Harvest*

日々の中で感じたことや思ったことの記録

FGOガチャで一喜一憂していた去年の12月の話

2021-01-10 23:34:21 | 日記

1月に入ってやっと落ち着いた時間ができたので去年の12月にあった出来事を記録しておこう。

とても面白い経験でメモしておきたいなぁと思いつつ約1ヶ月経ってしまった。

タイトル通りのお話。

スマホゲーFate/Grand Order(以下FGO)で12月に地獄界曼荼羅平安京が実装され、そのときにピックアップされたアルターエゴ蘆屋道満が欲しくてガチャを回した日々の記録。

あれやこれやとガチャを回し、一喜一憂した先に学んだこと。

 

欲しいと思ったリンボこと蘆屋道満は悪逆非道で人々のささやかな幸せや矜持を踏みにじることに喜びを感じるというどうしようもない性格をしている。

性格的に尊敬できる要素はまるでなし。(混じり気なしのきれいな道満は割と不憫だったけれど)

だけど、ストーリー内での台詞の言い回しであったり、やっていることはすごいのにあふれ出る三下感であったりとなんだかクセになるところはあった。

そしてなによりイラストを担当されている古海鐘一さんの絵がとても自分に突き刺さる感じで好みだった。

使役する魔のものたちとの一枚絵はほんと最高だった…!

おまけに声も良い。(CV.森川智之)

性癖に突き刺さる陰陽師スタイル風の狩衣みたいなのを着ていた!

思えば自分は古代中国の皇帝の衣装や道士服、平安時代の狩衣とか大好きだよなぁ…。

 

引く前にどんなものかと既にサポ欄に上げてくれているフレンドの道満を使ってみると、なんかすごく面白い。

「そぅれっ!」「どうなってもしりませぬぞ☆」という怪しげな声を出す森川ボイスに無事死亡した。

再臨別顔面宝具も豪華だ。

スキル2、3の自分と味方にバフを配るときのみに行う足をバンバンと踏み鳴らす足踏みが癖になる。

そしてその足踏みバンバンが「禹歩」と呼ばれる古くは道教、陰陽道の邪気払いの足運びから来ているであろうということを知り再び死亡。(そういうの大好きなんで)

敵にデバフを撒くスキル1の時のみ禹歩の動きをしないという細かい演出も個人的にすごくきた。

あとスカディシステムに対応しているっていう点もありがたい。

欲しさしかない。

そんなわけでなにかと物入りでお金が必要な師走であるのに諭吉を聖晶石に変え、ガチャを回すことにしたのだった。

 

しかしFGOガチャ。

一番いいのは「でるまで回す」教なんだろうけれど、それはゲームに大きくお金をかけられる人でないと難しい。

私の場合上限金額を決めて、それ以上は絶対に課金しない。

予算を決めてその中で一枚も引けなかったら諦めるしかない。

なので確率という名の魔物を前に何かに縋りたくなってしまう。

そんな事情もあり、予算内でなんとか引けないかと巷でよくあるガチャ宗教を何個か試してから引いてみることにした。

フレポ教、大成功、極大成功教、描いたら出る教など…。

極めつけに過去にアチューンメントしてもらった「セーマンパワーレイ」の祈りの言葉も唱えた。

セーマンパワーレイは陰陽道にまつわる37の星の神、式神のエネルギーということで、触媒がわりにどうだろうかと思って。

そうして準備満タン!

よぅし!さあこいリンボ!と意気揚々とガチャを回す。

 

……

50連くらい回したところで嫌な予感がする。

ちょっと待て。この流れ…悪くないか?

 

最初の10連内で華々しく渡辺綱は出てきてくれたものの…その他はいつもの星3ゴミ礼装が続く…。

完全に星5が来る流れじゃない…。

減りゆく石に、爆死の可能性を感じてしまう。

う、うん。流れが悪いから一旦立て直そう。時間や日を改めてまた狙おうじゃないか。

そう自分にいい聞かせ、その日は撤退した。

 

その後、数日に分けて10連、20連を繰り返すも、なぜだかまったく来そうな気配がない。

来そうな気配ってなんだよ!と思われるかもしれないけれど、そういう予兆はあるような気がする。

やたら10連内でフィーバーしている時というか。

星4キャラが10連で2人きたり、期間限定の星5、星4札装が容易に何枚も引ける時など。

一方流れが悪いと、本当にただひたすらに柳洞寺や激辛麻婆豆腐、瓦礫の聖堂といったもう見たくない星3礼装や星3鯖がちらほらしてる。

今回はいつ引いてもずっとハズレ星3礼装ばかりな上にたまに金色に光ってもPUでないすり抜け星4キャラが来る。

すり抜けが多いときは素直に撤退するに限る。

 

結局、数日に分けて時間もバラして小分けして引いてみたものの、リンボはこなかった。

というか、まったく引けそうな「流れ」を感じない。

いけそうだ、という気配がまるでない。

 

そうして石の残数は残すところ20連となってしまう。

フレンドの中にも無事に道満を引いてサポートに出している人たちもちらほらと見え始めた。

石の残数が尽きそうになり、爆死の可能性が濃厚になってきてなんだか怖くなってきた。

 

そんなとき思う。

なぜ、なぜ私のところに来ないんだ…と。

 

呼符で来た人もいる。20連で運よく二枚、三枚引きする人もいる。

けれど一方で10万近くかけても一枚も引けない人もいる。

上もいれば下もいる。

だけど、運よく少ない連数で引けている人と、自分との差はなんだ。

 

そうして眠れない日が一日あった後、最後の20連をもっと有意義に使うにはどうしたらいいんだろう、なんとしてでも当てたいんだけど、どうすれば当たるんだろう?と真剣に考えるようになった。

そんなとき、ふとオラクルカードが目に留まった。

もうこうなればやけっぱち。

オラクルカードを通して「私が蘆屋道満を引けるか、あるいはどうしたら引くことができるか」を尋ねてみようと思った。

どうせ散るなら面白く散れっ…!

と、どうせだったら面白おかしくオラクルカードを通して神仏に尋ねてみても良いのではないか、と思った。

 

そんなことがあり、オラクルカードで道満を引けるかを何枚かできいてみることにした。

出たカードは、インディゴ、フェアリー、金龍、ソウルファミリー、崩壊。

最初に引いたインディゴは大天使メタトロンが統括しているそうなので、なんとなくメタトロンに祈ってみてはどうかと思って祈ってみることに。

どうしてそう思ったかといえばインディゴのカードを見てメタトロンが統括…と思ったあたりから頭頂部にものすごい「圧」がやってきたから。

なにかすごい、頭のてっぺんが…大きな何かと繋がっているような…多次元の圧を感じる~~。

フェアリーやソウルファミリーのカードも引いていたので、妖精かソウルファミリーの存在かを聞いてみたけど違っていて、この圧の主がメタトロンということがわかったのでこんな風なことを心の中で伝えてみることに。

 

「あの~…大天使メタトロン。私スマホでFGOっていうゲームやってまして…

それで、蘆屋道満っていうキャラクターがどうしても欲しいんです。

私は本気で欲しいものってこの世で少なくて。

と言うより、欲しいものがあっても諦めて見ないふりをしているものもあるからなんだけど…

(ということをメタトロンに対して話しているときに自然と気がつかされた)

だからこそ、自分の手の届く範囲で自覚して「これがほしい!」と強く思うものが本当に欲しいんです!

いつも諦めばかりの自分が強く欲しい!って、手に入れたら楽しい気持ちになれるんです!

はっきりいってしまえばただのゲームキャラ。

幻のようなもので、FGOというゲームを起動しなければ使うこともできない、現実にあってないようなものです。

おまけに性格的にもなんら尊敬できる要素もないし、むしろ外道寄りでちょっとお願いするのもアレなんですが…でも!

ただの一時的な欲だというのもわかっています!

そんなあってないようなものに現を抜かしていることも本当はわかっています!

今がピークで、手に入り使っていくうちにいずれ飽きていくことも目に見えてます。

でもでも!今は欲しいんです!どうかわたしに当てさせてください!

というか、今は12月だし少し早いクリスマスプレゼントということで、なんとか!

