六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

輪廻転生のこと

2020年01月02日 10時31分52秒 | 未来
令和二年が明けて、本日二日目。
ここ数年でしょうか、
世界的ペットブームですが、
その動物たちを見ていると、
しっかりと,自分の心と意志というものを持っていることがわかります。

また、動物なのにこんなに賢いと、
動画でも流したりするので、
余計に印象的なのかも知れないですね。

私もオスの黒猫を10年ほど飼っていましたが、
その猫がよく私に話しかけてきたり、
自分の気持ちを表現してきたりしていましたね。

今は、なつかしい思い出となりましたが、
そんな動物について考えていたある時、
ふと分かったのは、
六道輪廻という概念がありますね。

その六道とは、
天上界、修羅界、人間界、餓鬼界、畜生界、地獄界の六つの次元の世界を、
生き物がグルグルと廻りながら、
生まれ変わり死に変わりを永遠に繰り返して、
生存を続けるのだという概念です。

それは本当か嘘か、
永遠に誰も分からないという考えです。
ですが、
この思想は本来、日本の一般社会に流布していたし、
古代の西洋社会にも、一般的な考えとしてるふしていました。

それが、なぜ?というと、
古代において、それまでの民間宗教から、
キリスト教に移り変わっていくときに、
霊的な問題をキリスト教の教義から外してしまったからです。

霊的な世界観を、キリスト教は否定してしまったのです。
それ以来、
キリスト教は原則的に頑迷な物質主義に陥ってしまった。

まあ、霊的世界観に対して、
キリスト教会がついていけなかったのでしょうね。

ところが、
その考えは正しくなかったわけですね。
霊的世界を否定して、
この世界を理解することはできないからです。

そして、時代が変わり、
再び輪廻転生の考えが復活したわわけですね。
人間は・・・と、限定的な考え方は正しくありません。

というのも、
さきほど、動物の話をいたしましたが、
動物だって、輪廻転生している!
そう私が思う根拠は、
先程のペットが話したり、気分を害したりするからです。

昨夜も、アメリカからの放映された動画で、
飼い主が8時間も自家用車の中に、
ペットを閉じ込めていたということで、
ペットがへそを曲げて、飼い主の呼びかけに答えず、
目も合わせないという、笑える動画を流していました。

本当に、ペットの犬は飼い主が自分の名前を呼んで、
飼い主がペットの気を引こうとするというか、
機嫌を直してもらいたいのでしょう。
それで名前を呼ぶのですが、
まったく前を向いたまま、飼い主の方を見ようとしないのです。

あのときは、
まったくペットの態度が、人間そのものでした。

そこで確信したんです。
ああ、
この犬のペットは前世に人間だったんだなと。

この疑問は、長い間の私の頭に流れていたんです。
どうして愛玩動物は、私に人間的な反応を示して、
私に話しかけたり、甘えてきたりして、
まったく人間と同じ反応で接するのだろうかと。
そして、
なんと言っても、賢い言動をするのですねー。

その疑問の中には、
動物だって、頭の良い賢い動物だって居るだとろうという考え。
そう考えることも可能だろうと思います。
長い間、
私はそういう動物たちを動画で鑑賞するたびに、
へーっ!と、内申感心しながら、見ていたのです。

ですが、
私の飼っていた黒猫が、
あまりにも人間的だったこともあって、
私は、動物が愚かだとか馬鹿だとかいう、基本的な信念が、
頭のどこかで揺るいでいたんでしょう。

その疑問を晴らすために、
私は動物の動画とか、「WILD・LIFE」などを、
とても関心を持って見ていたのです。

それが、
昨夜のテレビの映像を見て、
確信したのですね。

ああ、この犬は前世において、人間だったのだ。
それが、あまりに本能剥き出しの人生を送ったがために、
死後、
そいつは動物となって生まれ変わったんだ!
食欲とか、性欲とか、睡眠欲とかいうのは、
本能の欲望と言われていますね。
しかしながら、
人間はつねに欲望を(恣)ほしいままにした生活を戒めています。
それは宗教的な信仰生活として、
戒律として、規律として、
日常生活のあり方を律する教えとして、
日々の生活において、私達を束縛しています。

ですが、
霊的世界のその後を調べると、
それがいかに大事なことか、自ずと見えてくる。

それが、
今回のペット動物のテレビ体験からわかったのですね。
なるほど、
人は本能のままに溺れた生活は、
死後の世界において、畜生世界に落とし込められて、
また餓鬼世界に落ちて、
そして、動物としての人生?を、
いや、動物としての生活を営まなければならない。
それが、ぱっとわかったんですね。

つまり、生物というのは、人間という範疇にいようと、
犬という種類であろうと、猫という生き物であろうと、
生物=生き物であるという点で、同等の存在である。
犬と猫もカバも麒麟もライオンも、
みんな生物という点では、同じである。

それが、どうしてそれぞれの存在形式で、違いを生み出すのか?
というと、
それが「業」です。
業において、それぞれの存在の形式に於いて、
違いを生み出すのだということ。

人間だけが輪廻転生を繰り返すのではないということですね。
そして、人間が一度畜生界に落ちると、
二度と人間界に戻ることはできないと言われるのです。

もし、間違った生活を送っていて、
動物に生まれ変わった。
例えば、豚に生まれ変わるということは、
殺されて、
ひき肉にして食べられてしまうわけです。

牛だったら、
インドを除いて、
一生ムチで叩かれながら、労働を強いられて終わる。

そんな過酷な動物としての生活を送らなければならない。
どうですか、あなたもこんな生活は?
ときには、良いかもしれませんね~。

本当に私は、恐ろしい思いに陥ったしだいです。
正月そうそう、
なんと貴重な体験をしたことかと、
恐れ入ったしだいです。

今年もよろしくお願いもうしあげます。

/div>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする