みなさん、おはようございます。Yahoo天気予報では、今朝はまだ晴れマークがあったのですが曇りの方が強かったみたいで残念ながら桜島は見えていません。ということで、今朝ご紹介するのは前回のおしゃか祭でも出てきた宝満寺跡です。宝満時は京都の泉湧寺、奈良の西大寺両寺の末寺で、明治2年に廃仏棄釈によって廃寺となってしまいました。廃寺となった後、町内有志の仏心講の手により観音堂が建立され、宝満寺の観音信仰が現在に伝えられています。安産祈願の護符は霊験あらたかと言われ、花嫁を馬の背に花婿が手綱をとるシャンシャン馬の参拝風物もこの地に始まるとされています。 宝満寺跡地には、現在も中国様式の畔池を廻らせた庭園、仁王像、歴代住職の墓地などが残っています。この時に奈良西大寺から持ち込まれた運慶作の如意輪観音像を本尊としたという。この本尊が安産に霊験あらたかとされ、一時は坊津の一乗院、慈眼寺と並んで「薩摩三名刹」と言われる大寺となりました。しかし明治2年の廃仏毀釈により新政府に忠実だった鹿児島県内で廃寺になるところが多かった例に倣いあっけなく廃寺となりました。その後、明治19年(1886年)、大慈寺の説教所が跡地に建てられましたが、この説教所も昭和7年(1932年)に廃止されました。地元の宝満寺の信者により昭和11年(1936年)に再建されたのが現在残る宝満寺観音堂です。今でも戌の日の安産祈願詣りや出産後の安産お礼で賑わっています。
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