人が幸福かどうか、
そんなことは本人に聞かなきゃ分からないよ。
そういう返事が聞こえてきそうですね。
でもね、
私には分かるんだ。
最近、
学生時代の友人とメールして話した。
そうして、私は私の近況と心境について打ち明けた。
彼と私とは、生き方が違うので、
理解は得にくいと、双方が感じてはいると思う。
私も彼が日常の生活において、
いろんな雑事に精出して、
地区のお世話にも、けっこう楽しみながら行なっているのは知っている。
だが、
私には、彼の深い心の闇を感じるのだ。
彼がその深い闇を取り除くことができれば、
とても幸せな人生を送れるだろうに。
そう、
彼の話を聞きながら、私は思っている。
大事なのは、
心の闇の元になっている、
深層に巣食う「抑圧意識」を解放することなのだ。
それを仏教用語で言い直すと、
『無明』と言うことができる。
しかし、
それはとても難しい。
簡単なことではない。
至難の業である。
私も長い間、抑圧意識のために苦しんできた。
一時は、不可能だと思って、
抑圧意識の解放を諦めたことがある。
そんな時、
開祖の思念に基づくところの護摩法の話が出た。
これだ!
と思い、このお護摩が焚けることを願った。
例えば、
開祖の思念の凄さを見るとしよう。
1999年、地球の大きな危機は、
私達は気がつかないけれども、
確かに、何度かあったと言う。
今にも核のボタンが押されようとしたことがあったというのだ。
だが、
それは起こらなかった。
なぜか?
開祖が思念でもって、その動きを止めたからだ。
もっとも、
『変身の原理』で、足止めの法を開祖が掛けられたとき、
かけられた当人は、どんな気持ちになったのか、
それを知れば、開祖の法がよく理解されると思う。
そして、
開祖ならそれが出来る。
開祖の力ならば、それは可能だ。
そう、私は確信した。
その開祖の力をもってすれば、
我々の抑圧意識を解放させ、
昇華させるなんてことは、当然、可能だ。
その開祖のお力をもって焚くお護摩なら、
私達を解脱させてくださるだろう。
そう思って、
ひたすら待った。
そして、
そこから道は開いていったのだ。
(続く)
開祖は、
(続く)
そんなことは本人に聞かなきゃ分からないよ。
そういう返事が聞こえてきそうですね。
でもね、
私には分かるんだ。
最近、
学生時代の友人とメールして話した。
そうして、私は私の近況と心境について打ち明けた。
彼と私とは、生き方が違うので、
理解は得にくいと、双方が感じてはいると思う。
私も彼が日常の生活において、
いろんな雑事に精出して、
地区のお世話にも、けっこう楽しみながら行なっているのは知っている。
だが、
私には、彼の深い心の闇を感じるのだ。
彼がその深い闇を取り除くことができれば、
とても幸せな人生を送れるだろうに。
そう、
彼の話を聞きながら、私は思っている。
大事なのは、
心の闇の元になっている、
深層に巣食う「抑圧意識」を解放することなのだ。
それを仏教用語で言い直すと、
『無明』と言うことができる。
しかし、
それはとても難しい。
簡単なことではない。
至難の業である。
私も長い間、抑圧意識のために苦しんできた。
一時は、不可能だと思って、
抑圧意識の解放を諦めたことがある。
そんな時、
開祖の思念に基づくところの護摩法の話が出た。
これだ!
と思い、このお護摩が焚けることを願った。
例えば、
開祖の思念の凄さを見るとしよう。
1999年、地球の大きな危機は、
私達は気がつかないけれども、
確かに、何度かあったと言う。
今にも核のボタンが押されようとしたことがあったというのだ。
だが、
それは起こらなかった。
なぜか?
開祖が思念でもって、その動きを止めたからだ。
もっとも、
『変身の原理』で、足止めの法を開祖が掛けられたとき、
かけられた当人は、どんな気持ちになったのか、
それを知れば、開祖の法がよく理解されると思う。
そして、
開祖ならそれが出来る。
開祖の力ならば、それは可能だ。
そう、私は確信した。
その開祖の力をもってすれば、
我々の抑圧意識を解放させ、
昇華させるなんてことは、当然、可能だ。
その開祖のお力をもって焚くお護摩なら、
私達を解脱させてくださるだろう。
そう思って、
ひたすら待った。
そして、
そこから道は開いていったのだ。
(続く)
開祖は、
(続く)