どうしたら当てることができるのか、教えてください!」

 

最後のほうは必死だった。

でも、メタトロンに対して自分の気持ちを打ち明けるうちに、自分がもっとゲームとは関係ない心からほしいものに対して見て見ぬふりをして気がつかないようにしている、ということにも自然と気がつかされた。

なんでもお見通しなんだなぁ…。

必死だったけれど、それを伝えている間もずっと頭のてっぺんが繋がっているような圧倒的な感覚がしてそんなメタトロン圧を感じられたことがただただ嬉しかった。

 

オラクルカードで出たカードは結局どれも道満を引くことに対して好印象なカードが多かった。

フェアリーも、錬金術のような具現化が得意というので、フェアリーさんにも同じように祈ってみた。

ソウルファミリーも「あなたは一人じゃないし、魂の家族を呼び出して」というのでソウルファミリーに対して「こんな願いでゴメンネ…」と思いつつ、自分の欲に忠実に欲しい旨を伝えた。

こんな「ガチャ産のキャラが欲しいので自らのソウルファミリーに欲しいと祈る」という経験をする人間は、きっと後にも先にもソウルファミリー内で自分だけなのでは?

それはそれでおいしいのでは?ということも思ったりした。

 

そして金龍。

金龍のカードはなんかすごくいい感じ。

物質的に強そうな龍神でしかも「いよいよ形になるとき」「ほしいものを引き寄せることができる」という意味を持つ金龍のカードは心強い。

念のためもう一枚「リンボを引くためになにかできることは?」と引いてみたら「引き寄せるイメージをする」というカードを引いた。

イメージするのは常に最強の自分だ…!と

ガチャ10連画面で二枚、三枚引きしている様子を思い浮かべてみた。

引けたー!やったー!という気持ちを想像したりイメトレをしてみたものの、三枚引きあたりになると様子を思い浮かべるのがむずかしく、心のどこかに「どうせ引くことができない」と思っている諦めが混じっているのも感じた。

 

最後の「崩壊」のカードだけは少し不穏みを感じた。

大きな衝撃がありその先には色とりどりの花々の風景がある。

けして悪いものではないとは思うけれど全体的にトーンが暗く…引いた瞬間「うっ」と思ったのも事実。

若干目を背けたくなったので引いたけれど意味の深追いはしなかった。

というか、見なかったことにしようと。思った。

英語版だし、うん。

 

そうして祈ったり、感謝してみたりしつつ、でも実際に何時に引こう?と思ったらふっと10時20分頃と浮かんだ。

これが直感?

と思い、素直にしたがってその時間帯にひいてみることにした。

時間が経ち夜の10時20分に近くなってきた頃、今度は22分という感じがやってきた。

よし!じゃあ10時22分にガチャを引こうと思って信じてみることにした。

 

いざ、10時22分になったので残りの20連を一気に引いてみることにした。

もう10連中は気合いや力を入れまくった。

「リンボこいー!」と念じまくり。スマホを持つ手にはかなり力をこめていた。

最初の10連はなにもでなかった。

 

残り10連…。

 

これが最後の10連。

来て欲しい、最後まで諦めない!という気持ちに混じって心のどこかにあり続けている諦めの気持ちも色濃くなってきているのを感じる。

あまり意識したくはないけれど、確実にその割合が大きくなっているのを感じた。

この最後の10連で来なかったら爆死だ。

お金を投じて、何も手に入らなかった現実が手に入る。

最後の10連も「お願いだから1枚でもいいから来てー!」と祈った。

一枚一枚カードがめくれるたびに一喜一憂した。

最後の10連では金回転で綱が二人やってきた。

 

しかし、道満はやってこなかった―――――― 

 

結局、最後に回した10連でも引くことはできなかった。

 

回すときに気合や念をこめすぎてスマホを持つ手にもやたらと力が入りこんでいたので、爆死した後えらく体から力が抜けた。

体に力が入らない。顔から表情が消え、ただただ脱力して虚無を抱えた顔になる。

でも心はそれほど落ち込んでいなかった。

自分がガチャを引く上でやりたかったこと、できると思ったすべてをやった上での爆死だったので後悔はなかった。

 

今回、どうして自分は引けないんだということから始まり、他の人のガチャに対する意見にも触れた。

お金を聖晶石に変えたときに、当たらない可能性、全部投じてもなにも得られない覚悟をした上で石に交換して望まなくてはいけないということを他の人の意見を見て学ぶこともできた。

 

