が出、根が伸び、たちまちのうちに葉が繁り、花が咲く。
何とも結構な樹である。
(那覇市の緑地公園課にとっては、デイコさまさまだろう)
・花はもちろんだが、葉もなかなかいい。
広い卵形で長い葉柄がある。葉脈もはっきりしている。
(ちょっと葛の葉を連想させるところがある。3枚ずつ出ているところも似ている)
・那覇をはじめとして沖縄の各地にきわめてポピュラーに植えられているが、原産は熱帯アジア、オーストラリアで、かなり古くから導入されたものである。
首里には相当の大木もある。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、218頁~219頁)
【トチノキ(トチノキ科トチノキ属)】
・山の中で途方もなく大きな葉に出会うことがあるそうだ。
ホオノキもそうだが、大きなカエデと見紛うのが、このトチノキの葉である。
(それがばさりと落ちてきて、びっくりさせられたりする)
・トチノキは、トチノキ科の高木で、高さは25メートルあまり、直径も大きいものでは優に2メートル以上になる。
トチノキ属は、日本をふくめヒマラヤ、インドなどアジア、ヨーロッパ、北アメリカに合計24種がある。
いずれも先にカエデ型で大形の5枚から7枚の小葉が掌状に付いた複葉を持つ。
直立した総状の豪華な花が見事だ。
⇒その豪華な花房は、シャンデリアに見立てられて、シャンデリア・ツリーの名もある。
・トチノキの英名は、ホース・チェスナッツ、すなわち馬栗である。実がクリに似ているところから来ている。
<トチノキの実>
・たしかにその実は大きさも色もクリに近い。つやつやしていてきれいなものである。
ただし、この実はサポニンを含み、渋くてそのままでは食用にならない。
薬用にしたり、含有するサポニンによって洗剤としての利用が古くから行われた。
薬用には、百日咳、胃に効果があるという。
外用薬としては、打撲傷、腫物に使われた。
(禿にも効くと聞いたことがあるが、これは確かではないという)
・樹皮はキナの代用になるそうだ。
・実はただちには食用にならないが、水に漬け、皮を剝いたものを灰汁(あく)で煮て粉にするとか、あるいは澱粉を水で晒すとかして渋味を抜き、これを材料として栃餅としたものは、各地で昔から賞味される。
水飴とか煎餅にもなる。
・クリに似てそのままでは食用にならないあたりが、馬栗の名の起こりであろうとされる。
しかし、そのほかにその葉痕が馬蹄形で、念のいったことに7本の釘跡までついているように見えるところからの命名だとする説もある。また、さらに、実が馬をはじめとして家畜の病気に効くからだ、という説もある。
※日本にも、その実を水で浸出したものが馬の眼病を治す効果があると言うから、これは面白い東西の一致であるという)
<トチノキとフランスのマロニエ>
・フランス名はマロニエだが、これはセイヨウトチノキ(ヨーロッパトチノキ)である。
日本のトチノキにかなり近い種類である。
パリの街路樹(とりわけシャンゼリゼ大通り)として有名である。
それを見てきた人がマロニエを植えたいと言い出すケースがよくあるようだ。
わざわざヨーロッパ渡りの樹を選ばなくても、日本にもありますよ、と著者は言うのだが、パリのイメージが抜けないらしい。
※札幌の駅前通り、四番街の並木選定のときにも、この話が出たそうだ。
結局、日本のトチノキが用いられたが、説明看板にはマロニエと書きたい、という商店街の希望が入れられたという。
このトチノキは植えたものの、なかなか花が咲かなくて、当時商店街の理事長を務めておられた方から、毎年のように「まだ咲きそうもない、いったいいつ、咲くのか」と尋ねられて弱ったことがあった、と著者は回想している。
・パリのマロニエとして有名になるくらい、街路樹としては秀逸の部類に入る。
大きさといい、花の見事さといい、葉の大きさといい、実の美しさといい、いずれも立派なものである。
強いて言えば、葉が大きすぎて、落葉は街路ではいささか邪魔になる。
公園樹としては、葉の大きいことは十分な緑陰をつくれることで、邪魔にはならない。
・豪華な白とピンクの混じった花が咲く頃の日曜日を、イギリスでは、チェスナット・サンデー、すなわち「栃の木の日曜日」と呼んでいる。
さながら日本のお花見のように、楽しむという。
実際、その花盛りは見事なものなのである。通例は5月の末から6月の初めあたりにその日が来る。
<マロニエの原産地、ヨーロッパへ導入された時期>
・ここまで有名になったマロニエ、すなわちセイヨウトチノキだが、元をただせば、実はパリにもロンドンにも自生していたものではない。
・原産は、アルバニア、イラン付近である。
ここからギリシアあるいはトルコ経由で、16世紀後半にヨーロッパに紹介されたという。
フランスに入ったのは、1615年、イギリスに導入されたのも、ほぼこの頃とされる。
⇒パリのマロニエ並木の歴史は400年ほどということになる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、239頁~242頁)
庭木として興味ある木
<イチイの名の由来>
・イチイといっても北海道では通じない。これは北海道で言うオンコである。
イチイはこの他に、アララギ、キャラボク、スオウ、ヤマビャクダン、シャクノキなどの名を持つ。
・キャラボクとヤマビャクダンは、紛れもなく、その材が色と香りにおいて、ビャクダンに似るところから来たものである。
キャラボクは、これまたイチイとは別の変種とされることもある。
その場合は、枝が横に張り、小型のものを言う場合が多い。栽培品種も少なくない。
材もイチイが多く赤みを帯びるのに対して、むしろ白色である。
・シャクノキは、笏木すなわち神官の使う笏(しゃく)が、この材でつくられたことによるという。
このことによって、仁徳帝がこの樹に正一位を授け、イチイの名が出たとされる。
・イチイ、すなわちオンコは、北海道の名木であり、銘木である。
姿は堂々としているし、材も美しい。樹齢も相当になるから、その古木は大いに風格が備わっている。
そこで、よく役所や社屋前の車回しなどに有難そうに植えられる。
(分布は北海道の全域であるが、ことにまとまって見られるのは、いわゆる道東である)
<イチイの性質>
・イチイは多く暗い林内に育つ。つまり典型的な陰樹である。
その性質を利用して、昔は林の境界を示す樹として植えられることもあった。
しかし、蔭でなければ育たないということではない。蔭にも強いが、明るい場所でももちろんよく育つ。蔭では、枝の出方が不揃いになるが、明るい場所では均整に出、びっしりと葉で覆われた姿をつくる。
・この性質を利用して、イチイはしばしばトピアリー(topiary)、すなわち刈り込みの材料とされる。
この例は、英国で多く、ヨーロッパイチイがその素材となっている。
(いろいろな動物、あるいは幾何学模様が、何年もかけて丹念に刈り込まれてつくられる。鹿を追う数頭の犬など、一連のストーリーが描かれることもある。)
日本でも、ときに鶴と亀の類の刈り込みがつくられていることもあるが、大きな庭園で壮大なものがつくられている例はほとんどない。
(ただ、生け垣としてはかなりあちこちで設けられている)
・生長は遅く、寿命は長い。
直径は1メートルを超えるものがあるが、高さはせいぜい15メートル止まりである。
枝の張りは大きいものでは高さにほぼ等しいほどになる。
(たとえば、明るい場所に植えられた北大植物園の例では、ただ2株で、直径20メートルほどの場所をほとんどいっぱいに占拠している)
・種子は堅いから、なかなか発芽しない。
鳥が食べて、砂嚢で揉まれると発芽しやすくなるらしい。そう考えると、林の中にあちこち散らばって生えているのが分かる。鳥による種子の伝播の結果なのである。
<イチイの用途>
・日本では神官の笏に使われるが、ヨーロッパではしばしば教会の庭や墓地に植えられる。
アイヌ名の一つに弓の樹というのがあるが、英国でもイチイはその強さから弓の材として用いられた。
・長寿・永遠の象徴とされる反面、葉に有毒成分が含まれていることも古くから知られていた。
ハムレット劇中、王の耳に注がれる毒がこれだという。
それはともかく、その美しい赤い実の中に黒く見える種子が有毒なのは事実である。
果肉は食べても問題はないが、黒い種子は食べないように気をつけなければならない。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、6頁~9頁)
【我が家の庭木のイチイの写真(2022年11月6日撮影)】
・アカマツとクロマツは、日本の海岸を代表する樹である。
少なくとも、本州以南の風景を、といえばあまり異論もでないだろう。
白砂青松といえば、美しい海岸の代名詞である。
しかし、これが日本の原風景か、となると、それこそ異論が出る。
