1762年の10月に
神童と名高い6歳の
モ―ツァルトの
シェ―ンブルン宮殿での
御前演奏が実現します。
皇帝フランツ一世と
女帝マリア・テレジアは
ザルツブルクからやってきた
音楽家の家族をもてなし
ました。
宮殿の磨きぬかれた床で
滑って転んでしまった彼を
助け起してくれたのは
一つ年上の皇女
マリ―アントワネット。
少年モ―ツァルトが
「大きくなったら
僕のお嫁さんにしてあげる」と結婚を申し込んだのは
有名なエピソ―ドです。
この輝かしいスタートを
切った神童が35歳で
不遇のうちにこの世を去り、
その2年後には
ルイ16世の妃としての
マリ―アントワネットが
フランス革命のパリで
断頭台の露と消えることに
なろうとは誰が予測した
でしょうか。
✨✨✨✨✨
マリ―アントワネットの
最後の言葉は
断頭台に登ったときに
よろけて死刑執行人に
ぶつかってしまい
「おゆるし下さいね。
ムッシュウ。わざとでは
ありませんのよ」と
伝えられています。
音楽が大好きで
ハ―プの名手でもあり
モ―ツァルトの曲を
愛していました。
🥀🥀🥀🥀🥀
マリ―アントワネットの
音楽の先生でいらした
クリストフ・ヴィリバルド・
グルック(1714―1787)の
オペラ
「オルフェオとエウリディーチェ」の中の
「精霊の踊り」も
お気に入りの曲でしたが
皆さまもご存知の曲では
ないでしょうか。
又、彼女は12の歌曲も
作曲しています。
「ベルサイユのばら」
人気がありましたね。
残念ながら読んでいないの
ですが、映画は観ました。
最後の言葉を聞くと
そんなに悪い人では
なかったような気が
しますね。
もっと沢山の曲を
書かれたようですが
フランス革命の時に
焼き捨てられました。
ハ―プは捕らえられて
搭に幽閉された折にも
演奏されていたようですよ。
今日も暑いです。
台風がごゆっくりで
心配ですね。
良い休日を🥀🥀🥀
マリーアントワネットがハープの名手とは
しらなかったです。
もっとも、池田理代子の『ベルサイユのバラ』での
知識しかありませんが。。。
歌やダンスはお上手だったらしい。
ハプスブルグ家の展示会でみた
肖像画は、それほど、美人ではなかったです。
「精霊の踊り」聞いたことがありますね。
ルイ16世死去のあと、
共和政→ナポレオン登場ですよね。
ドイツのヒットラー、ロシアのプーチン
いつの世も独裁者が。。。