「喜びの世界」というと、
私はスリードッグナイトの名曲を思い出します。
スリードッグナイトって、
どうしてスリードッグナイトって名前なんだろうか?
そう不思議に思ったことがあるんですね。
三匹の犬、ここまでは分かるんですが、
なんで、その後に「ナイト」が来るの?
ナイトって、夜の事でしょう?
そう思って、変わった名前だと、
長い間、理解できない思いをしてたんですけれども、
調べてみると、
「アボリジニが恐ろしく寒い夜に、犬を抱いて寝る」
という風習から、
バンド名にしたんだそうですね。
へえ、
そういう風習があったのか?
そう思いながら、
「Joy to The World 」(喜びの世界)
を思い出したのでした。
「An Old Fashoned Love Song」も名曲ですけれど、
この「喜びの世界」は、
ビルボード第一位になった名曲ですよね。
そういうわけで、
喜びの世界って、どうして歌にしたんだろうと、
心の中で、思っていたものでした。
それが、
開祖が成仏法の七覚支法の説明の中で、
喜びを見いだせ、
いや、喜びを見出すというのだったら、
それはまだ本当ではない。
「住す」と言うんだから、
自然に喜びが湧いて出るのでなければならない。
ひとりでに、喜びが湧いてくる。
つらい修行が、
喜びに満ちた修行になるように修行せよ。
そうおっしゃっている。
長い間、
そんな心持ちになれるのだろうか?
と、疑問に思っていたものでした。
ところが、
気が付いてみると、
自然に、その世界に入っていたのですね。
長い修行を進めていると、
というよりも、
もう我慢我慢の世界ですよ。
一途に我慢を続けているうちに、
いつの間にか、
「苦」を通り越して、
喜びに満ちた世界に入ってしまっていた、
というのが本当です。
今の私がそうです。
もうだめだ、もう進まない!
俺の人生はこれで終わった!
そう覚悟したときがありました。
そのとき、
開祖はおっしゃった。
「究極の頂点に、因縁の歯車は回るのです。」
言葉だけが頭の中で空回りしていた。
だが、
それは嘘ではなかった。
まさに、歯車は回ったのだ。
それが過ぎていって、
この世界を茶番だと思うと、
笑いが込み上げてきた。
なんて可笑しな世界なんだろうかと、
自分自身をさえ笑ってしまえたら、
いつの間にか、
全てを笑って済ませられるようになった。
ばかばかしさを通り越えて、
空の世界に入っていった。
空の世界を越えて、
今の人生を、今の自分に与えられた修行の場を、
ひたすら頑張ろうと思えるようになったとき、
喜びの世界に到達していた。
この教団で修行できることに、
この他にかけがえのない教団に縁を得ていることに、
そして、
偉大なる師のご加護を得ていることに、
改めて気が付いた。
本当にありがたいことに、
私は師のお引き立てを受けて、
救っていただいたことを、もう一度思い出した。
このご縁を無駄には出来ない。
そう思うと、
喜びに気持ちは変わっていった。
いつの間にか、
喜びに満ちた世界に住んでいる自分がいる。
これが《喜びに住する》ということなんだ。
そう思って、
師のお言葉を理解することができた。
これが《喜びに住する》ということなんだ。
そう思いながら、
改めて、
スリードッグナイトの「喜びの世界」を思い出している。
私はスリードッグナイトの名曲を思い出します。
スリードッグナイトって、
どうしてスリードッグナイトって名前なんだろうか?
そう不思議に思ったことがあるんですね。
三匹の犬、ここまでは分かるんですが、
なんで、その後に「ナイト」が来るの?
ナイトって、夜の事でしょう?
そう思って、変わった名前だと、
長い間、理解できない思いをしてたんですけれども、
調べてみると、
「アボリジニが恐ろしく寒い夜に、犬を抱いて寝る」
という風習から、
バンド名にしたんだそうですね。
へえ、
そういう風習があったのか?
そう思いながら、
「Joy to The World 」(喜びの世界)
を思い出したのでした。
「An Old Fashoned Love Song」も名曲ですけれど、
この「喜びの世界」は、
ビルボード第一位になった名曲ですよね。
そういうわけで、
喜びの世界って、どうして歌にしたんだろうと、
心の中で、思っていたものでした。
それが、
開祖が成仏法の七覚支法の説明の中で、
喜びを見いだせ、
いや、喜びを見出すというのだったら、
それはまだ本当ではない。
「住す」と言うんだから、
自然に喜びが湧いて出るのでなければならない。
ひとりでに、喜びが湧いてくる。
つらい修行が、
喜びに満ちた修行になるように修行せよ。
そうおっしゃっている。
長い間、
そんな心持ちになれるのだろうか?
と、疑問に思っていたものでした。
ところが、
気が付いてみると、
自然に、その世界に入っていたのですね。
長い修行を進めていると、
というよりも、
もう我慢我慢の世界ですよ。
一途に我慢を続けているうちに、
いつの間にか、
「苦」を通り越して、
喜びに満ちた世界に入ってしまっていた、
というのが本当です。
今の私がそうです。
もうだめだ、もう進まない!
俺の人生はこれで終わった!
そう覚悟したときがありました。
そのとき、
開祖はおっしゃった。
「究極の頂点に、因縁の歯車は回るのです。」
言葉だけが頭の中で空回りしていた。
だが、
それは嘘ではなかった。
まさに、歯車は回ったのだ。
それが過ぎていって、
この世界を茶番だと思うと、
笑いが込み上げてきた。
なんて可笑しな世界なんだろうかと、
自分自身をさえ笑ってしまえたら、
いつの間にか、
全てを笑って済ませられるようになった。
ばかばかしさを通り越えて、
空の世界に入っていった。
空の世界を越えて、
今の人生を、今の自分に与えられた修行の場を、
ひたすら頑張ろうと思えるようになったとき、
喜びの世界に到達していた。
この教団で修行できることに、
この他にかけがえのない教団に縁を得ていることに、
そして、
偉大なる師のご加護を得ていることに、
改めて気が付いた。
本当にありがたいことに、
私は師のお引き立てを受けて、
救っていただいたことを、もう一度思い出した。
このご縁を無駄には出来ない。
そう思うと、
喜びに気持ちは変わっていった。
いつの間にか、
喜びに満ちた世界に住んでいる自分がいる。
これが《喜びに住する》ということなんだ。
そう思って、
師のお言葉を理解することができた。
これが《喜びに住する》ということなんだ。
そう思いながら、
改めて、
スリードッグナイトの「喜びの世界」を思い出している。