クロマツが海岸によく出てくるのはともかくとして、中国地方ことに瀬戸内沿岸のアカマツ林は、もともとこれだけ広く分布していたものかどうか、疑問らしい。
【補足】
この点、例えば、田中淳夫氏は、『森林からのニッポン再生』(平凡社新書、2007年)において、製塩とか製陶、製鉄などが産業として広がるにつれ、そのエネルギー源としても、森林資源は酷使され続けた。山に木がなくなれば、降雨などで土壌が流され、土地が痩せた。
すると、生えられる木は限られてくる。たいていはマツである。
中国山地にマツ林が多いのも、戦国時代からの製鉄・製塩産業のため、と田中淳夫氏は考えている。
(田中淳夫『森林からのニッポン再生』平凡社新書、2007年、26頁)
・平城京でも平安京でも、その模型にはたいていマツが、しかもアカマツが添えられているのが多いが、当時の市街地の周りがすべてアカマツだったかどうか、疑わしいようだ。
この頃は、タブやクスなどの常緑広葉樹が多かったので、まだアカマツに置き換わっていなかったという。
(もっとも、いったん置き換わればアカマツの時代は長く続いただろうともいう。燃料としても火力はあり、有用だったにちがいない)
<アカマツとクロマツの違い>
・アカマツはメマツ(雌松、女松)、これに対してクロマツはオマツ(雄松、男松)と呼ぶ。
アカ、クロはいうまでもなく、その樹皮の色による区分である。
また、雌雄の名はそのサイズと葉がアカマツでは細くてやわらかく、クロマツでは太く長く、硬いところからのものとされる。
(もっとも、サイズは一般論であって、常にアカマツが小さいとは限らない)
・分布はクロマツは南方性で海岸に、アカマツは北方性で内陸に適しているというが、これも長い栽植の歴史を持つから、だいぶ混乱している。
(寒さに対しても、クロマツはなかなか強くて、北海道の海岸緑化にも使われているくらいである)
・庭園・公園に使われている最たるものは、やはり皇居前ではないか。
これだけまとまって植えられているところは少ないし、樹形の千変万化、見ていても面白い。もちろん背景の江戸城の白壁と石垣も効いている。
<防風林としてのクロマツ~出雲の築地松>
・クロマツを防風林に使うのは海岸ばかりではなくて、有名なのは出雲の築地松と呼ばれる屋敷林である。
北西に向けて高さ8メートルあまりに、上端はやや反りを打たせて、立派な鉤形のものが設(しつら)えてある。
そのスケールで家の格が分かるというが、手入れが大変とあって、近来は新しい家では省略したり、旧家も改築を機会に止めたりして、数は格段に減った。
⇒機能もさることながら、風物としても貴重なものなのだから、何とか保存することを考えるべきだろう、と著者は主張している。
<アカマツと松茸>
・アカマツは近来ことにマツノザイセンチュウにやられたそうだ。
南のほうから冒されてきて、瀬戸内のマツは厳島(いつくしま)をはじめ軒並み壊滅的な打撃を受けた。白砂青松の風景がまさに消えようとしている。
(この被害が増えたにはいろいろな説があり、しかもそれを食い止めようとしての農薬散布にあたっても、さまざまな議論が出た)
※長い間、人間の活動によって、アカマツ林が維持されてきたのが、手入れが減ったことと、松喰い虫の登場によって元にもどったという面がある。
・アカマツ林の手入れの悪さが、近年の松茸の馬鹿馬鹿しい品薄と高値に結びついているという説明をよく聞かされる。
適当に間引きされて十分な陽光が入り、下枝をおろして、きれいに林床の掃除された林でないと、上質の松茸は生えないという。
薪や用材にも伐り出さず、その必要も人手も少なくなってしまったアカマツ林では到底、昔のような松茸狩りは望めそうもない。
・もう相当前から、松茸山ではお客を入れる前に(おそらくは朝鮮産などの)松茸をしかるべく植え込んでおく、と聞いたものである。
(根元を石膏などで少し固めておいて、引っ張ったときに適当な手応えがあるようにしておくという高度技術もあるそうだ)
※日本人の松茸信仰は、依然として根強いものがあるから、輸入の拡大はもちろん、その栽培への必死の努力が続けられているが、これがきわめてむずかしいという。
やはりアカマツ林の状態をよくするほうが本筋ではないか、と著者はいう。
アカマツが海岸よりも内陸に多いのは、砂地を好まず、潮風にも弱いということが大きいという。
そこで、俗に「峰の松」というとアカマツと相場が決っているのは、アカマツの高燥で陽光を好む性質をよく表していることになる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、14頁~17頁)
(2022年11月27日投稿)
【はじめに】
庭木の剪定をせざるをえなくなり、樹木について調べている。
我が家の庭木の「イチイ」について調べているとき、ウィキペディアの「イチイ」の項目の参考文献の1冊として、次の辻井達一氏の本が挙げられていた。
〇辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]
早速、購入して一読してみた。
イチイのみならず、様々な樹木について、解説してある。
そこで、今回のブログでは、次の観点から、この本の内容を紹介してみたい。
〇植物の名称について
〇季節と花
〇歴史との関連で
〇庭木として興味ある木
【辻井達一氏のプロフィール】
・1931年(昭和6年)、東京に生まれる。
・1954年、北海道大学農学部卒業、同大学名誉教授。農学博士。専攻は植物生態学。
<主な書作>
・『北海道の湿原』(共著、北海道大学図書刊行会)
・『北海道の花』(共著、北海道大学図書刊行会)
・『北海道の樹』(共著、北海道大学図書刊行会)
・『湿原』(中公新書)
【辻井達一『日本の樹木』(中公新書)はこちらから】
辻井達一『日本の樹木』(中公新書)
【目次】
辻井達一『日本の樹木』中公新書の目次
【目次】
はじめに
ソテツ
イチイ
イチョウ
アカマツ・クロマツ
ゴヨウマツ・キタゴヨウ
ハイマツ
モミ・トドマツ
エゾマツ・アカエゾマツ
カラマツ
コウヤマキ・イヌマキ
スギ
メタセコイア
ヒノキ・ヒノキアスナロ
ハイビャクシン・ハイネズ
エゾノバッコヤナギ
ドロノキ
ケショウヤナギ
シダレヤナギ
ポプラ
オニグルミ
ハンノキ・ケヤマハンノキ
シラカンバ・ダケカンバ
サワシバ・アカシデ
ハシバミ
アサダ
ブナ
クリ
ツブラジイ・スダジイ・マテバシイ
シラカシ・アカガシ・アラカシ・ウバメガシ
カシワ
ミズナラ・コナラ
クヌギ
エノキ・ケヤキ
ハルニレ
オヒョウ
アコウ・ガジュマル・イチジク
ヤマグワ
カツラ
キタコブシ・タイサンボク
ホオノキ
ユリノキ
クスノキ
タブノキ
ノリウツギ
ツルアジサイ
フウ・モミジバフウ
プラタナス
ソメイヨシノ・エゾヤマザクラ
シウリザクラ
ウメ・モモ
リンゴ・ナシ
ナナカマド
アズキナシ
フジ
ニセアカシア
ネムノキ
デイコ
ニガキ・ヒロハノキハダ
ヌルデ
ツリバナ・ヒロハツリバナ
ハウチワカエデ
イタヤカエデ
トチノキ
ヤマブドウ
シナノキ
ヤブツバキ・サザンカ
メヒルギ・オヒルギ・マヤプシギ
カキノキ
ハリギリ
ミズキ
ヤマボウシ
ハシドイ
ヤチダモ
キンモクセイ・ギンモクセイ
キリ
シュロ
参考図書
索引
イラスト 長谷川哲雄
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
〇植物の名称について
〇季節と花
〇歴史との関連で
〇庭木として興味ある木
〇植物の名称について
〇季節と花
〇生活と花
〇歴史との関連で
〇植物の名称について
〇植物の名称について
【カシワ(ブナ科コナラ属)】
【カシワ(ブナ科コナラ属)】
・日本でよく知られている樹と言えば、松、杉、檜、桜、椿、楓などがまず並ぶ。
柏(カシワ)もまた、それらに続くものとして挙げられる。
・ここで漢字を並べたついでだが、日本でいう柏は、中国ではまったく別のヒノキ科ビャクシン類、ネズコ属などに当てられる。
日本でも、ヒノキ科のコノテガシワにはカシワの名が用いられているが、これは漢名の柏の字から来た呼び名ではないだろうか、という。
ともかくも、柏は中国では針葉樹だから、柏餅の説明に「その広い葉で餅を包む」などと言っても、理解に苦しむにちがいない。
・日本でいうカシワは、中国では「櫟」になる。
これは日本では、クヌギあるいはイチイに当てられているから、さらに厄介である。
因みにカシワには別に、槲、枹、柞などという字も使われている。
枹などはその字面からなんとなく柏餅を連想するではないか。
柞はハハソ、ホウソを意味する。
・さて、和名のカシワは、どこから来たのか。
これには大きく分けて三説があるという。
①第一は「堅(かた)し葉」から来たものだとする
②第二は「炊(かし)き葉」から。
③第三は「食敷葉(けしきは)」から。
意味については、次のようなものである。
①第一は葉の硬いことから。