自分を信じて浮かんだその時間にガチャを回したことも、天使たちに祈ったことも、楽しかった。

当たると信じてやったこと全部、悔いはない。

だけど脱力と心にぽっかりと穴があいたようななにも考えられない思考が停止するような感じはあった。

そんな状態のまま画面を見ると、聖晶石が残り3つ(1回分)残っているのに気づいた。

どうせだったら綺麗さっぱり0個にしてしまおうと、なんの期待もせずほとんど画面も見ずに1回召喚ボタンを押した。

ぼんやりした視点で画面を見ると、いつの間にか金色のカードにアルターエゴの絵柄が浮かんでいた。

 

そして蘆屋道満が画面に現れ

「お初にお目にかかります―――」と言っていた。

 

その後頭が真っ白になって何を言っているかまったく聞き取れなかった。

ただ、そのとき「思いをこめたらあとは手放す」ってこういうことなのか…とストンと腑に落ちた。

 

もしかしてメタトロンは私にそのことを身をもって体験させてくれたのかもしれない…と思った。

願いをこめたら、あとはその思いや執着から手を離し、信じてゆったりと待つ。

そういうことを教えられたような気がした。

 

そして最後に引いて見なかったことしようと意味を無視したカード「崩壊」の意味も、まさにこの経験と同じような意味であることにも気がついた。

まるで死と再生のようなカードだった。

握り締めた手をゆるめて手放そう。手放すのが早いほど再生も早く起こる。

崩壊させた後、しっかりとした土台の上に新しい家が建つ。

そのからの光景は素晴らしいものとなるだろう。

というような意味のようだった。

いつまでも念を込め握り締め、執着を持ち続けて手放さないからダメだったんだなぁ。

爆死して握り締める思いもなくなった後、そのなにもないところに欲しかった新しいものはやってきた。

 

確かに思えば最後の20連中、念を込めすぎ、体も力を入れすぎで。

そりゃあ来るものも来ないよなって。

入ってくる余裕も隙もないんだもの。

来い来い!って力をこめて引けるまでいい続けるって、それって結局自分が引けることを信じてないってことだし、いつまでも思いを手放せないでいる状態だしで。

ほんと今回のこの出来事には、メタトロンを始め、フェアリー、金龍、ソウルファミリーと、お願いをしてみた存在たちに感謝しかなかった。

すごく嬉しかったし。

そして見たくないと思っていた最後に引いたカードの意味こそが本当の鍵だったということも感慨深かった。

 

爆死に近い経験ではあったけれど、最後の1回で召喚に応じてくれるというドラマチックな展開にはとても満足した。

それにシチュエーション的にも「脱力虚無顔で戦意を喪失しているマスターの前に、人の不幸は蜜の味を地で行くリンボが嬉々としてその虚無顔をあざ笑うが如く召喚に応じてやってきた」ような図になり、召喚の仕方としても最高においしいのでは…!と。

 

そんな感じで、道満一人を召喚するために一喜一憂し、いろいろと試してみたことは無駄にはならず、むしろ真剣にどうして自分のところには来ないんだ?と考え出したところから一気にいろいろと進んだ気がする。

なんにしろ、この一連のガチャのあれやこれやの経験こそがメタトロンからの本当のクリスマスプレゼントだったのかもしれない…なんていったら夢見すぎか。

 

いや~、でもクリスマスプレゼントにリンボをリクエストする自分っていうのもなかなか滑稽だよなぁ…我ながらなんていう人生だ。笑える。

 

その後、年末に会った友達にこの一連の流れを語る機会があったので面白おかしく話してみた。

彼女はFGOもわかるしスピリチュアルに関係することにも理解があるので語る人物としては申し分なし。

語っていると「どうしたら引けるんだ」からの「そうだ!メタトロンに祈ろう、お願いしてみよう」という流れにめっちゃ爆笑していた。

普通はそうはならない、とでもいいたいように。

そして「思いを込めたらあとは手放す」のあたりで、「ものすごくわかりやすかった!」と言ってくれた。

彼女は「引き寄せ」に興味があり、いろいろとそれ系に関して調べているようで、喜んでくれてなによりだった。

去年の12月に蘆屋道満を引くためにジタバタとしていたこの経験が何かの役に立つのかもしれないなら、ジタバタした甲斐があるってものだ。

 

いずれは飽きてしまうのかもしれない。

でも今は道満とあきみつ殿を連れまわして鬼灯集めに行ったり周回を楽しんでいる。