六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

密教は星の宗教!三九秘宿九星法(Ⅱ)

2020年05月13日 14時14分31秒 | 運命学+占星術

この占術は、
初めて公開される法です。
詳しくは、
『一九九九年七の月が来る』の、118頁以下を読んでいただくとして、
九星盤に二十七宿を配当していくわけです。

それが、上の盤ですね。
この盤、少し欠けていますね。
なんだか、
本当は教えたくないんだという、
深層の想念が影響したような感じがしますね。

これの具体的な配当の仕方も、128頁にわかりやすく載せてありますので、
そちらを見ていただければ問題ないかと思います。
中には、
なんだそんな九星盤なんか勉強しなくてもいいから、
一番肝心な二十七宿の配置だけ分かればいいじゃないか、
そう思う人もあるかもしれません。

ですが、
私は苦労して九星気学を学んでいったのですが、
決して、好きでマスターしたわけではないのです。
『三元九星四段掛けの秘法』を体得したいと思ったので、
基本から学んでいったのです。

ですが、
今になって振り返ると、
この「三九秘宿九星法」をものにするために、
やってきたんだと、
今になるとよくわかるのです。

つまり、師は一番大事なものを教えるにあたり、
基本に当たるものから教えていかれます。
それを一歩、一歩、
必要な技術を教えていかれるのです。
そして、気が付いてみると、
その一歩、一歩歩んで習得したものが、
生かされて、高難度の占術を体得する鍵になっていたんだ、
ということが、わかるのです。

『天象三九秘宿法』&『三九秘宿九星法』を習得するために、
ここまでいろいろと勉強してきたんだと。
だから、
あなた方も興味ある方は、
偉大な師の導きを受けながら、進んでいくと良いでしょう。

この法の凄いところは、
運命の内容、業の動向、
前世の業の結果と現世との業のつながりが理解できることです。
業の動きが見えるという点では、
ものすごく興奮すると思います。

この法は私しか知らない、
唯一の私が知っている法であると、
開祖はおっしゃられています。

だから、それだけの法であることを自覚して、
この占術の神秘に挑戦されると良いでしょう。
まずは、
九星の各宮の特徴をしっかりと学ぶと良いと思います。
(つづく)


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病んだ心の人

2020年05月13日 10時03分55秒 | つぶやき
なぜか、私の周りの知人には、
心を病んだ人が少なくない。
そう言うと、
それはあなたが同様に心の病んだ人だから、
類は類を呼ぶ!で、
同類が集まるんだよ、と言われるだろう。

そう言われると、
返す言葉に窮するのだが、
言っておきますが、私には『脳障害の因縁』はない。
と答えておきます。

そこで、彼らと接していて、
彼らの内面を感じるのですが、
とても疑いの心が強いんです。

自分のことは棚に上げといて、
人のことを不憫に思うのですが、
よく見て見ると、彼らはその今の自分自身を守りたいんですね。
今のそのままの自分を変えたくない。

いや、さらに言うと、
改善していくのが面倒くさいんです。
怠惰なんですよ、怠け者なんです。
何も困ってないし、
今のままでいいじゃないか?
そう考えているようなんですね。

またある人は、
以前、こっぴどく信頼していた人に裏切られた。
それ以来、人に気を許すのが怖い。
だから、相手の言うことを信じにくいんだ。
そういう人もいるでしょう。

ですが、何事も疑いの目で見るから、
良い事を聞いても見ても、
いや、それは嘘だろうと、信じない。
恐怖心の裏返しとして、
見たもの聞いたものの価値を貶めて、
安心を得たい心理が働くのでしょう。
ですが、
そういう人に限って、
モラルや道徳に関する集いなどに関係している。

まことに残念なことです。
せっかく、自分自身が魂レベルの進化を遂げるため、
仏様と縁を結ぼうとしているのに、
それを自らの手で切り捨てるのですから。

改めて思うのは、人間は素直な心がけが大切。
そして、人を信用できる心が欠かせない。
何よりも大事なのはことは、
精神性の高いものに憧れ、敬う気持ち、
これだと思います。

それらは、
人としての、欠かすべからざる「徳性」と考えられるのだと。
そう思うのですね。 

でもね、
それはある意味、当然なんだと思うのです。
だって、《成仏法》は世間の価値を越えた法です。
ですから、
凡夫には理解できなくても、ある意味当然だと思うのです。
成仏法は、世間の価値を越えたところにあるところの、
尊い法です。

この法の本質、真の価値を理解するのは、
のもすごく難しいのです。
それほどに、
お釈迦様の説かれた法は、
ものすごくレベルの高い法なんです。
世間にすべての感覚が対応されて、
価値感が世間においてあるかぎりは、
この成仏法の出世間福の尊さに気が付けない。
そう思いますね。
〈/span〉

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