②③第二と第三は、かなり近くて、どちらも食事に関する。
「炊き葉」もこれで食物を炊く、というより食事に使う、という意味があるようだ。
(葉っぱを燃料にした、というのは受け取りにくい。燃料にするなら、その小枝など薪のほうがはるかに効果的である)
「食敷葉」というのが、一番、説得力がある、と著者は考えている。
広い葉でしっかりしているし、香りがあるしするから、ホオノキと並んで、食物を盛るには恰好の材料である。
葉が冬にも落ちないで、翌春、新芽の出るときに新葉と置き換わる、というのは、「葉を譲る」としてめでたいこととされた。この点も神事としての食事に相応しいものと考えられた。
※食べ物を包んだり、盛ったりするのに大型の木の葉、草の葉を使うのは、全世界的に見られることである。
さまざまな種類の植物が用いられるが、日本では先に挙げたホオノキ、ササ、サクラそしてカシワが代表的である。
ついでながら、柏餅はたしかにカシワで包むからその名があるけれども、どこでもカシワが使われるのではなく、たとえば紀州などではサルトリイバラ(サンキライ)が用いられる。
(さすがにこの場合は、柏餅とは言わないで、五郎四郎餅などという名がある)
中国でも、カシワの葉で包んだ餅があるそうだ。朝鮮では、餅のほかに麺を包む場合もあるらしい。むしろ、多くの食べ物に関する風習と同じく、元は中国のものが朝鮮経由で日本にもたらされたと考えられる。
・北海道には、かなりの巨木がある。
高さ20メートルから25メートルに近いものもある。直径は1メートルから1.5メートルに達する。こうなると、まさに森の王者にふさわしい。
実際、ほとんどの国々で、昔から森の王として尊崇されている。
アイヌ民族は、コム・ニ・フチ(カシワの木の婆さま)あるいはシリコル・カムイ(山を・所有する・神)として崇めている。
<ヨーロッパでのカシワ>
・ヨーロッパでは、ギリシア以来、森の王として位置づけた。その葉は、名誉の象徴とされて、軍帽や飾帯のデザインに用いられている。
・宗教的には、ケルトのドルイド(これはそもそもカシワを意味する)や、ゲルマンにおいても重要な役割を持つ。
・ワーグナーの『タンホイザー』にも出てくる。
・魔笛もこれでつくられた。
・ドイツ人がもっとも好み、大切にするのは、このカシワ(Eiche)とモミ(Tanne)である。
<カシワの用途>
・カシワは、その葉が柏餅に使われるだけではない。
材は堅い優良材であるから、造船材だけでなく、建築・内装・家具材として使われる。
・内皮からはタンニンが採取された。
(北海道のカシワは、それで伐採されたものが多い)
・薪炭材としてもよく用いられる。
これはミズナラと同じく、萌芽する性質が利用される。
ミズナラとはきわめて近い種類で、葉の鋸歯が丸みを帯びて、縁が波状になること、その実に外側に反りかえった毛状の鱗片が密生している点で、区別されるが、中間的雑種も少なくないそうだ。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、116頁~119頁)
【カツラ(カツラ科カツラ属)】
【カツラ(カツラ科カツラ属) Cercidiphyllum japonicum】
〇カツラは日本の名木である。
・中国にも近い種類が分布するが日本のものが有名で、英語でもカツラ・ツリーで通用する。
カツラは高さ30メートル以上になり、大きなものになると直径が4~5メートルというのも珍しくない。
(もっとも、それだけの大木になると、たいていは洞になって、まわりの側だけが残ったのが多い)
・学名はCercisすなわちハナズオウの葉、を意味するものである。
実際、その葉の形はマメ科のハナズオウそっくりの広いハート型をしている。
(ただし、葉の付き方はカツラでは均整な対生だから、似ているのは葉の形だけということになる)
・カツラという名前は、古くは今呼んでいるカツラだけに当てられたものではないという。
タブとかヤブニッケイなど暖帯に分布する香気を持つ樹を指した。
植物学上のカツラと文字の上での桂とは一致しない。
・中国での「桂」はモクセイ(キンモクセイ)のことで、これはまったく違う植物である。
中国南部の景勝の地、桂林はキンモクセイで有名なところで、日本でいうカツラの樹から名づけられたのではない。
・京都の葵祭にはカモアオイ(加茂葵)あるいはフタバアオイとともにカツラの葉がかざされるが、これも葉の形が似ているところから用いられているのであろう、と辻井氏は記す。
アオイの減った今では、むしろほとんどがカツラの葉になっている。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、147頁~148頁)
【キタコブシ/タイサンボク(モクレン科モクレン属)】
【キタコブシ/タイサンボク(モクレン科モクレン属)】
・コブシという名前については、まだこれぞという定説がないそうだ。
一説では、花の開きかたが小児の拳のようだともいうが、これもあまりうなずけない、と辻井氏は記す。
・漢名としては、辛夷を当てることが多いが、中国の辛夷はむしろハクモクレンがこれに当たるという。コブシやキタコブシの漢名とするのは誤りらしい。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、152頁~153頁)
【ユリノキ(モクレン科ユリノキ属)】
【ユリノキ(モクレン科ユリノキ属)】
〇ユリノキは、モクレン科ユリノキ属の高木である。
アメリカ渡りの樹で日本産ではない。
・ユリノキはもちろん「百合の木」で、その花をユリに見立てたというのだが、これは断然、ユリよりもチューリップに似ている。
ちょっと黄色というか、ときにオレンジがかった緑色のものだが、形はまさにチューリップそのものなのだ、と辻井氏はいう。
上向きのベル型で直径ほぼ6~7センチ、大きさまでそっくりであるそうだ。
(もっとも、うんと開けばユリの花に近い感じにはなると断り書きも記す)
・英名も、チューリップ・ツリーという。
それがなぜユリノキかということ、明治年間の渡来のころには、まだチューリップもポピュラーではなく、むしろユリノキとしたほうが分かりやすかったということらしい。
(庶民のためを思った命名か、とも記す)
・もうひとつの名前にハンテンボクというのがある。
これは半纏木の意味である。
半纏は昔、大名奴などの、あるいは近くは江戸町火消し、鳶職の着た、丈もそして袖も短い仕事着のことである。
何故、半纏木かというと、葉が半纏の形に似ているからだという。
(確かに言われてみればそう見えるが、半纏がそう一般的ではなくなった今では、ユリノキよりも説明が難しい、と辻井氏はいう。若い人にはなおさらである。)
・ユリノキは北米に1種、そして中国に1種がある。
中国産のシナユリノキは鵝掌楸と書かれ、まさにその葉の形を示すが、別に馬褂木とも言い、これは清代の上着の形になぞらえてのことだから、日本の半纏木と同じ発想であるようだ。
・半纏に見立てるかどうかは別として、葉の形はたしかに面白いもので、こんな形の葉は他にはそうない。
先が凹んでいるカエデのような、とでも言っておこうか、とする。
中国名のもう一つに四角楓というのがあるそうだ。春の新葉は明るい緑で美しく、秋には黄色く色づく。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、159頁~160頁)
【ツルアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属)】
【ツルアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属)】
〇アジサイの仲間は種類が多いが、その中でツルアジサイはちょっと特殊で面白い種類である。
この植物は、ゴトウヅルの変種ともされ、あるいは同じものとして扱われたりもする。
アメリカでは、クライミング・ハイドランジアと呼ばれている。
蔓性のアジサイであるところが注目されたのである。
・蔓植物というのは熱帯などに多くて、寒い地方には概して少ない。
ところが日本の特徴として北海道でもかなり暑い夏があり、しかも湿度が高いこともあって、寒冷な気候を持つ地域としては異例なほど多くの蔓植物を維持するという。
そうした種類の少ないヨーロッパやアメリカの北部の人たちにとっては、珍しく興味を引くとともに、それらの耐寒性のある蔓性の植物を庭園用に使おうとさせるようだ。
(かえって、そうしたものに慣れてしまっている日本のほうが、耐寒性の蔓性植物に対して冷淡なのかもしれない。あるいは、林業上には蔓植物は林木の育成にはむしろ邪魔になり、大敵でさえあるから、これを排除する考えのほうが強かったことも大きいとされる)
・ツルアジサイは、そうした種類の代表例になる。
