変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー



偉そうなことは全く言えないんだけど、
ネット上の日本語の乱れ方は、もはや原型を留めない程の
酷さで、ワリカシ平気な方だとは思っているものの、タマ
にはマトモな日本語に触れ、落ち着きたくなることがある。

もともと歴史モノが好きというのはあるが、
今回は内容よりも、綺麗な日本語を求めた。


堺屋太一先生、
なんだろ、この安心感。

ふーっと息が漏れて、安らかな気持ちになる。

例えちゃいけないのかもしれかいが、靖国で

御霊よ安らかなれ

と唱えた時の感じに似てなくもない。


変化を認めない、ということではない。
言語とは、コミュニケーションツールであり、
正しく使わないと、本来の機能を失ってしまう。

そのレベルに至っては、それは変化ではなく乱れであろう。

特に、韓国サイトの日本語訳は酷い。

いや、不得意な人のカタコトを責めるつもりはない。

それはそれで可愛いんだから。
ボクも他の言語は話せないし、大目に見てもらいたい。

そうではなくて、例えば
Kstyleの記事へのリンク
みたいな奴とか。

いやいや、日本人の方が酷いかもしんない。

・・・ま、いいか。


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