引っ越して少し経ちました。
少しずつ落ち着いてきましたが、まだまだバタバタした生活をしているところもあります。
そんな中、右手の指が突如ばね指になり、夜は特に手をグーの形にできません。
血行をよくするといいらしいので、腕や指のストレッチというのをやってみたりネットで知った腱鞘炎によいツボを押したりしています。
指の使い方に問題もあると思うのでなるべく左手もできる限り使っていこうかな~と思っています。
小さい頃私は左利きだったので、今でも左手でないとできないことがあったりと右利きの人よりは左手の使用頻度が高く、その点では幸いです。
左手でやれそうなことは左手でやって、ちょっと右手を楽させようと考えたり。
肉体的に言ったら指の使いすぎが原因なのですが、心的要因などはないかな?と思ってちょっと検索してみると、創造性を発揮できていない時になるという感じのことが書いてあるブログを見かけて。
ちらっとネットサーフィンしてそういうことを知って、あ~~~納得、と思いました。
通りで毎日のように蜘蛛や蜘蛛の巣を目撃していたわけだよと。
人間という生き物は「運が良い」か「運が悪い」かの一方に引っかかって、「運はいつでも変えられる」のを悟らない。
運を変える決断力に欠ける人間は、自ら創り出した「幻想」や「制限」に消耗し尽くされて人生を終わる。
スパイダーは女性エネルギーだ。
美しい人生模様を織り出す創造力だ。
彼女は複雑なパターンを幾つも織り込んで巣をつくる。
そしてパターンのひとつひとつが朝露に光る。
スパイダーが巣から落ちてきてあなたのカードに現れたら、
「創造せよ、創造せよ、創造しろってば!」と尻を叩きに来たのだ。
(メディスンカードより)
ここ数週間、車のサイドミラー部分に蜘蛛が居着いてしまって、朝夜と車に乗る度に見事な巣を作っている姿を最近これでもかと見かけていました。
その蜘蛛の巣、朝に車に乗るときに朝露がかかっていると特に綺麗で輝いていて。
その蜘蛛の巣を見つめながら整った見事な巣を作るものだなぁ…と関心したりしていました。
蜘蛛を殺すのはいやなので自然にいなくなるのを待とうと、特に追い払うこともなくそのままにしていたので毎日蜘蛛の姿を目撃します。
私は「目に写るすべてのことはメッセージ」(魔女の宅急便の曲の歌詞)っていうのを信じていて、蜘蛛を見かける度に上のメディスンカードの蜘蛛のところを思い出して、創造的なことかぁ~(白目)と、蜘蛛からのメッセージをなんとなくは自覚していたのですが、毎日の慣れない生活にばたばたと疲れ果て、たしかに(創造性のあることをしていないなぁ…)と何度も感じることはあったものの、日々諾々と過ごしてしまっていました。
そうしていたらばね指になってしまったという。
そして腱鞘炎もまた「創造的なことができていないぞ」という体からのメッセージだったという。
蜘蛛が毎日美しい巣を編み、己の姿を通して一生懸命「創造しろってば!」と尻を叩いてくれていたというのにこのていたらく。
と、いうわけで、疲れたとか言っていないでブログ更新しようと思いました。
私の中で一番手軽にできる創造性を発揮できることが「ブログを書く」ことなので。
書いて発散するもよし!
と、先週からぼちぼちとブログしようと思い立ちました。
本当はこのブログ、ビーチコーミングの記事しか読まれないし、期待されているのもそういう内容なんだろうなということをうっすらと感じつつも、当の本人はビーチコーミング熱が落ち着いてしまっていて今後積極的に発信していくつもりもないというギャップに少し悩んでおり、フェードアウトするかどうするかといろいろと考えていました。
でも、もっと気楽に考えていくか~と思えるようになりました。(指がこんな風になって)
元々このブログ、ビーチコーミングに出会う前は自分というものを知りたくて自分の心を見つめるために日常に会った出来事、感じたことをメインに写真もなく記事を書いていたのですが、そういう感じの元々のペースに戻そうかなぁと思うようになりました。
戻したって検索されたり人気があるのはビーチコーミングやメノウ関係の記事だと思うんだけど、そんなの関係ねえ!自分の好きなこと書くんだ!という意気込みで書けたらいいなと。
いつもそういうことを思いつつ、HSP特有のいろいろなことを考えすぎて結局自分が出しづらくなってしまっているのを少しずつでも無視していい意味で図太くなっていければいいなぁと思います。
考えすぎて自分が出しづらいというのも、結局のところ、蜘蛛メディスンの言う「自ら創り出した幻想や制限」だと思うので。
あと、蜘蛛のメディスンカードの上の文章の中にある「運はいつでも変えられる」という部分、この部分忘れていて。
ほんと、運が良かった・悪かったとか、そういうものに左右されて振り回されて、喜んだり嘆いたりしてる自分。
どちらか一方にひっかかって、運はいつでも変えられるのを悟らない、かぁ。
身に染みる~。
蜘蛛メディスンの他の意味に「自己の成長記録をつけ、確認せよ」と、日記を書くことを勧める部分があるんだけど、まさにこれもかもしれない。
日記を書くこと。
きっと今回指が腱鞘炎になったのは、創造性に欠けている現状を自覚させ、日記を書いてまた再び自分を記録していこうと提案し、運の善し悪しで一喜一憂するのではなく、良いなら純粋に喜び、悪いと思ったらそれをいつまでも引きずらずに変えていける自発的な人間になれるようにと、そういうことに気づかせてくれるためになったのかもしれないなって。
ふう~。
書きながら、今回指がこんな風になったのはそういうことだったんだなって思えました。
やっぱり自分の記録をつけるというのは大事かもしれないと思った今日この頃でした。