別名にツルデマリ、アジサイヅタ、ユキカズラなどがあり、どれもこの植物の性状を表しているが、ユキカズラなどというのは、いかにもきれいな名前である。
ゴトウヅルというのはどういう意味か不明で、さすがの牧野博士も匙を投げているという。
アイヌ名はユック・ブンカルすなわち「鹿・つる」というので、これも知里博士は説明を付けていない、と辻井氏は記す。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、171頁~172頁)
【ハリギリ(ウコギ科ハリギリ属)】
・山の中で途方もなく大きなサイズのカエデと覚しき葉を見ることがあるという。
秋だとかなり見事に黄葉しているから、大抵の人はてっきりカエデだと思って、名前を探したりする。
なにしろ大きいのになると、長さといい幅といい、いずれも30センチ余もあるから、とんと天狗の羽団扇という構えである。
(ハウチワカエデというのがあるが、とても喧嘩にならない)
・この人騒がせな葉は、実はウコギ科のハリギリのものである。
場所によっては、まさにテングノハウチワ、あるいはテングッパという呼び名もあるから、やはりそう見た人も少なからずあるということであろう。
<ハリギリの刺とタラノキ、ウコギ科>
・よく見れば小枝にはカエデにはあるはずのない針がある。
これがハリギリの名の所以である。キリのほうはというと、これは材質がキリに似ているというところから来たものであるそうだ。
小枝の針とは言ったが、その形状、針というよりも刺に近い。
それも大型の刺で、タラノキもかくやだが、実際、タラノキも同じウコギ科の植物である。
・ウコギ科というのは、かなり豊富なタイプを揃えている。
カミヤツデ属、カクレミノ属、キヅタ属、ウコギ属、タラノキ属、フカノキ属、ハリブキ属、それにこのハリギリ属などが含まれる。
もっとも、ヤツデには刺はないし、タラノキは羽状複葉ではあるが、その芽の様相などはすこぶる似ている。
<タラノキについて>
・タラノキはタランボと称して、春の山菜のもっとも代表的なものの一つである。
その新芽の味わいを推奨する人が多い。
新芽の味というのは共通するものが多いが、アスパラガスとか空豆の味わいに近いのではないか、と著者はいう。
だんだんと有名になってきて、山のものは採り尽くされる恐れがでてきたそうだ。
山菜採りの仁義も落ちてきて、最後の一芽さえ残しておかないものだから、株も死滅してしまう。
・そこでこの頃は栽培が始まった。新芽を伐ってきて促成栽培にかける。これは本当の栽培ではなくて、季節調節に過ぎないようだ。
※その栽培品が市場に出るのだが、著者は、一度、保健所から鑑定を頼まれたことがあるそうだ。
市場に出た巨大なタランボだという。見たらハリギリの芽であったそうだ。
これは数段、大きい。保健所では「正体が分かればよい、有毒でさえなければ市場に出るのは構わない」という。それに対して、著者は「ハリギリで有毒ではない、ただし味は保証しない」と返事をしたそうだ。
味のことも保健所の責任ではないとのことであった。
(たしかに食いではあるだろうから、商売にはなるかもしれない、と著者は記す)
※ハリギリは『救荒本草』に出ているというから、食用になるのは間違いないようだ。
(ただ、いよいよという段階でなければ、食べ物に列せられなかったということか)
<ハリギリについて>
・ハリギリは、もちろんタラノキよりもはるかに大きくなる。
高いものでは25メートル以上、直径は少なくとも1メートル以上にはなる。
大きな枝が比較的まばらに張って堂々たる風格である。
枝先は棒状でわりとぶっきらぼうである。(タラノキのそれと一脈相通じる)
その先に付く冬芽(頂芽)はやや卵形で、長さは5~10ミリくらいである。
幹の肌はやや黒っぽい褐色、むしろ灰褐色。
花はかなり細かくて、薄い黄緑がかった径5ミリほど、これが大きな散形花序になってたくさん付く。
・材質がキリに似ている。柾(まさ)が通っていて美しい。
そこでかつては下駄材にも使われた。
アイヌ民族は、この木で丸木舟をつくったり、大きな木鉢や臼をつくったりしている。細工がしやすいのであろう。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、260頁~263頁)
〇季節と花
〇季節と花
【キタコブシ/タイサンボク(モクレン科モクレン属)】
【キタコブシ/タイサンボク(モクレン科モクレン属)】
〇キタコブシはコブシの北方型の変種の一つである。
コブシを含めてモクレンの仲間は、木本植物の種としてはもっとも古いもののひとつである。
アジアと北アメリカに約35種が分布する。
常緑性と落葉性とがあり、コブシもキタコブシも落葉性のものである。
・この類はいずれも花が大きく艶やかで、しかも春に他の花に先駆けて咲くところから、どこでも昔から鑑賞されてきたそうだ。
そこで迎春花の名もある。
(実際、まだ木の葉も満足に出ていない頃に咲く大きく白い花は、特に鮮やかに目立つ存在である)
・春早く咲いて目立つところから、北海道や東北地方および信越地方などでは、満作(まんさく)あるいは田打ち桜とも呼ばれる。
⇒花の多い年は豊作が期待されたという。
田打ち桜とは、この花が咲けばもう霜の虞(おそ)れがなく、田を起こしても大丈夫という信号としての名であるそうだ。
まだ茶褐色に見える山や丘の斜面を彩って点々と白い花が見えると、たしかに春がやってきたな、という感じが強いらしい。
(林下にはひょっとするとまだ雪が残っているが、それでも気温は十分に上がっているのがこの季節である)
〇コブシは、高さ10~15メートルくらいになる。
幹はほとんど直立し、直径は30~60センチほどになる。
樹皮は灰白色で、やや滑らかである。
生長はわりと早い。
枝も均整に出て樹形は整った円錐形になる。
花は、ハクモクレンほど大きくはなく、豪華ではないが、上品だからコブシやキタコブシのほうを好む人も多い。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、151頁~154頁)
〇生活に役立つ植物
〇生活に役立つ植物
【ツルアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属)】
【ツルアジサイ(ユキノシタ科アジサイ属)】
〇落葉性の蔓植物で、木に絡みついてよじ登り、長さ20メートル以上に達する。
各所から気根を出し、これでもっぱら空中の水分を捉える。
樹皮は褐色でしばしば縦に剥げる。
葉は対生で長い柄があり、先の尖った卵円形あるいは広卵形。
花は直径5ミリほどの小さな両性花が多数と、そのまわりの白い萼片が3枚ないし4枚の装飾花が集まって集散花序をつくる。
花序の直径は20~25センチほど。この花序はかなり密に蔓の各所に付くから、開花したときにはなかなか見事な景色になる。絡みついた木が、ほとんど花で覆われるような感じになるという。
・この性質を使って、壁面の装飾ができるらしい。
1994年に有名な『叫び』の盗難騒ぎがあったノルウェイはオスロ市のムンク美術館の中庭に面する壁面がこれで一面に覆われているのは、なかなか見事で、うまい設計だと、辻井氏は思ったそうだ。
花期にはまさに全面が花で埋め尽くされる。花のない時期でも濃い緑の葉で包まれていてきれいに見えるらしい。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、171頁~172頁)
〇歴史との関連で
〇歴史との関連で
【アコウ/ガジュマル/イチジク(クワ科イチジク属)】
【アコウ/ガジュマル/イチジク(クワ科イチジク属)】
〇アコウもガジュマルもクワ科の樹木であり、ともに暖地に育つ。
アコウは、本州では紀州から四国、九州に分布し、もちろん琉球から台湾そして中国の南部沿岸地方に見られる。東南アジアにも多い。
高さ20メートル、直径1メートルほどに達する。
(高さはそれほどでもないのだが、樹冠はこんもりと大きく広がり、豊かな蔭を落とす)
・幹や根際から気根を下ろすが、バンヤンジュのように枝から長く下ろすことはない。
幹が這うように垂下し地面に達する。葉は革質のかなり大きなもので、乾かして焼くと、よい香りを発するので、沈香木(じんこうぼく)と呼ばれる。春の新葉が出るときには、赤みを帯びて美しい。
〇ガジュマルは榕樹の名もある。不思議なことにどこがマツに似るやら、タイワンマツとかトリマツ(鳥松)とかいうことがあるそうだ。
・アコウよりももっと暖かい条件でなければ育たない。
したがって、その分布は屋久島から奄美諸島、琉球、台湾、中国南部沿岸、東南アジア、インドそしてオーストラリアになる。
・樹全体の感じはやはりアコウに近いが、これは常緑である。
幹から出る気根はアコウと同じように、幹を這い伝うように下がって地面に達するが、その他に枝からも立派に気根を下ろす。(なかなか人目を引く面白い光景である)
〇イチジクもこの仲間、というより日本ではこの属を代表する樹である。
ただ、実は日本自生のものではない。
イチジクの渡来は、寛永年間(1624-44)というから、それほど古い話ではない。
(それ以前の人たちはイチジクの味を知らなかったということである)
初めはカラガキ(唐柿)と呼ばれたと言い、ナンバンガキ、トウビワなどの名もあったそうだが、今は使われない。
・原産地は小アジアだという。
聖書にもよく出てくるから、それらの地方では相当古い時代から食用として広く用いられていたことになる。
⇒そもそもアダムとイブとが最初に身に着けたのがイチジクの葉だということになっていて、その様子を描いた多くの絵画がある。
(そうなると人類発祥以来の、もっとも人間に深い縁のある樹だということになるのではないか、と辻井氏はいう)
・イチジクの高さは、日本でこそ、せいぜい3メートルとか5メートルとかだが、条件がよければ高さ20メートル、直径1メートル以上にもなるそうだ。
その実は、生で食べるだけでなく、干して食べることも多い。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、140頁~142頁)
【ヤマグワ(クワ科クワ属)】
【ヤマグワ(クワ科クワ属)】
・養蚕つまりカイコを飼うのに使われるクワに対して、山野に自生するクワということで、ヤマグワという名がある。
・普通、植物の名が与えられるときには、山野の自生種が基本になって、それから栽培種の名がつくられるが、クワについては、むしろ逆をいっている。そのあたりに、養蚕の歴史がいかに古いかを物語っている。
(日本の養蚕の歴史は、弥生時代の中期から始まると考えられている。一方、中国のそれは実に紀元前3000年からと見られる)
・養蚕に使われるクワは、日本ではマグワすなわち真桑と呼ばれる。
まさにヤマグワ(山桑)に対する名前である。
これは別名をトウグワ(唐桑)というように、もともとは日本産ではない。
朝鮮から中国にかけての原産で、紀元前にインドへ、そして日本へと伝わり、シルクロードを経由して、12世紀にヨーロッパに達した。
絹の道すなわちシルクロードは絹の西欧への紹介のルートであるとともに、クワの伝播の道でもあった。
クワなしには、養蚕の可能性もなかった。
・ヤマグワの学名の一つ、Morus bombysisはカイコの学名 Bombyxからきているそうだ。
ただ、通常はヤマグワは養蚕には用いられない。栽培桑の生育が不良で飼料が足りないときには、ヤマグワもまた用いられた。ことに霜の害に強いところから、養蚕地帯ではヤマグワを山地に植えておき、栽培桑が被害を受けた場合の予備とした。ヤマグワは晩霜の時期にはまだ発芽していないし、山地のほうがかえって霜害が割合に少ないことからである。
しかし、山地植えのクワは、葉の質が硬く、飼料としてはやはり劣る。したがってカイコの成長も低下するのは止むを得ない。あくまで緊急用である。
・北海道では、最初からヤマグワを用いての養蚕が行われたことがあったが、これは栽培桑の生育が困難であったことによるものであるようだ。
開拓の初期にさまざまな試行錯誤が繰り返されたが、養蚕への努力もまたその一つであった。
北海道各地でその試みが見られ、たとえば、札幌の桑園という地名はまさにその好例。開拓使が養蚕を興すべく仕立てた桑園がその地名の起こりである。
・クワの栽培のもっとも東にある例は、釧路地方の厚岸町太田の通称屯田兵のクワ並木である。
浜中町にもおなじような例がある。いずれにしても北海道の最東端に近く、いうなれば、シルクロードのもっとも東に達したものということができる、と辻井氏はいう
絹の道は西だけでなく東にも向かっている。
【ヤマグワ】
・クワ科クワ属の落葉樹。
クワ属は北半球の暖帯ないし温帯地方に10余種が分布し、ほとんどが灌木だが、なかには高木になるものもある。
クワ科には近い属に製紙の材料として有名なコウゾ属があるように、クワ属もまた製紙の原料になりうる強い繊維を持つ。
・ヤマグワはほとんどが雌雄異株で、高さは10メートル、直径では60センチに達する。
葉は卵形、広卵形だが、不整な破片を持つなど、形は変わりやすい。
花は小さくて目立たないが、花の後に着くイチゴ形の果実は甘くて食用にされる。はじめ赤いが完熟すると紫黒色になり、食べると唇が紫色に染まる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、143頁~146頁)
【プラタナス(スズカケノキ科スズカケノキ属)】
【プラタナス(スズカケノキ科スズカケノキ属)】
〇プラタナスは、スズケカノキという和名もあるのだが、もっぱらプラタナスで通る。
おそらく日本では、というより世界でもっとも広く、多く使われている街路樹ではないかという。
だからほとんど世界中の人がこの樹を知っていることになる。
街路樹とか公園樹に使われた歴史は古くて、ローマの諸都市ですでに用いられているし、ギリシアでも古代から植えられたそうだ。
<プラタナスの英名>
・プラタナスの名はギリシア語からきているが、英名はプレーン・ツリー。
しかし、しばしば(ことにアメリカでは)、シカモーアと呼ばれる。
(この場合は、アメリカスズカケノキを指すことになる)
ところが、ヨーロッパで(英国を含めて)シカモーアとは、カエデの仲間でセイヨウカジカエデを言う。
そこへ持ってきてスコットランドでは、このカエデもプレーンと呼ぶそうだから、混乱の度は増して始末が悪い。さらに、シカモーアと呼ばれるものには、この他にクワ科のイチジクの一種があるという。
<和名のスズカケノキ>
・和名のスズカケノキという命名は、松村任三博士だそうだが、牧野富太郎博士によると、これは山伏の法衣の名で篠懸(すずかけ)というのがあるのを、そこに付けてある球状の飾りの呼び名と間違えてつけてしまったもので、もし強いて書くなら、鈴懸とでもしなければ意味が通じないそうだ。
⇒英名も和名も混乱だの間違いだの多い樹であるようだ。
・スズカケノキの実は確かに山伏の衣裳に付いている球状の飾り玉にサイズも似ているし、目立つ特徴でもある。
※ことにスズカケノキのそれは数も多いから季節には大いに目立つ。
⇒これはどこでも注目される特徴だったようで、別の英名にはバトンウッドとかバトンボールツリー、すなわちボタンノキというのがあったりする。大きなボタンである。
これは果球とでも言うべきもので、完熟するとほぐれて多数の小さな堅果が出る。
(その数は1グラムあたり500粒に達する。小さなものだから風で容易に広く散らされる)
<ヨーロッパでの栽培の歴史>
・ヨーロッパでの栽培の歴史は古くて、なにしろ自生していたこともあり、目通りの直径は10メートルだの、15メートルだのという大木があちこちで記録されている。
⇒そうなると年数ももちろん相当なもので、1000年とか1500年とか伝えるものも少なくない。
なかにはアレキサンダー大王の軍勢がその下を通ったとか、マルコ・ポーロが中国に赴く時に見て記録したとかいうのがあったりする。
<英国のプラタナス>
・もっとも英国に入ったのは、かなり遅くて、1636年だそうだ。それでも今から360年も前だから、各地にある樹も大きなものが少なくない。
・街路樹としても昔から使われていて、たとえば名探偵シャーロック・ホームズの住んでいた(ということになっている)有名なベーカー街221-Bという借家の裏庭(ヤード)にも1本のプラタナスがあった、と書いてある。
※これはモミジバスズカケノキであろうと推定されている。
というのは、ロンドンでは、アメリカスズカケノキが初期に植えられたものの、成績がよくなくて、モミジバスズカケノキに置き換えられたからだそうだ。
そこで、ロンドン・プレーンの名さえ出たという。
⇒当時のロンドンと言えば、産業革命の最中で甚だしい煤煙に悩まされていた頃であるし、プラタナスはそうした条件にもっとも強い樹種として採用された。
<プラタナスという木>
・葉の形が優美なのに加えて(これは大きすぎるとして嫌われる場合もあるが)、樹肌の斑紋が面白いのも人気の所以である。
しかし、そうした特徴よりも、やはり剪定に強いという管理上の都合の良さが、なにより公園担当者の好みに適ったに違いないという。
・立地への適応幅はたいへん広くて、地味が痩せた、そして乾燥した立地でも十分に育つ。
しかもロンドンでの例で述べたような煤煙など大気汚染にも強いとされているのだから、都市環境には持ってこいなのである。
<日本でのプラタナス>
・日本では明治8年か9年頃に入ったとされる。
小石川植物園が最初で、大きいものが残っている。
モミジスズカケノキは新宿御苑に明治25年に植栽され、今では立派な並木が皇室専用の門から奥に向かって、亭々として並んでいる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、179頁~182頁)
【フジ(マメ科フジ属)】
【フジ(マメ科フジ属)】
〇フジは、日本では棚作りにされることが多い。いわゆる藤棚である。
通常、木で棚をつくり、これにフジを絡ませる。時には棚を鉄のパイプなどで組むこともあるが、腐りやすくても、やはりこれは木の風情にかなわない。
・何故、棚でつくるかというと、フジの花が穂咲きで垂れ下がるからである。
垂れ下がる花の穂を観賞しようとすれば、これは棚作りに限る。
棚から垂れ下がった花穂が並ぶのは、まさに壮観である。
・藤浪(ふじなみ)という言葉がある。
なみは、「なびく」と同じ意味である。ふじなみは穂なみと同じく、並んで風になびくということを指すようだ。そこで、フジを棚作りにするというのは、よくその性質を生かしている。花穂が並ぶ効果を高めることになる。
・フジは、日本のものというイメージが強いが、中国、朝鮮そして北アメリカにも自生する、マメ科フジ属の蔓性植物である。
日本に分布する種類は、フジもしくはノダフジ(野田藤)、ヤマフジ、ノフジなどと呼ばれるものである。
(野生のものをヤマフジ、栽培しているものをノダフジと呼んで区別することもあるが、両者は同じだ、と著者は記す)
<吉野の桜、野田の藤>
・ノダフジの野田は大阪市の南部にある。
野田は昔からフジで有名で、「吉野の桜、野田の藤」とさえ呼ばれた。
・フジは、落葉性で蔓の巻き方向は左巻き、葉は奇数の羽状複葉で、小葉は13ないし19枚と一定しない。
本州以南に分布し、北海道には自生はない。
葉は卵状長楕円形で、小葉のサイズは小さく、長さ5~10センチ、幅2~2.5センチ、薄くて上面には光沢がある。
・若葉は茹でて食べる。
『大和本草』にいわく、「葉若き時、食うべし」とある。
さらに、「その実を炒りて酒に入れれば酒敗れず、敗酒に入るれば味正しくなる由」とあって、これは酸敗した酒のことだが、そううまく直るかどうか、と著者はコメントしている。
もっともこうした記載は、『和漢三才図会』にもあるという。
・蝶形の花は普通、紫色で、これを藤色ともいう。
一房に数十から100ほども付く。それが一時に咲けば、これほど壮観なことはない。
花も飯に炊き込んで、これを藤の飯と称する。
花は食べられるが、その種子の肉は緩下剤として作用するという。
・棚作りにするのが多いのだが、うまく足掛かりをつくってやれば相当、高い壁にも這い上がらせることができる。
こうなると見事な花の壁ができるわけで、一見に値する。
これは棚または垣仕立てと呼ぶ。
この方法を応用すれば、アーチにもゲートにも仕立てられる。
アメリカなどでは、こうした仕立て方のほうが一般で、かえって日本に見る藤棚方式のほうが少ないそうだ。
ウィスタリア・アーチ、ウィスタリア・ゲートなどがそれである。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、207頁~208頁)
【ニセアカシア(マメ科ハリエンジュ属)】
【ニセアカシア(マメ科ハリエンジュ属)】(学名:Robinia pseudo-acacia)
〇ニセアカシアは、日本に広く見られるが、日本の自生種ではない。
しかし、明治以来のパイオニアで、もはや市民権は得ているようだ。
・ニセアカシアは、その学名からの命名である。
ロビニアという属名は、フランスの植物学者ロビン(この人は17世紀の初めにアメリカからこの樹を導入して栽培した。その樹はヨーロッパ最古のニセアカシアとしてパリ植物園に現存するという)の名に由来する。
⇒このことからフランスでは、ロビニエの名のほうが通っている。
※種名のプソイド(プシュウド)は、偽の、とか紛い物の、とかいう意味を持つので、こういう和名が付けられてしまったそうだ。
・アカシアというのは、おなじマメ科だが熱帯の産である。オーストラリア、アメリカ南部、インド、東南アジア、アフリカなどに分布する。
ニセアカシアは、葉の形状などがこれに似ているということから、哀れにも、ニセの、ということになってしまった。
※これではあまりかわいそうだというので、様々な提案がなされたそうだ。
アカシアのほうをホンアカシアとでも呼んで、ニセアカシアをアカシアに格上げしては、とか、アスアカシアと言ってはどうか、とか、あるいは属名をそのままに採用してロビニアとしてはどうか、とか。
北大植物園の初代園長であった宮部金吾博士も、ロビニア推進派だった。
しかし、決定打が出ないままに、現在に至っているようだ。
これは、本物のアカシアが日本ではよほど暖かい場所でなければ育たなくて、ニセアカシアと競合しないこともあるらしい。
(もっとも、実用上にはどうでも差し支えがないが……)
<和名としてのハリエンジュ(針槐樹)>
・和名としては、別にハリエンジュ(針槐樹)というのがある。
これは松村任三博士が命名した。植物学上では、この名が比較的多く使われる。
もっと古くは、重兵衛バラというのがある。今ではまったく通用しないが、面白い名前である、と著者はいう。これは、明治16年に群馬県の中山重兵衛という人の息子がアメリカから種子を手に入れて、植林を試みたことからきている。
(それにしても、バラとはどういうイメージからの命名だったことやら、と著者はコメントしている)
<中国では洋槐~青島(チンタオ)は洋槐半島>
・中国では洋槐という字があてられている。
これはなかなかうまい命名であるという。中国に多い槐樹に対する区分である。
もうひとつは、徳国槐というので、これはドイツ(徳国)が租借していた青島(チンタオ)に大いに植えたことから来ているそうだ。
・青島のニセアカシア林は、中国ではもっともよく成功した例の一つになっている。
ここで、ドイツは、1億5000万本を植林した。青島は洋槐半島と呼ばれた。
<英国では、フォールス・アカシア、アメリカではローカスト、パイオニア・ツリー>
・英国では、フォールス・アカシアで、これはニセアカシアそのままである。
アメリカでは、ローカスト Locustあるいは、ブラック・ローカストと呼ばれる。
<パイオニア・ツリー>
・ニセアカシアは、実際、パイオニア・ツリーという名も持つ。
アメリカの西部開拓時代に、新しい町が生まれると必ずと言ってよいほど、この樹が植えられたことによる。
どのような土質のところでも、よく育つ強靭さを持っており、ほとんど手入れも要らず、伐られたり折られたりしても、何度でも萌芽する強さが、乾燥した西部にはぴったりだったのであろう。
<明石屋>
・日本では、明治11年に何と「明石屋」という名で紹介されているという。
なかなかうまい当て字だ、と著者はみている。
公園としては、日比谷に最初に植えられた。
しかし、北海道での記録はさらに古く、明治4年に開拓使が輸入して札幌農学校の試験園に植えている。明治6年には円山の札幌神社裏参道に植えたとある。
本格的な並木は明治18年に東西道路は南四条まで、南北道路は西四丁目に植えられたという。
⇒北原白秋の『この道』は、アカシアの咲いている札幌の道を唱ったものだが、その道はどこだったかは、不明としている。
・ニセアカシアは、高さ20メートル以上になる落葉高木で、原産地はアメリカのロッキー山脈以東ペンシルバニア、オハイオ、イリノイ、バージニアの諸州を中心とする一帯である。
・若い幹と小枝には刺がある。これがハリエンジュの名の元である。幹も太くなると針がなくなる。
⇒若い幹と枝に刺があるのは、原産地に住む山羊などに対するものだ、という説明がある。
・葉は互生の奇数羽状複葉、花はよく知られているように6月頃、房状に蝶形の白い花が付く。香りがよい。花はてんぷらなどにして食べられる。
・花の香りは甘い。匂いに誘われて、アブ、ハナバチ、そしてもちろんのこと、ミツバチも集まる。そこで主要な蜜源植物になっている。
(「アカシア・ハニー」というのはいいが、「ニセアカシアの蜜」ではちょっとまずい)
※近来は、花粉症の原因になる場合もあると言われて、並木としては人気がなくなってきつつあるそうだ。
・並木や公園に植える他に、乾燥や土壌を選ばない性質を利用して、荒れ地や崖地、海岸などの緑化にも使われる。(中国の青島も、そして大連もその例である)
・マメ科だから根瘤バクテリアを持ち、窒素固定をして土壌改良をやってのける性質も、荒れ地の緑化に向いている。
生長も早いから、初期緑化の材料としては恰好である。
葉は飼料になる。
材は燃料としても使われるが、なかなか堅くて強いので、かつてはスキー材にも用いられた。
※ただし、浅根性なので風害を受けやすく、根元から倒れるケースが少なくない。
⇒この点が、並木にする場合の最大の欠点とされる。
(今でも本数だけから言えばメジャーなほうだが、新しい植栽本数は年々減ってきている。アカシアの時代は、そろそろ終わりに近づいているようだ)
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、210頁~214頁)
【ネムノキ(マメ科ネムノキ属)】
【ネムノキ(マメ科ネムノキ属)】
・ネムノキは、大抵の人が知っている。
夢のような優しい花の姿は昔から人々に愛されてきたものであった。
しかも、その花が夕方に楚々として開き、夜や暑い日中には閉じるところが、いかにも生き物を思わせて親しまれた。
・こうした情景は、昔から歌や俳句によくうたわれている。
『奥の細道』の「象潟(きさがた)や雨に西施がねぶの花」が有名である。
⇒雨に濡れたネムの花は、睫毛を閉じた美人・西施の憂愁のさまを思わせるに、まことに十分なものがある。
(<注>象潟の読み方は、「きさかた」が一般的だが、この本でのふりがなは「きさがた」としている)
・花は夕方に開き、夜や暑い日中には閉じるのに対して、葉は朝に開いて夜に閉じることを繰り返す。
ネムノキの名は、「睡る木」を言うが、どちらを指して言ったのか。この点について、夜眠るのが普通だろうから、これは花よりも葉についての命名と考えるほうが、よさそうだ、と著者はみている。
(花は夜にかけて開くのだから、これでは夜遊びとまではいかなくても、宵っ張りのお嬢さんということになってしまうと……)
・高さはそう大きくはならない。4~5メートルくらいのがもっとも多い。
枝はよく張り、横に水平に近く出て広がる。
葉は細かいものが多数。花びらは淡紅色で短く、これに多数の同じく淡紅色の雄蕊(ゆうずい)が目立つ。合わせて、いわゆるネムノキの花として目に映る。
・何となく中国からの伝来を思わせる花の様子なのだが、日本にも自生したという。
ただし、耐寒性はあるものの、本州以南、四国、九州にあって、北海道にはない。
本州では、東北地方でも育つ。なにしろ芭蕉が象潟で見たのだから、確かである。
・ネムは漢字では、合歓あるいは合歓木と書く。
これも、その葉が合うところからの名前だそうだ。
※同じ字を使って、銀合歓と書く種類がある。
これはギンネムと呼ばれるのだが、ネムの名前はあっても、別のギンゴウカン属の樹木である。
花はもっと小さくて白いが、感じはやや似ている。
熱帯アメリカの原産で、今では広く栽培分布している。その葉が飼料にもなるので、広まった。強いので飼料用の他にも、砂防や防風にも有用である。
(ただし、何分にも強すぎるので、むやみにはびこり、自然の景観を阻害する場合もあって、警戒されるようになった)
・第二世界大戦のときに、サイパンなどで飛行場施設のカムフラージュに使ったのはいいが、空中写真偵察で自然の樹木とは違うことから、あっさりアメリカ軍に見破られたという。
(こうなると植物学的知識が必要になる。今ではリモートセンシングの読み取り技術として常識になっていることだそうだ)
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、215頁~217頁)
【デイコ(マメ科デイコ属)】
【デイコ(マメ科デイコ属)】(学名:Erythrina variegata)
・デイコは、マメ科デイコ(エリスリーナ)属の落葉高木である。
学名エリスリーナは、ギリシア語の赤いという言葉から来ている。
それは、この樹の花の明るい赤色に基づく。
・沖縄本島の玄関口、那覇空港を出ると、すぐこの並木が目につく。
空港から那覇市内への道筋にもまたデイコの並木が続く。
落葉性だから葉を落としている姿は少々、棒杭の並んださまを思わせるものがあって、何故こんなぶっきら棒な並木をつくったのか、と呆れるようにも思う。
しかし、花が咲いている季節には、すこぶる晴れやかで、派手で、明るくて大変よろしい。
明らかに、南国の花そのものである。
・英名もその赤色を、これは珊瑚に見立てて、コーラル・ツリーと呼ぶ。
このデイコは、インディアン・コーラル・ツリーで、アメリカ産のものが、コモン・コーラル・ツリー、もしくはその花の形から、コックスパー(雄鶏のけづめ)・コーラル・ツリーという。
・生長はきわめて早くて、しかもきわめて丈夫な樹だから、それこそ棒杭のようにしか見えないものを植えておいても、やがて枝が出、根が伸び、たちまちのうちに葉が繁り、花が咲く。
何とも結構な樹である。
(那覇市の緑地公園課にとっては、デイコさまさまだろう)
・花はもちろんだが、葉もなかなかいい。
広い卵形で長い葉柄がある。葉脈もはっきりしている。
(ちょっと葛の葉を連想させるところがある。3枚ずつ出ているところも似ている)
・那覇をはじめとして沖縄の各地にきわめてポピュラーに植えられているが、原産は熱帯アジア、オーストラリアで、かなり古くから導入されたものである。
首里には相当の大木もある。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、218頁~219頁)
【トチノキ(トチノキ科トチノキ属)】
【トチノキ(トチノキ科トチノキ属)】
・山の中で途方もなく大きな葉に出会うことがあるそうだ。
ホオノキもそうだが、大きなカエデと見紛うのが、このトチノキの葉である。
(それがばさりと落ちてきて、びっくりさせられたりする)
・トチノキは、トチノキ科の高木で、高さは25メートルあまり、直径も大きいものでは優に2メートル以上になる。
トチノキ属は、日本をふくめヒマラヤ、インドなどアジア、ヨーロッパ、北アメリカに合計24種がある。
いずれも先にカエデ型で大形の5枚から7枚の小葉が掌状に付いた複葉を持つ。
直立した総状の豪華な花が見事だ。
⇒その豪華な花房は、シャンデリアに見立てられて、シャンデリア・ツリーの名もある。
・トチノキの英名は、ホース・チェスナッツ、すなわち馬栗である。実がクリに似ているところから来ている。
<トチノキの実>
・たしかにその実は大きさも色もクリに近い。つやつやしていてきれいなものである。
ただし、この実はサポニンを含み、渋くてそのままでは食用にならない。
薬用にしたり、含有するサポニンによって洗剤としての利用が古くから行われた。
薬用には、百日咳、胃に効果があるという。
外用薬としては、打撲傷、腫物に使われた。
(禿にも効くと聞いたことがあるが、これは確かではないという)
・樹皮はキナの代用になるそうだ。
・実はただちには食用にならないが、水に漬け、皮を剝いたものを灰汁(あく)で煮て粉にするとか、あるいは澱粉を水で晒すとかして渋味を抜き、これを材料として栃餅としたものは、各地で昔から賞味される。
水飴とか煎餅にもなる。
・クリに似てそのままでは食用にならないあたりが、馬栗の名の起こりであろうとされる。
しかし、そのほかにその葉痕が馬蹄形で、念のいったことに7本の釘跡までついているように見えるところからの命名だとする説もある。また、さらに、実が馬をはじめとして家畜の病気に効くからだ、という説もある。
※日本にも、その実を水で浸出したものが馬の眼病を治す効果があると言うから、これは面白い東西の一致であるという)
<トチノキとフランスのマロニエ>
・フランス名はマロニエだが、これはセイヨウトチノキ(ヨーロッパトチノキ)である。
日本のトチノキにかなり近い種類である。
パリの街路樹(とりわけシャンゼリゼ大通り)として有名である。
それを見てきた人がマロニエを植えたいと言い出すケースがよくあるようだ。
わざわざヨーロッパ渡りの樹を選ばなくても、日本にもありますよ、と著者は言うのだが、パリのイメージが抜けないらしい。
※札幌の駅前通り、四番街の並木選定のときにも、この話が出たそうだ。
結局、日本のトチノキが用いられたが、説明看板にはマロニエと書きたい、という商店街の希望が入れられたという。
このトチノキは植えたものの、なかなか花が咲かなくて、当時商店街の理事長を務めておられた方から、毎年のように「まだ咲きそうもない、いったいいつ、咲くのか」と尋ねられて弱ったことがあった、と著者は回想している。
・パリのマロニエとして有名になるくらい、街路樹としては秀逸の部類に入る。
大きさといい、花の見事さといい、葉の大きさといい、実の美しさといい、いずれも立派なものである。
強いて言えば、葉が大きすぎて、落葉は街路ではいささか邪魔になる。
公園樹としては、葉の大きいことは十分な緑陰をつくれることで、邪魔にはならない。
・豪華な白とピンクの混じった花が咲く頃の日曜日を、イギリスでは、チェスナット・サンデー、すなわち「栃の木の日曜日」と呼んでいる。
さながら日本のお花見のように、楽しむという。
実際、その花盛りは見事なものなのである。通例は5月の末から6月の初めあたりにその日が来る。
<マロニエの原産地、ヨーロッパへ導入された時期>
・ここまで有名になったマロニエ、すなわちセイヨウトチノキだが、元をただせば、実はパリにもロンドンにも自生していたものではない。
・原産は、アルバニア、イラン付近である。
ここからギリシアあるいはトルコ経由で、16世紀後半にヨーロッパに紹介されたという。
フランスに入ったのは、1615年、イギリスに導入されたのも、ほぼこの頃とされる。
⇒パリのマロニエ並木の歴史は400年ほどということになる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、239頁~242頁)
庭木として興味ある木
庭木として興味ある木
【イチイ(イチイ科イチイ属)】
<イチイの名の由来>
・イチイといっても北海道では通じない。これは北海道で言うオンコである。
イチイはこの他に、アララギ、キャラボク、スオウ、ヤマビャクダン、シャクノキなどの名を持つ。
・キャラボクとヤマビャクダンは、紛れもなく、その材が色と香りにおいて、ビャクダンに似るところから来たものである。
キャラボクは、これまたイチイとは別の変種とされることもある。
その場合は、枝が横に張り、小型のものを言う場合が多い。栽培品種も少なくない。
材もイチイが多く赤みを帯びるのに対して、むしろ白色である。
・シャクノキは、笏木すなわち神官の使う笏(しゃく)が、この材でつくられたことによるという。
このことによって、仁徳帝がこの樹に正一位を授け、イチイの名が出たとされる。
・イチイ、すなわちオンコは、北海道の名木であり、銘木である。
姿は堂々としているし、材も美しい。樹齢も相当になるから、その古木は大いに風格が備わっている。
そこで、よく役所や社屋前の車回しなどに有難そうに植えられる。
(分布は北海道の全域であるが、ことにまとまって見られるのは、いわゆる道東である)
<イチイの性質>
・イチイは多く暗い林内に育つ。つまり典型的な陰樹である。
その性質を利用して、昔は林の境界を示す樹として植えられることもあった。
しかし、蔭でなければ育たないということではない。蔭にも強いが、明るい場所でももちろんよく育つ。蔭では、枝の出方が不揃いになるが、明るい場所では均整に出、びっしりと葉で覆われた姿をつくる。
・この性質を利用して、イチイはしばしばトピアリー(topiary)、すなわち刈り込みの材料とされる。
この例は、英国で多く、ヨーロッパイチイがその素材となっている。
(いろいろな動物、あるいは幾何学模様が、何年もかけて丹念に刈り込まれてつくられる。鹿を追う数頭の犬など、一連のストーリーが描かれることもある。)
日本でも、ときに鶴と亀の類の刈り込みがつくられていることもあるが、大きな庭園で壮大なものがつくられている例はほとんどない。
(ただ、生け垣としてはかなりあちこちで設けられている)
・生長は遅く、寿命は長い。
直径は1メートルを超えるものがあるが、高さはせいぜい15メートル止まりである。
枝の張りは大きいものでは高さにほぼ等しいほどになる。
(たとえば、明るい場所に植えられた北大植物園の例では、ただ2株で、直径20メートルほどの場所をほとんどいっぱいに占拠している)
・種子は堅いから、なかなか発芽しない。
鳥が食べて、砂嚢で揉まれると発芽しやすくなるらしい。そう考えると、林の中にあちこち散らばって生えているのが分かる。鳥による種子の伝播の結果なのである。
<イチイの用途>
・日本では神官の笏に使われるが、ヨーロッパではしばしば教会の庭や墓地に植えられる。
アイヌ名の一つに弓の樹というのがあるが、英国でもイチイはその強さから弓の材として用いられた。
・長寿・永遠の象徴とされる反面、葉に有毒成分が含まれていることも古くから知られていた。
ハムレット劇中、王の耳に注がれる毒がこれだという。
それはともかく、その美しい赤い実の中に黒く見える種子が有毒なのは事実である。
果肉は食べても問題はないが、黒い種子は食べないように気をつけなければならない。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、6頁~9頁)
【我が家の庭木のイチイの写真(2022年11月6日撮影)】
【アカマツ/クロマツ(マツ科マツ属)】
・アカマツとクロマツは、日本の海岸を代表する樹である。
少なくとも、本州以南の風景を、といえばあまり異論もでないだろう。
白砂青松といえば、美しい海岸の代名詞である。
しかし、これが日本の原風景か、となると、それこそ異論が出る。
クロマツが海岸によく出てくるのはともかくとして、中国地方ことに瀬戸内沿岸のアカマツ林は、もともとこれだけ広く分布していたものかどうか、疑問らしい。
【補足】
この点、例えば、田中淳夫氏は、『森林からのニッポン再生』(平凡社新書、2007年)において、製塩とか製陶、製鉄などが産業として広がるにつれ、そのエネルギー源としても、森林資源は酷使され続けた。山に木がなくなれば、降雨などで土壌が流され、土地が痩せた。
すると、生えられる木は限られてくる。たいていはマツである。
中国山地にマツ林が多いのも、戦国時代からの製鉄・製塩産業のため、と田中淳夫氏は考えている。
(田中淳夫『森林からのニッポン再生』平凡社新書、2007年、26頁)
・平城京でも平安京でも、その模型にはたいていマツが、しかもアカマツが添えられているのが多いが、当時の市街地の周りがすべてアカマツだったかどうか、疑わしいようだ。
この頃は、タブやクスなどの常緑広葉樹が多かったので、まだアカマツに置き換わっていなかったという。
(もっとも、いったん置き換わればアカマツの時代は長く続いただろうともいう。燃料としても火力はあり、有用だったにちがいない)
<アカマツとクロマツの違い>
・アカマツはメマツ(雌松、女松)、これに対してクロマツはオマツ(雄松、男松)と呼ぶ。
アカ、クロはいうまでもなく、その樹皮の色による区分である。
また、雌雄の名はそのサイズと葉がアカマツでは細くてやわらかく、クロマツでは太く長く、硬いところからのものとされる。
(もっとも、サイズは一般論であって、常にアカマツが小さいとは限らない)
・分布はクロマツは南方性で海岸に、アカマツは北方性で内陸に適しているというが、これも長い栽植の歴史を持つから、だいぶ混乱している。
(寒さに対しても、クロマツはなかなか強くて、北海道の海岸緑化にも使われているくらいである)
・庭園・公園に使われている最たるものは、やはり皇居前ではないか。
これだけまとまって植えられているところは少ないし、樹形の千変万化、見ていても面白い。もちろん背景の江戸城の白壁と石垣も効いている。
<防風林としてのクロマツ~出雲の築地松>
・クロマツを防風林に使うのは海岸ばかりではなくて、有名なのは出雲の築地松と呼ばれる屋敷林である。
北西に向けて高さ8メートルあまりに、上端はやや反りを打たせて、立派な鉤形のものが設(しつら)えてある。
そのスケールで家の格が分かるというが、手入れが大変とあって、近来は新しい家では省略したり、旧家も改築を機会に止めたりして、数は格段に減った。
⇒機能もさることながら、風物としても貴重なものなのだから、何とか保存することを考えるべきだろう、と著者は主張している。
<アカマツと松茸>
・アカマツは近来ことにマツノザイセンチュウにやられたそうだ。
南のほうから冒されてきて、瀬戸内のマツは厳島(いつくしま)をはじめ軒並み壊滅的な打撃を受けた。白砂青松の風景がまさに消えようとしている。
(この被害が増えたにはいろいろな説があり、しかもそれを食い止めようとしての農薬散布にあたっても、さまざまな議論が出た)
※長い間、人間の活動によって、アカマツ林が維持されてきたのが、手入れが減ったことと、松喰い虫の登場によって元にもどったという面がある。
・アカマツ林の手入れの悪さが、近年の松茸の馬鹿馬鹿しい品薄と高値に結びついているという説明をよく聞かされる。
適当に間引きされて十分な陽光が入り、下枝をおろして、きれいに林床の掃除された林でないと、上質の松茸は生えないという。
薪や用材にも伐り出さず、その必要も人手も少なくなってしまったアカマツ林では到底、昔のような松茸狩りは望めそうもない。
・もう相当前から、松茸山ではお客を入れる前に(おそらくは朝鮮産などの)松茸をしかるべく植え込んでおく、と聞いたものである。
(根元を石膏などで少し固めておいて、引っ張ったときに適当な手応えがあるようにしておくという高度技術もあるそうだ)
※日本人の松茸信仰は、依然として根強いものがあるから、輸入の拡大はもちろん、その栽培への必死の努力が続けられているが、これがきわめてむずかしいという。
やはりアカマツ林の状態をよくするほうが本筋ではないか、と著者はいう。
アカマツが海岸よりも内陸に多いのは、砂地を好まず、潮風にも弱いということが大きいという。
そこで、俗に「峰の松」というとアカマツと相場が決っているのは、アカマツの高燥で陽光を好む性質をよく表していることになる。
(辻井達一『日本の樹木』中公新書、1995年[2003年版]、14頁~17頁)
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